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風水師 繭  作者: おおみや
一章 獣の国グレーテ
4/20

3 グレーテの父

「おはよ」

 窓から射し込む光に目を覚ますと、服や本が散乱した部屋にいた。繭は一瞬、自分が昨夜どこで眠ったかすっかり忘れていた。よく見るとグレーテは木の机に肘をつき、朝から血の滴る生肉をほおばっていた。繭がまぶたを擦りながら凝視しているとその視線に気が付いた。

「ああ、繭のはちゃんと焼いてあるから。食べるでしょ」

「あ、ああ」

 繭は起き上がり水場で顔を洗い終えたあと、ほどいていたおさげを編みはじめた。異国の地でこんなによく眠ったのは初めてだった。部屋に戻り腰を下ろすと机の上の皿には香ばしい匂いの鹿の肉がのっている。

「びっくりしたでしょ。前はこんなの食べなかったんだよ?今は生以外考えられないの。どう思う?」

「獣化の影響だと思う」

 繭は二本目のおさげを編みながら言った。

「そんなことはわかってるよ。変でしょ?羊なのに肉食なんて」

「確かにそうだな」

 言われてみればそうだったが、獣人が肉を好むことは繭が知る限り多かった。しかし朱鷺の獣人の母はいつも野菜を食べていた。丁寧に水で洗い皮を剥いてそのまま食べられるものは火を通さずに食べていた。ほかの物を食べているのを見たことはなかった。自分と兄だけで肉を食べていたのをはっきり覚えている。

 狩りを教えてくれたのは兄で獲物の追いかたや仕留めかたを習った。繭は朝から晩まで山の動物を追い回し、初めて野うさぎを捕まえた時のことを思い出した。

 泣きながら自分でその首を折り皮を剥いだ日、繭は眠ることができなかった。まだ温かい肉と内蔵を分け、食べられるように処理していく。生き物の命を奪うことがこうも容易く、そして重いものか。しばらくは頭のなかを渦巻き心を支配した。ただ一週間もすれば繭は一人で実に手際よく内蔵を取り分け、たまにばれないように肝臓をくすねたりもしたのだった。

「羊じゃなくて羊の獣人だからか」

「わかってるって。獣人獣人て言わないでよ」

 グレーテは目を細めてフォークを繭に向けた。

「あぁ、そうだな。すまない」

 やはり気にしているのか。繭には獣人の感覚はわからなかった。出会った時点で獣化していると、それが普通になる現実にあらためて驚きを感じていた。

 角がないグレーテはもう想像できなかったし、感情的に揺れる尾には愛着さえおぼえていた。

 思い起こせば自分は獣化する前の母の顔を知らないのだ。今さら人間だった頃の顔が見たい訳ではなかったが少し複雑な気持ちになった。

「ねえ、今日はどうするの」

 口の回りを血だらけにしながらグレーテが聞いた。

「やはりここの邪気を封印しようと思う」

「本気?絶対兵士が見張ってるよ」

 普通ならそう思うだろう。しかしそこにいるのは自分の母だとは言えなかった。封印の地は大概何らかの防壁が築かれ普通の人間は通れないようになっているはずだ。それを越えた所にいるのは風水師本人か関係のあるものだけだ。

「風水師として強制的な獣化を認める訳にはいかない」

「場所はわかるの?」

「ああ、龍脈が見える。場所はわかる」

「龍脈?」

 繭は風水羅盤を取り出して見せた。掌に収まるほどの大きさで、いくつもの線で区切られた金色の円にはたくさんの文字が刻まれていた。この羅盤を使いこなすことは風水術の基本中の基本だ。方角、天気、風向き、そして邪気を読むことができる。

「気の流れのようなものだ。風水師はそれが見える」

「ふーん、きのながれ」

「グレーテはどうするのだ」

 繭はよく焼けた鹿の肉を掴むと思い切りかぶりついた。焼けた表面がパリッと香ばしく、柔らかい肉は汁が塩と溶け合いとても美味かった。

「あたしは」

 グレーテはうつむき言葉を詰まらせた。

「まさか戦か」

「うん。でもあたしは戦わないんだ。父さんを連れ戻すの」

「父上を」

 繭の父は物心つく前に亡くなったと聞いている。年に一度墓を参るが父親が眠っているという感覚は全くなかった。何故か母は父の話をしなかった。自分には母と兄がいる。それで充分だった繭は父のことを聞かなくなっていった。

