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風水師 繭  作者: おおみや
一章 獣の国グレーテ
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7 マナ同盟

 グレーテは町から少し離れた医療所に来ていた。高い塀で囲まれた白い建物は何の飾り気もない石造りのもので、所々ひびがはいっていた。

 誰もいない受付を通りすぎて中に入ると、床から埃が舞い散り僅かにカビの臭いがした。薄暗い廊下を歩くと灯りが点いていない部屋の窓が奥まで並んでいた。グレーテは突き当たりの部屋で、小さく深呼吸をした。

「入るね、母さん」

 グレーテが扉を叩き病室に入るとベッドの上で体を起こし窓の外を見つめる山羊の獣人がいた。すでに首から上はほとんど人ではなかった。

「おや、グレーテかい」

「うん、体の具合はどう」

 グレーテは棚に置いてある花瓶を手に取った。

「今日はだいぶ、調子がいいよ」

「そう、よかった。お花代えるね」

 母はグレーテの方に体を捻ると怪訝そうに目を細めた。

「おまえ、父さんはどうしたんだい」

 グレーテは持ってきた木筒で花瓶の水を替えると棚に置きながらうつむいた。

「それが、ダメだった」

「え」

「連れて帰れなかった。ごめん」

 母は拳を握りしめると自分の太ももを強く打った。

「おまえはどうしていつも嘘をつくんだい。父さんをここに連れてくるって言ったじゃないか」

 グレーテは母の顔を見ずに声を絞り出した。

「頑張ったんだけど、もうみんなのこともわからなくなってたんだ」

「それは、なにかい。あたしもそうだって言いたいのかい」

 母は深いため息をつき、何度も自分の太ももを打った。

「違うよ」

「おまえはいつもそうだ。嘘ばっかり。美味しいものを持ってくるとか言って何にもありゃしない」

 その言葉にグレーテは力なく目を閉じ天を仰いだ。

「母さん、このまえ鹿の肉を持ってきたばかりじゃない。美味しいって言ってたじゃない」

「何言ってんだい。そんないいものもう何年も口にしてないよ。グレーテ、おまえ、自分だけ鹿の肉を食べたね。匂いがするよ」

「これは、友達がうちに来たんだ。それで残った鹿の肉を一緒に食べたんだよ」

 母親は目を見開き身をのり出して怒鳴った。

「だから、どうして嘘をつくんだい。おまえ、友達なんか連れてきたことないじゃないか」

「できたんだよ。繭っていう子。旅人なんだよ、すごく変わった子なんだ。優しい子だよ、一緒に父さんを助けに行ってくれたんだ」

「それで、おまえ達で父さんを殺したのかい」

「な、なに言ってんのさ」

「獣になった父さんをふたりがかりで殺したのかい」

「母さん、」

「あたしには全部、お見通しなのさ。なんにもごまかせやしないんだよ」

 小さく深呼吸をして母に背を向けるとグレーテはゆっくりドアに向かって歩き出した。

「また来るね、母さん」

 精一杯の笑顔を見せるとグレーテは部屋を出ていった。背後から鳴った舌打ちの音には気付かないふりをした。

 グレーテは町へ歩きながら遥か昔のことを思い出していた。頼れる城の騎士である厳しい父。美しく優しい母。よく三人で散歩した想い出はグレーテの宝物だった。

 いつからこんな風になったのだろう。暇があると漠然と考え、そのまま頭を空っぽにすることが多くなった。




 大通りにある酒場で若者達が腰掛けていた。口々に注文する声が飛びかい酒を注ぐ音や料理を配る雑踏のなか、誰かに捕らえられた野うさぎが走り回っていた。

「どうしたのグレーテ、元気ないね」

 とんがり帽子を被った若い女が言った。

「ううん、そんなことないよ。マーズは心配性だね」

 グレーテはグラスをつまみながらいった。

 マーズはマナ同盟でもしっかり者でグレーテ達の姉のような存在だ。


 ここは獣化の際にマナを授かった人間が集まる場所。

 あるものは指先から炎を走らせ、あるものは突風を起こし宙に浮いて見せた。

 その姿に当初は人々に恐れられ神の生まれ変わりと崇められた。羨望の眼差しを謳歌していたがそんな存在を国が放置するはずがなかった。いかに強力なマナとて一人の人間であり、弱味を握られるとどうすることもできなかった。

