第四話 誠実、戦場、選択
ヴィーチェはやれやれ、と目の前の少女と青年のやり取りを眺めて、それから話を進めた。
「ところで、殿下。そろそろ王都へお帰りになりますか?」
「そのつもりだったが、少し用事が増えたんだ。海軍艦隊の視察に行くように、と国王陛下から命じられて、このまま南の港湾都市プリアロッジアに駐留しているニーロ海艦隊と合流しようと思う」
「では、船の手配が必要ですな。少々お待ちを、明日にでも出港できる足の早い船を探しておきます」
「ああ、頼む。どうやら、戦争が近そうだ」
戦争。あまりにもイルデブランドにはふさわしからぬ言葉だ、とカンディールは思った。確かに彼は剣術を修めているようだが、カンディールが見てきた戦争に臨む戦士に比べれば、あまりにも気性は穏やかで、血と砂を思い出させる戦場の匂いなどかけらも感じない。
それに、ヴィーチェは世話人としてか、イルデブランドへ釘を刺した。
「殿下、ご自分も参戦するつもりとはおっしゃりますまい?」
「ま、まさか!」
「目を見て話されませ」
イルデブランドはバツが悪そうに、ヴィーチェから目を逸らしたまま押し黙った。
往々にして、若者は戦争というものを軽々に考える。戦えば得られるものがあると信じて好戦的であり、若さゆえに根拠のない万能感に溢れ、誇張された栄光しか目に入っていないからだ。人はそれを、愚かと言う。
ましてや、たかが剣の心得しかない王子が今の世の戦場で戦うなど、ありえない。銃弾を剣で防げるか? 王子の肩書は人を率いるに足るとなぜ言える? イルデブランドは本物の愚か者なのか、世間知らずの王子様でしかないのか、カンディールはいまいち評価に迷うが、どのみちそれほどいい印象は持っていなかった。
戦争への憧れを消しきれていない青年イルデブランドは、年長者に諭される理由を自ら作ってしまっていた。ヴィーチェがきっちりと現状を認識させる。
「いいですか。もう現代の戦場は、大砲と銃の世界です。それは海の上でも同じ、いくら剣術が優れていても、それだけではどうしようもありません」
「そんなことは分かっている。だが、僕だけ安全な場所にいるというのは、将兵たちの士気に関わる。ただでさえ各都市の出身者ごとに閥があるんだ、彼らを団結させるには上に立つ者が率先して戦わないと」
「戦うのですね」
「あっ……」
しっかりと、イルデブランドは墓穴を掘った。ヴィーチェが己よりも一枚も二枚も上手であることをもっと早く認識すべきだったし、それすらもできない者が戦場で何をするつもりだ、と言外に聞こえないのであれば、今すぐに王宮へ押し込めるべきだ——戦場は子どもの虚栄心を満たすための遊び場ではないのだから。少なくとも、カンディールは冷静にそう思っていた。
育ちのいい青年は、それ以上の抗弁を諦め、謝罪する。
「すまない、嘘を吐いてしまった」
「そうですね。あなたは兵のためにと口にしますが、実際のところご自分が戦場へ行きたいだけです。それが王子として正しい振る舞いであるのか、しっかりと考えるべきだ。違いますか?」
「それは」
容赦ないヴィーチェの目は、真剣そのものだった。若者を諭す老人として、王子を気遣う臣民として、イルデブランドに対しここまで誠実であらんとする者はどれほどいるだろうか。ヴィーチェには、責任ある大人として王子に対応するつもりがある。高慢なおぼっちゃまであれば癇癪を起こして制止を振り切るだろうが、幸いにしてイルデブランドは迷い、そしてカンディールへ目をやった。
「カンディール、君もそう思うか?」
イルデブランドが慈悲を乞うつもりであれば、カンディールはその役目を果たすことには絶望的に向いていない。
なぜなら、カンディールは父王にもヴィーチェにも、相手が何人であろうとも、誠意を尽くすべきだと教えられてきたからだ。その誠意とは、気遣いや甘やかしとは縁遠く、厳しい現実を見据えた実際的な思考から生み出されるものだった。
「はい、先生のおっしゃるとおりです。あなたは戦わなくてもいい身分に生まれたのだから、その境遇を喜びこそすれ、疎むのはお門違いです。それに、戦いなどやらずに済むに越したことはありません」
カンディールの言葉に、イルデブランドと、ヴィーチェが納得していた。一人はそうあるべきと思っていた道がやはり正しいのだと教えられて、もう一人は教え子が厳しい現実を踏まえた発言をよしとしながらも冷静にあろうと努力する姿勢に、それぞれが少女が只者ではないことを認めた上で、現状に納得する。
「ふう、分かった。僕は戦いはしない、心苦しいが……ああ、そうだ。話は変わるが、通訳はいないか? どうやらニーロ海艦隊には南大陸出身者もいるらしい、各艦の艦長クラスにもいるとか。意思疎通が取れなくては困る、誰か」
すぐさま、ヴィーチェはカンディールへ短く確認する。
「カンディール、行ってくれるかね?」
「はい」
カンディールは即座に了承する。
目の前の素早いやりとりに、イルデブランドは目を丸くしていた。
「君が? いや、船に乗るんだぞ、それに」
「大丈夫です。南の大陸の方言、正則言語、世俗言語、すべて話せます。もちろん、この国の言葉も理解できます」
カンディールは当然であるとばかりに自分のスキルを提示する。実際に今、明らかに南大陸出身であるカンディールがクエンドーニ王国王子イルデブランドと問題なく会話できていること自体が、通訳の役目を果たすことが可能であると示しているようなものだ。
ヴィーチェはさらにカンディールを推す。
「カンディールは賢く、決して殿下のお邪魔にはなりますまい。よろしければ、落ち着けば王都へ連れていってやってはもらえませんか。ここにいるよりも、将来の道が拓けるかと」
何もかも失ったカンディールを少しでもいい環境へ置かせるため、ヴィーチェのささやかな企みにカンディールは感謝したが——もちろん、何十年もニーロ海を支配してきた稀代の大商人ヴィチェンテ・オルフェオがその程度しか考えていないわけもなく、年若いカンディールでも理解できる範囲であえて言うならば、ヴィーチェはカンディールの意思を尊重しようとしているのだ。
カンディールがこれから何を選ぶにしても、それをヴィーチェは止めない。そう言っている。
イルデブランドへの態度とはまるで異なるが、それは師からの最大限の配慮と贈り物であるとカンディールは受け止めた。
そうとはつゆ知らず、イルデブランドはヴィーチェの提案を受け入れた。
「そういうことなら、彼女の力を借りよう。よろしく頼む、カンディール」
「はい、お任せを、サイフ」
こうして、カンディールはクエンドーニ王国王子であるイルデブランドに『通訳』という身分で同行する大義名分を得た。
それは、カンディールへいくつかの選択肢を与えるものだ。
これから、イルデブランドとともにニーロ海艦隊と接触する。通訳としてその任を果たす。その後はどうするか? それとも——それを足がかりに、何をすべきか?
カンディールは、とりあえずはこう思った。
イルデブランドを戦場に立たせてはならない。
あなたは、あんなところに行く必要などないのだ、王子様。
最初に書き忘れたんですが、出来次第投稿という形になります。
多分、五時、十二時、十八時くらいを目安に投稿すると思いますが、それ以外の時間にもパラパラ投稿していくし、一日一回以上投稿することを目標にして、短期集中で終わらせようと思っています。無計画でごめんちゃい。