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第五話 南へ向かう帆船

 翌日、ヴィーチェにクエンドーニ風の旅装と必要最小限の荷物の入ったトランクを受け取ったカンディールは、イルデブランドとともに港湾都市プリアロッジア行きの民間船に乗っていた。今の季節なら北東風と潮の助けを借りて二日ほどの距離で、足の速いスループ型帆船という特徴も相俟って——揺れの激しさに、カンディールは船酔いに苦しむこととなる。


 カンディールは船酔いでベッドに倒れる前に、甲板でイルデブランドとこんな会話を交わしていた。


「カンディール、君のことを聞いてもいいか?」


 淡い金髪に陽光と海面の照り返しを受けながら、イルデブランドは控えめにそう言った。


 人並みに礼儀を知っているのは、王子だからだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、カンディールは条件を出す。


「代わりにあなたのことを聞いてもいいのなら」

「ああ、いいよ。年齢もそう違わない、畏まらなくていい」

「なら」


 カンディールは遠慮なく、イルデブランドへ向き直り、右手の人差し指を立ててみせた。イルデブランドの視線が人差し指の先に集まり、そして次の瞬間、指先にろうそくほどの火が灯った。


 何もないそこに現れた小さな火を見て、イルデブランドは驚き、目の色を変える。


「君は炎魔法の使い手だったのか!」


 こくり、とカンディールは頷いて、火を消した。カンディールとは対照的に興奮気味のイルデブランドは、羨望や憧れの目をしている。


 大陸が違おうと、人々は魔法の使い手に対して、ときに神の使いと崇め、ときに恐ろしい武器と利用してきた。炎や水、風、土といった四大属性のほか、光や闇といった希少な属性の魔法の使い手もいたが、その数は年々減る一方だ。世界的にどんどんと人口は増加しているにもかかわらず、魔法の使い手だけが総数を減らしていく。その最大の原因が戦争であり、カンディールは()()()()()()()()()()()()()()()()


 それとなく、カンディールは自分の故シャムス王国王女という出自を隠して、説明する。


「先祖代々、炎を用いて一族や従う人々を守ってきた。ラクダよりも大きな(ショーラ)を灯せる者は皆、戦士であり、そこに男女も老若も関係はない」

「カンディール、君も?」

「そうだ。父も兄も姉たちも、最後まで戦い、命尽きるときまで敵を燃やし、ある者はわずかばかり残った己の命と引き換えに敵陣を爆炎の中に陥れた」


 イルデブランドがその話を聞いて息を呑んだことを、カンディールは見逃さなかった。


「戦うとは、そういうことだ。サイフ、あなたには向いていない」

「なっ、そんなことは」

「その剣は、血に塗れたことなどない。だが、歴史ある大国の王子ともあろう尊ばれる身分にあっては、それは正しいのだ。その正しさが今もあるからこそ、あなたは支持される」


 支配者一族というものは、国を守る力があるから王の称号を受け、臣民に従われるのだ。


 カンディールの故郷、シャムス王国は、王族に炎魔法という力があった。しかし、その力は結局のところ足りておらず、アルバラフィ王国との戦争の末に滅びた。カンディール以外の戦える一族全員が戦死してもなお、勝てなかったのだ。


 カンディールはそのときのことを、故郷の終わりの出来事を、もう誰かに話すつもりはない。終わったことであり、失ってしまったことであり、不名誉で、思い出すだけで悲しくて、憤りを覚えてしまうことだからだ。せいぜいが、その出来事を体験したおかげで知ったことを、教訓として誰かに伝えるくらいで——もう、カンディールは詳細を喋ることはない。


 どれほど感情込めて必死に喋ったところで、誰も分からない。カンディールの鼻に今も残る生きながら焼けていく兵士の匂いは、焦げた肉と錆びた鉄と新鮮な血の匂いだ。カンディールの手に今も残る剣の感触は、斬ることもできなくなったナマクラで敵の胸の骨と内臓を貫く感触だ。炎天下にまさしく銃雨が降り、弾けて飛んできた無数の銃弾を見ると、味方と敵の撃った銃弾がぶつかって潰れ、鉛同士が融合していた。


 それを聞いて、イルデブランドは本当に想像できるだろうか。いいや、できなくていいのだ。カンディールは、世間知らずだからといってイルデブランドという王子が汚される必要はないと思ったし、自分から汚れにいってほしくないとも思う。シャムス王国と違って、クエンドーニ王国の王族は戦場で戦わなくていいし、(ノルド)大陸の多くの国はそういう野蛮な社会でもない。それはいいことなのだ、きっと。カンディールはそれを伝えようと、イルデブランドを見上げて、ぎょっとした。


 イルデブランドの目に、涙が浮かんでいたのだ。何かを言おうとしているが、言葉になっておらず、みっともなく嗚咽を漏らすことだけは堪えている。


「なぜ泣く、サイフ」

「な、泣いてなんかいない!」

「これで拭くといい」


 カンディールは懐から取り出した絹のハンカチを、イルデブランドへ手渡した。受け取ってすぐに顔を覆い、イルデブランドは船の縁にもたれかかっていた。


 どうやら、イルデブランドは想像力と感受性が豊かなようだ。おどろおどろしい話を聞かせて悪いことをしてしまった、カンディールはそうも思うが、同時にこうも思う。


 ——イルデブランドはやはり戦場に近づくべきではない。彼は感情豊かでもあるだろうが、優しすぎる。近づかせないためには、もう少し言葉を尽くしておく必要がありそうだ。


 それは心優しい青年へ向けての、カンディールなりの心遣いだった。船の縁にもたれかかって顔をうつむけているイルデブランドへ、カンディールは自身の胸の痛みを感じながらも、語る。