 次第にマナを持っている者を見つけるとまずは城に密告され、家族を把握し脅しをかけられるようになった。彼らにはどこにも逃げる場所はなかった。

 マナを持つものが徒党を組むようになったのも必然だった。城の命令で戦に参加する代わりに報酬と親族の身の安全を約束させたのだ。

「せっかくもうすぐ戦が始まるのに」

 マーズは自分のグラスにぶどう酒をつぎながら言った。

「ああ、やっと暴れられる。しかしグレーテ、新しい友達ができてから変じゃないか」

 天にそびえるような角が生えた牛の獣人が、腕を鳴らしながら骨付き肉を頬張っている。

「べつに変じゃないって」

 グレーテはかぶりを振った。

「まさか戦に行きたくないの?」

 マーズはいつもと違うグレーテに気づいていた。グレーテはなにも言わずグラスのなかに氷のため息をついた。

 父を騎士にした戦。父を獣にした戦。自分も足を突っ込んでいる。事情はどうあれ戦に赴き人を殺し獣化が進んでいる。

 父と同じようにほとんど獣と化して味方を傷つけて、訳のわからない女に首を跳ねられて死ぬのか。

 グレーテは朧の事を考えては口元を歪めていた。

「最初は嫌がってたけどもう楽しいもんな。前の戦なんかはけっさくだったぜ」

 牛の獣人が骨をしゃぶりながら言った。

 半年前に滅ぼした小国のことだ。

 小さな国の軍では獣の国の相手にならなかった。その地はもはやマナの見世物の場となっていた。敵国の兵士たちはなすすべもなく、焼かれ潰され縛られ落とされそして凍らされていった。

 グレーテは壁に貼られたメニューや酒の宣伝ビラに目をやりながら思い出していた。

 初めて人間を凍り漬けにしたとき、グレーテは一瞬自分のなかで時間が止まったことを感じた。頭が空っぽになり、現実ではないどこか夢の世界へ逃げ込んだ。そして再びその氷漬けの死体を見たとき、もう今までの自分がいなくなっていることに気がついた。

 それからはこの力がおもしろくて仕方がなくなった。戦に行く前は川を凍らせて渡ったり他愛もないことをしていたが、ひとたび戦で使うと人間以外に使うことはほとんどなくなった。

 自分のなかには獣がいる。そう認めざるを得なかった。

 ただ繭に出会ってからは違った。その獣の本性を繭には見せたくなかった。

 弱い者の味方の繭があのときの自分を見たらきっと嫌いになるだろう。グレーテは胃が締め付けられるようだった。

「ほら、グレーテ、暖かいよほら」

 そう言いながらそばかすのある少女がグレーテの側に歩み寄ってきた。両手で水をすくうように、何かをおおっている。

「やめなってメイ、お店の中で」

「グレーテは戦に行きたくなーる。ほら、行きたくなーる」

 メイは両手のなかで燃えるマッチの火を、少しずつグレーテの顔に近づけていった。

「うるさい」

 グレーテは頬を膨らませるとマッチの火を吹き消した。

「ああっ、もったいない」

 メイは赤子の時に両親に棄てられていた。物心がついたころから金持ちの家庭の下働きとしてこき使われていた。飢えと寒さを凌げればそれでもよかった。六年前に邪気の封印が解かれると、意地の悪い娘達がそれを嗅ぎ付けメイを毎日封印の山へ連れていった。

 動物を殺し調理していたメイは邪気の影響を受けざるを得なかった。娘達は毎日メイの服を脱がせ、いつ獣化が始まるかと賭けをしていた。メイの頭から狐の耳が生えてきたとき娘達は飛び跳ねて喜んだ。

「なんだ、まだ食べてないじゃないか」

 店の扉をくぐりながら鷹の獣人が言った。グレーテはグラスを振って氷を鳴らした。

「まあ、ね」

「せっかく採ってきてあげたのに。苦労したんだよ、活きのいいやつをさ」

 鷹の獣人は腰に手を当て不満を漏らした。

「わかったよ。食べるって」

 グレーテは店のなかを走り回る野うさぎを抱き抱えた。昔なら間違いなく愛くるしさをなで回しているはずだった。今では器用に頭と両足を掴み思い切り引っ張ると、その首をへし折った。グレーテがそのまま柔らかい腹にかぶりつくと真っ赤な血が器に流れ落ちた。

「やっぱり飯はこうでなくっちゃな!」

 牛の獣人が腕を組ながら笑った。


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