両親を亡くした親戚の子を育てることになったが、彼女が高校生になった頃から何故か未来の妻を自称して外堀を埋め始めている
「九条沙織です。よろしくお願いします」
小さな声、そしてつたない敬語で挨拶をされる。
相手は小学生。
小学生の女の子だ。
名前は九条沙織。
これから一緒に暮らす十一歳の少女の名前だった。
俺の名前は佐伯修一。
今年大学を卒業し、会社員になったばかりの23歳だ。
数年前、大学生の頃に両親を事故で亡くしてからいろいろと大変だったが、今は落ち着いて社会人をやれている。
そして両親が残してくれた家で一人暮らしをしていた。
一人暮らしをしていた。
のだが。
……それもついこの間までの話だった。
少し前から俺のもとに女の子が居候している。
それも小学生の女の子だ。
なぜ彼女が俺の元に居候しているのかというと、彼女に身寄りが無くなってしまったからだった。
数か月前、彼女も両親を事故で無くしてしまい一人になった。
小学生が一人で暮らすことなどできない。
誰かのお世話にならないといけないが、しかし他の親戚には問題があった。
他の親戚は病気だったり、老いた家族の面倒をみなきゃいけなかったりと、とても子供の面倒を見られる状況じゃなかった。
そこで白羽の矢がたったのが俺だ。
まだ一年目とはいえ社会人であり、また両親が残してくれた家もある。
他の親戚よりかは、子供を預ける環境があるという判断だ。
それに俺も彼女に関しては思うところがあった。
俺自身も数年前に家族を事故で亡くしている。
沙織に対して同情もあるし、また同じ立場だった俺ならいきなり家族を失った彼女に何かできることがあるんじゃないのか、と考えたのだ。
そういう経緯で俺は沙織との生活をスタートさせた。
そして数年後。
俺が27歳。
沙織が16歳になった。
最初の頃は家族を失ったショックや新しい環境への戸惑いでふさぎこんでいた沙織も、徐々に明るくなって笑顔を取り戻していった。
今では年相応の明るい女の子だ。
まあ、同年代の者よりか少しクールなところはあるが、それも彼女のもともとの性格だろう。
そんな沙織に関して、実は不安なところがある。
それは――、
「あら沙織ちゃん! 今日はおでかけ?」
「はい。うちの修一さんがどうしても行きたいらしいので」
「うちの修一さんがお世話になっております」
「あらあら、うちの、だなんて。もうすっかり奥さんね」
「はい、修一さんの未来の妻ですから」
沙織は頬を染めながら、そう発言した。
「ちちちちょっっと!」
俺は会話をするおばちゃんと沙織の間に入り込んだ。
「すみません急ぐので! さあいくぞ! 高橋さん失礼します!」
「はい。それじゃあ、高橋さん。失礼します」
「ばいばーい」
俺は別れの挨拶を交わす沙織の手を引っ張って歩いて行った。
そして少しばかり歩いて、近くの公園へと入る。
「なあ、沙織」
沙織の手を離し、振り向いて彼女の目を見て告げる。
「さっきのはなんなんだ?」
「さっき、とはなんのことですか?」
「未来の妻ってとこだよ」
そう、彼女の言葉。
未来の妻という言葉に俺は反応していた。
「何度も言ってるだろ。そういうことはあまり言わないようにって」
こういうことは、実は頻繁にあった。
彼女は定期的に、俺の未来の妻だと周囲に告げている。
最初の頃は、冗談かと思っていた。
沙織は普段俺の代わりに家事をやってくれていて、料理・洗濯・掃除等をしてくれている。
もちろん買い物もしているから、そのとき商店街のおじさんおばさんに「まるで修一君の奥さんだね」なんて冗談を言われていた。
その冗談に乗っているだけだと思っていたのだ。
しかし、最近は違う。
商店街の人たちに対して、自分から未来の妻ということを口にしている。
商店街の人どころか、近所のおばさん達や俺の職場の同僚にまで言う始末だ。
この間なんて、家に遊びに来た沙織の友人に対して俺のことを未来の夫と言っていたからな……。
めちゃくちゃキャーキャー言っていた。
それだけならまだしも、「この人があの沙織の旦那さん!?」と大声で言っていた。
さては沙織。ふだん学校で俺のことを未来の旦那といっているのか。
いや、どれだけ周りの人に言うんだよ。
これはもう冗談とかそんなものではない。
完全に外堀を埋めてきていると感じた。
未来の妻って。
ありえないだろう。
俺はもう27歳だ。
対して彼女はまだ16歳。
11歳も離れているんだぞ?