「サイフ。あなたはまだ知らないかもしれないが、南の大陸ではもう、戦場は銃で溢れ返っている。鉛玉はあちこちに飛び交い、老人も子供も戦士も、引き金を引けば戦いを始められる。そして、その戦いを終わらせられる者は、いない」


 そう言ったあとで、カンディールは一つ訂正しようかとも思った。アルバラフィ王国の人間ならば「いずれ戦いは終わる、勝ってすべてを屈服させればいいのだ」と言い放つだろうからだ。それが実現するかどうかは怪しいところだが、そういう度し難い考え方もあるのだ。


 海は静かだった。船に当たる波の音もほとんど聞こえず、もしイルデブランドが嗚咽を漏らせば、隣にいるカンディールの耳に必ず入ってしまうところだった。


 イルデブランドはやっと顔を上げると、両目を拭いて、ハンカチを畳んだ。さきほどの興奮と喜びはどこへやら、硬い表情をしている。カンディールはイルデブランドが話しはじめるのを待った。


 無意識のうちにか重苦しくなっている声で、イルデブランドは——カンディールを気遣う。


「君は、戦場を見てきたんだな」

「ああ。私は生き延びてしまった」


 カンディールは相変わらず淡々と答える。いくら泣こうが喚こうが、何も変わらないからだ。冷静であることは少女らしくなく、可愛くもないと分かっていても、カンディールは変えられない。変えてしまえば、何もかも失った現実を直視できない。


「だが、悪いことじゃない。君は生きて、まだここにいるじゃないか。これからのことを考えられると……そうは思えないか?」

「あなたはそう思うのか」

「違うのか?」

「一族は滅んだ。女子供に至るまで戦って死んだ。私はそうできなかった。サイフ、なぜだと思う?」


 なぜ。問いかけたところで、答えなど大した意味はない。


「父は私を生かした。私の末の弟まで戦って死んだのに、私だけ生きている」


 シャムス王国での最後の戦場となった港町にいたカンディールは、王族全員が死んだと知らせにきた兵士の手で、強引に船へ乗せられた。戦死した父王は、シャムス王族最後の一人となった者を国外へ逃すよう、命令を下していたのだった。


 なぜだろう。そんなことをする必要はどこにあったのだろう。カンディールは自らの意思に反して北上する船の上で、ずっと考えていた。船室にこもって船酔いに苦しんでいる間も、ずっとだ。戦って死ねばそれで終わり、それでもよかったのではないかと思うのに、シャムス王国王族最後の一人となった『カンディール王女』はなぜだか分からず生き延びさせられてしまった。


 もちろん、カンディールが父を恨むことはない。何か意図があったのだろう、であれば尊重する。否定はしない。しかしだ、()()という感情は消えない。この先もずっと、カンディールはその疑問を抱えて生きていく。


 そして、当然ながら——カンディールは滅びた国のため、死んだ一族のため、何ができるかを考えて、結論を出した。


 復讐を。アルバラフィ王国を打ち滅ぼさなければならない。


 ちっぽけな少女にできるかどうかではなく、その目的は失ってはならないものなのだ。でなければ、何もかもが負けて失われて終わりになってしまう。戦いを終わらせるためには「勝ってすべてを屈服させればいい」のだ。


 カンディールは冷静に、淡々と、そう考えていた。


「戦いはまだ終わっていない。誰も終わらせられていない、ならばまだ、私は戦う」


 とはいえ、重要なことをカンディールは語らない。どうすればその戦いは勝てるのか、復讐という目的はどうすれば達成できるのか、それは今考えてもどうしようもないのだ。王子の通訳でしかない今のカンディールは、せめてその役目を果たし、それから考えるべきことが多かった。


 ふと、カンディールはイルデブランドの顔つきが変わっていることに気付いた。同情か、あるいは憐憫の目で、カンディールを見ている。


 カンディールは考え違いをさせないよう、こう付け足した。


「サイフ、私はあなたを利用しようとは思っていない。それは炎の魔人(イフリート)に誓って本当だ、私は今はあなたの通訳を務めるためにここにいる。あなたはあなたの戦いをしてほしい」


 その言葉をどう受け取ったのか、イルデブランドは鼻息荒くカンディールへ問う。


「君の仇は誰だ?」

「それを聞いてどうする」

「手伝うことはできる」

「無駄だ。あなたは自分の国を守るという義務がある、まずはそれをこなせ」

「こなせば、君は僕の話を聞いてくれるのか」


 カンディールは、食い下がるイルデブランドをあしらう。


「そうだな。私はあなたに力を貸す、今の私にできることは、培ったいくつもの言葉を使うことだけだ」


 もはや王女の称号を失ったカンディールには、国を背負うこともできず、戦争の当事者となることもできない。


 そして、世間知らずで心優しい青年イルデブランドに、それをさせたくないのだ。イルデブランドにまで戦場を味わせる必要などないし——艦隊の視察が終われば王都へ向かわせて戦場に近づけさせない、そういう流れになることを、カンディールは願った。


 船は南下し、クエンドーニ王国南端にあるニーロ海に面した港湾都市プリアロッジアへと急ぐ。

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