「父さんは城の兵士なんだ。今は騎士団長なの。でも、もう獣になる寸前で。それでも戦うって」

「相手はどこだ」

「みんなは修羅の国って呼んでる」

 繭は聞き覚えがあった。修羅の国。母の着物や刀の発祥の地だ。

「そこの当主が獣化したがってるって。初めてじゃないんだよ。あんまり大規模じゃないんだけど、何度もちょっかいを出してきてるんだ」

 繭は修羅の国のことは噂に聞いた程度だったがこのヴァリトラハンとは違って豊な国のはずだ。そんな国でも力を欲するのか。

「私も共に行くぞグレーテ」

「えっ、でもまずいんじゃない。風水師が戦に顔を出したら」

「大丈夫だ、戦いはしない。父上を連れ戻すだけだ。一人より二人のほうがうまくいく」

 グレーテはややあってからうなづいた。

「うん。一緒に来て。ほんとに父さんを連れ戻せればそれでいいから」


 町に出て馬を借りると水と食料を小さな鞄に積んで、戦火の村トーラへ向けて出発した。二人は道中をほとんど無言で揺られていった。

 今やヴァリトラハンは追うものから追われるものへとなっていた。獣人の力をまざまざと見せつけ他者を侵略しそのままで済むはずはなかった。放っておけばどこまでその手を伸ばすかもわからない、他国からすればもはや蛮族と呼ばれる存在だ。それは当のヴァリトラハンの兵士達にも最早後戻りができないことを覚悟させていた。

「繭、大丈夫かな。やっぱり無理な気がしてきた」

「今心配しても仕方がない。あせるなグレーテ」

 トーラの村は馬の足なら半日で着く。戦が始まるまでに村に着きヴァリトラハンの軍を待ち伏せするのが理想だったが、見つからないようにやや迂回しなければならない。ふたりは干し肉をかじりながら日が真上に登る頃に目的の距離は稼いだ。殺風景な灰色の建物と茶色の砂地は相変わらずであまり栄えていない。修羅の国はここを落として拠点にするつもりだろうか。

「よし、この辺りで降りよう」

「うん」

 大きな岩陰に丁度よく木が立っていた。馬から降りると手綱を木にくくりつけ優しく首を撫でた。

「しばらくここで待っていてくれ」

 グレーテは繭の仕草を眺めながら自分も馬の頭を撫でてやった。

「繭は動物が好きなの?」

「ああ。山には沢山の動物たちがいるぞ。鹿や猪やリスたち、まあ馬以外は結局食べることになるのだが」

「食べちゃうのに仲良くできるの?」

 繭は一瞬黙りこんだ。

「そうだな、こちらがそう思っているだけだろうな。いくら愛情をもって接しても許してはいないだろう」

 そう言いながら真っ黒な馬の瞳を見つめた。実際に動物達は人間のことをどう思っているのか。彼らの表情を見てもなにも読み取れなかった。その時、遠くのほうで大勢の男達の怒声が聞こえた。ふたりは顔を見合わせた。

「繭、今の聞いた?」

「ああ、始まったようだ。急ごう」

 繭とグレーテは身を潜めながら村に入っていった。


 無数の蹄の音が地面を揺らしながら、北の国境沿いの村トーラは戦場になっていた。土煙が舞い上がり石造りの家屋はほとんどが破壊され、原型を保った建物はほぼなかった。数度の戦で村というより完全に廃墟だった。

 両軍勢に目をやると修羅の国の軍勢は騎馬兵が千に歩兵の侍が三千、ヴァリトラハンは騎馬兵五百に歩兵千五百といったところでせいぜい中規模だ。

 繭は侍を直接見るのは初めてだった。片刃の剣、刀を使い、こと一対一では右に出る者は無し。彼らには何か独特の雰囲気があった。その手にしていた刀は母の持つ愛刀に似ていた。ヴァリトラハンの兵は銀の甲冑を着こみ槍や斧など様々な武器を手にしていた。そして部隊を率いる長は全員獣人騎士だった。