沙織だって、同年代の恋人を欲しがるはずだ。
俺のことなど、頼りになる親戚のお兄さんとしか思っていないはずだ。
それに、俺は沙織と小学生の頃から一緒に過ごしてきている。
数年とはいえ、彼女を育ててきたとも思っている。
俺にとっては妹のような存在だ。
妻とか夫とか、考える相手ではなかった。
……なかったんだけどなあ。
彼女と一緒に過ごすうちに、押し切られてしまいそうで。
というか、沙織のことを女性として意識し始めている俺もいる。
これに関しては責めないで欲しい。
沙織は美人だ。
身内のひいき目を抜きにしても、美人であると太鼓判を押せる。
道端ですれ違ったなら思わず振り返って見てしまうほどだ。
そんな美人と毎日一緒に過ごし、しかも家事をやってくれてお世話になっている状態なのだ。
仕事等でストレスたまっている時には悩みを聞いてくれたり。
落ち込んだ時にははげましてもくれる。
惹かれても、しょうがないじゃないか。
とはいえ、今まで妹のように感じてきたこともあり、彼女を受け入れるとは思っていない。
なんともおかしな気持ちだった。
いったいこの状況をどうしよう。
これは最近の悩みだった。
その日は外に出かけたが、しかし俺の頭の中は沙織のことでいっぱいだった。
しかし俺の悩みを知ってか知らずか、沙織の行動は止まらなかった。
ある時は家のリビングにゼクシィが置かれていた。
これはまたわかりやすいアピールだ。
付き合って三年目の恋人がやるタイプの圧のかけ方だ。
またある時は、『既成事実の作り方10選 ~これであなたも旦那持ち~』という本が彼女の部屋にあるのを見つけた。
既成事実を作ろうとしている!?
俺の心の中で、何かが危ないと警鐘を鳴らし始めていた。
そしてまたある時には、精のつく食べ物が夕食に出てきていた。
それも一週間連続で。
うなぎ、すっぽん、レバーなどなど。
一般的に精のつくと言われる食べ物を何日も食べ続ける毎日を過ごした。
……これは、いよいよやばいかもしれない。
前述の既成事実の本と相まって、危機感を覚えるのは十分だった。
そして俺は沙織と話をすることを決意したのだった。
「なあ。沙織は彼氏とか興味ないのか?」
ある休日の昼下がり。
ちょうど俺も沙織も一緒にいるタイミングだったから、俺は彼女に尋ねてみた。
「彼氏? それはどういう意味ですか?」
どういう意味ってどういう意味?
「そのままの意味だけど。ほら、沙織は美人だからモテるだろ? クラスメイトに彼氏を作りたいとかは考えていないのかなと」
「ありえません」
俺の言葉に対して、沙織は即答した。
「クラスに彼氏なんていませんし、考えてもいません。クラスの男子なんて興味ありません」
沙織はきっぱりと言う。
「私、年上好きなので」
「そ、そうか。じゃあタイプなのは高校の先輩とかか? それとも大学生の彼氏が欲しいとか――」
「高校の先輩も、大学生にも興味はありません」
「私はもっと年上の人が好みなんです。例えば、社会人とか」
「そ、そうか……。ずいぶん年上がすきなんだな」
「はい。いいですよね、社会人の恋人って。経済的に自立していて立派ですし、包容力があって頼りにもなりますし」
「スーツ姿がかっこいいですよね。毎日会社に行くときの後ろ姿がほれぼれしてしまいます。それに会社から帰ってきて疲れてきた姿は可愛すぎます! 私が癒してあげたいって母性がわいてきちゃいますね。ネクタイを外している時のしぐさなんていったらもう……! はぁぁ、かっこいいのに可愛いなんて、反則です」
沙織は頬に手を当て、恍惚とした表情でつぶやく。
「私はそういう大人の男の人を支えられる女性になりたいですね」
「そ、そうか。それは……がんばってくれ」
俺は彼女の勢いに圧倒されながら、小さな声で応援をする。
すると――、
「何を他人事みたいに言ってるんですか? 私は修一さんのお嫁さんになりたいっていってるんですよ?」
沙織は距離をつめ、俺の目を見つめながら顔を俺に近づけてそう言った。
「だって、修一さんのことが好きなんですから」
「俺のどこが好きなんだ。俺はもうおじさんだぞ」
「気になりませんよ。年上好きって言ったじゃないですか。まあ、修一さんが好きだから年上好きになったんですけどね」
「それとも、修一さんの好きなところを挙げた方がいいですか?」
「それならいくらでも言えますよ」
沙織は指を曲げて一つずつ言っていく。
「優しいところ」
「頼りがいのあるところ」
「かっこいいところ」
「ふとした仕草が可愛いところ」
「私がさみしい時にいつも構ってくれるところ」
「私が辛いときに、そばにいてくれたところ」
「も、もういい。やめてくれ」
気恥ずかしくなって彼女を止める。
「……本気で言っているのか。結婚したいなんて」
「当たり前じゃないですか。というか私たち、むかし婚約しましたよね?」
「え?」
「約束しましたよ? 私と結婚してくれるって」
「どのとき!?」
「小学生のころです。大きくなったら修一さんのお嫁さんになりたいって言ったじゃないですか」
「あ」
その言葉をきいて、俺は思い出した。
沙織が小学生の頃。
彼女が両親の死のショックから立ち直り始めた時ぐらいかな。
その当時に言われたことがある。
大きくなったら修一さんと結婚する、と。
その時俺は、子供の頃の結婚の約束だと思って了承した記憶がある。
「いや、でも小学生の頃の話だし」
「子供の頃の話だからって、なかったことにはなりませんよ?」
「いやでも、あれは父親に向かって結婚してくれみたいな。そういう時が経てば冗談になるやつかと思って」
「本気ですよ。当たり前じゃないですか」
沙織ははあ、とため息をつく。
「小学校低学年ならともかく、当時の私は六年生だったんですよ? もう『父親と結婚する』なんて言う時期は通り過ぎてましたよ。私の修一さんへの言葉は本気に決まっているじゃないですか」
「でも、俺と沙織は十歳以上も離れているし」
「今どき十歳程度、別に珍しいことじゃないですよね。まあ例え珍しくても結婚したいという意思は変わりませんが」
そして沙織はさらに顔を近づけてくる。
キスができるくらい近くに彼女の顔がある。
やはり美人だ。
その美貌に、不覚にもドキドキしてしまう自分がいる。
くそ。
こういうところがいけないんだよな。
そうわかっていても、感情は止められなかった。
「修一さん」
「な、なに?」
沙織はささやく。
「私、おおきくなりましたよ。16歳になりました」
「もう結婚できる年ですよ」
「修一さんと結婚できるようにいっぱい頑張ったんですよ?」
「料理も、勉強も、美容にも気を使って」
「全部修一さんの奥さんになりたいからです」
「大好きです」
「ねえ、修一さん。私と結婚してください」
「でも、沙織――」
「今からキスをします」
俺の言葉を最後まで言わせずに、かぶせるように沙織は言う。
「嫌なら、私を押しのけて下さい。でも受け入れてくれるなら、このまま私とキスをして」
沙織は目をつむって口を突き出した。
キスをするときのように。
まるで誓いの口づけのように。
その姿に、俺は――。
「いいいやいくらなんでもそれは不味いというか、ていうかまだ沙織は16だし結婚は早いと言うか」
慌てて沙織を押しのけようとするが。
でも不思議と俺の腕に力が入らない。
押しのけることが、できない。
あれ?
なんで力が入らない?
ひょっとして、俺は本気で嫌がってはいないのか?
このまま沙織とキスしたいと思っているのか?
ひょっとして、俺も彼女との結婚を受け入れて――?
「なーんて、冗談ですよ」
唇があたる直前、パッと沙織は離れた。
「じ、冗談?」
俺は目を丸くしながら、間抜けな声を出す。
その姿をみて、彼女は「ふふ」と笑った。
「はい。冗談ですよ。そんな今すぐ結婚を申し込むわけないじゃないですか。私はまだ高校生ですよ? 法的に結婚できるからって、すぐに結婚をしたいと思うほどせっかちじゃありません」
「そ、そうか。それは――」
よかった、と呟こうとした。
しかし。
「結婚を申し込むなら、きちんと大学を卒業して、社会人になって、私も経済力を得てからするべきです。その方が私たちと、私たちの子供のためですからね」
沙織の言葉を聞いて、結婚自体は全く冗談ではないことがわかった。
まったくよくない。
「やっぱり今の時代は共働きですよね」
結婚することが、既に彼女の中で確定してしまっている。
現実的なプランを既に考え始めている。
どうしよう。
彼女が埋める外堀に、俺は抵抗できるのだろうか……。
だが……。
「大好きですよ。修一さん」
その魅力的な笑顔に、俺は見とれてしまう。
……抵抗するのは、無理かもしれない。
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