 数に勝る侍たちは一斉に獣人たちに襲い掛かった。繭は見たことがない鎧兜に目を奪われた。その相手をしている巨大なサイの獣人は馬に乗った人間に劣らない背丈をしている。巨体を揺らしながら戟を振り回し侍達を一網打尽にしていく。怒声と共に人と獣人が入り交じり血煙と共に斬り合っている。戦というものにはどこか祝祭めいた、異様な雰囲気があった。

「グレーテ、父上はいるか」

「待って」

 グレーテは少し岩陰から身を乗りだし不安げに目を凝らした。

「ううん、いない」

 世の平和を願う風水師が公な戦に手を出す訳にはいかない。繭はグレーテの父を術で捕らえ馬で逃走するつもりでいたが、戦に慣れていないその考えは甘かった。

 両軍の騎馬同士は互角に斬り結んでいるが獣人と侍はまるで戦いになっていない。如何に卓越した者でも、訓練を積んだ獣人とまともに戦っては牙や角や爪に引き裂かれていくだけだ。

 グレーテの父はそれに加えて騎士団長だ。大人しく連れていかれる筈がない。ヴァリトラハンの兵は修羅の国の半分程度だがそれでも獣人の力が凌駕していた。

 

 押されはじめた修羅の軍勢の中心に、ひときわ目立つ派手な白馬がいた。銀の甲冑を頭から鼻に付けてあり胴には真っ赤な馬具が掛けてある。白馬に引かれる馬車は豪華な飾りが施された台座になっており、その中央に大きな座布団がしかれ若い女があぐらをかいて座っていた。長い黒髪を切り揃え鮮やかな模様の山吹色の着物と紫の袴を身に纏っている。

 眼下からは屈強な男が直立不動で大きな赤い傘をさしている。

 女は饅頭を手にしながら空いた手で指を伸ばした。

「誰かあの獣人を討ち取って見せよ」

 女の言葉を聞くやいなや騎馬達が声を荒げながら一斉にサイの獣人になだれ込んだ。

「朧様に獣人の首を献上せよ!」

 サイの獣人は戟を頭上で振り回し侍達を迎え打った。同時に襲い掛かる複数の刀を弾き上げ疾風のごとく一振りする度、確実に相手の頭を叩き割っていった。

「おお、やはり獣人は強いのう」

 朧は身を乗りだしケタケタと笑いながら湯呑みを掴みお茶をすすった。

「なんだ、あやつは」

 繭は朧の振る舞いに目を奪われた。到底戦場とは思えない。見たところ指揮官の用だが信じられなかった。

「あっ、あれ!繭!」

 グレーテが繭の袖を引っ張り叫んだ。その視線を追うとヴァリトラハンの騎馬に引かれ巨大な鉄の檻が運ばれてきた。その中で大きな熊の獣人が暴れている。

「父さん!」

「な、なんだと。あれがグレーテの父上か」

 熊の獣人というよりはもうほとんど獣と化している。額に斬られたような大きな斜めの傷跡がある。口から唾液を垂らしぼろぼろの麻の穿き物だけを身に付けている。檻に頭を打ち付けながら発しているのは聞き取れない叫び声というよりは咆哮だ。自我はもう失われる寸前だった。

「何で檻になんか入れられてるの!父さん!」

 グレーテは拳を握りしめ岩陰から飛び出した。

「待つんだグレーテ。もうそなたのこともわからないかもしれない」

 繭はグレーテを後ろから羽交い締めにした。ああなってしまっては手の施しようがない。

「でも、離して繭!あたしが行って確かめる」

 もがくグレーテを止めながら繭は胸が締め付けられた。

「グレーテ、連れ戻すのは不可能だ」

「嫌だ!」

 熊の獣人がついに檻を引きちぎった。

 両軍の兵士達は一斉に身構えた。檻から出た熊の獣人は幾度か首を回すと侍達に向かって雄叫びをあげた。

 槍や刀を前に一直線に突進すると圧倒的な力で腕を振り回し侍達を引き裂き始めた。その爪で一薙ぎすると兜ごと頭が吹っ飛び鎧がまるで紙のように裂けていった。

 獣の国の兵士達は声を荒げ槍を天に突きだした。

「団長はまだ戦うつもりだ。あんな姿になってまで国への忠誠を忘れていない。皆、団長に続け!」

 ヴァリトラハン軍は鼓舞し侍達に突進した。

「見よ、また新しいのが出てきおった。あの熊はもう獣になる寸前じゃ」

 朧は左右の膝を掴みながら身を乗り出し、細長い目を丸くした。

「よし、儂はあの熊の毛皮が欲しい」

 朧が右手を宙に出すと即座に大きな傘を持っていた男が立ち退き長い刀を持った男が現れた。両手でその刀、野太刀を抱え上げ柄を朧の右手にしっかり添えた。

 朧が柄を握ったのを確認すると音もなく体を滑らせその鞘を引き抜いた。

「さぁ、熊狩りじゃ」

 朧は野太刀を肩に担ぎ馬車から飛び下りた。その姿に繭は大きく瞬きをした。

「まさかあの者、戦うつもりか」

 朧がゆっくりと戦火に近づいていくが熊の獣人は急にうずくまり、低い唸り声を漏らすと腕で頭を抱え込みながら振り乱した。

「団長、しっかりしてください。団長!」

 熊の獣は静かに唸りながら味方の兵士達に振り返った。

「まずい」

 繭はほぞを噛んだ。熊の獣は雄叫びを上げながら四本足で味方の兵士達に飛び掛かった。

「ぐぁっ」

 悲鳴と共にヴァリトラハンの兵士が成すすべもなく引き裂かれ始めた。熊の獣は本能のままに暴れ狂い辺りには銀の甲冑と槍が飛び散った。

「なんと、これは愉快じゃ。さて、どちらが勝つかのう」

 朧は胸を踊らせながら左手を水平にしてでこにつけた。

「そんな、父さん」

 グレーテは膝から崩れ落ちると両手を地につきうなだれた。かつての凛々しい父の姿はもう微塵もなかった。

 非番の日でも、窓から外を見ると庭で剣を振っていた。戦うことで頭のなかはいっぱいだった。獣の国となり戦に明け暮れるようになってから、生活は目に見えてよくなった。肉を食べられるようになり広い家も手に入った。その日々に疑いを持ったことなどなかった。強ければ圧倒的に豊かだった。

 皆が獣の汗を流し、代わりに涙を流さなくなっていった。

 獣人、結構。

 獣人、結構。

「止めてください団長。我らがわからないのですか!」

「どけ!」

 サイの獣人が兵を突飛ばし割って入ると熊の獣と取っ組み合いになった。サイの角と熊の額を押し合い目を見開くと、お互いの肉体が震えながら膨張した。

「トラゴス、もういいだろう。この辺でもう勘弁しろ。おまえは国のために、家族のために十分戦った。なあ、覚えているか。川を侵略した戦いを。あの時俺達はいくらなんでも殺しすぎた。何の抵抗もしない村人まで八つ裂きにした。それは国のためだ。なんにもなかったこの国のためだ。だがな、もういいんだ。もう国は大きくなった」

 トラゴスは歯をむき出し咆哮で答えるしかなかった。

「獅子の王が獣と化せば今の体制は変わる。他国が黙っているとは思わんが、蛮族はもう終わりなんだ」

 サイの獣人は歯ぎしりを鳴らした。

「これではらちがあかんのう」

 朧は野太刀を肩に担ぎゆっくりとふたりに近づいていった。朧に気づいたサイの獣人が炎のように睨み付け眼下に吠えた。

「邪魔だ!修羅の姫よ。出る幕でないのがわからんのか!」

「お主がのろまなのがいけないのじゃ」

 朧が悠然に野太刀を振りかぶるとサイの獣人はトラゴスを突飛ばし戟を構えた。朧が華奢な体で牛馬のように踏み込むと、弓のようにしならせた身体から雷鳴の如く袈裟斬りが放たれた。辺りに血煙が舞うと場は静まり返り、サイの獣人の上半身が地面に落ちる音だけが響いた。

 繭は大きく息をのみ頭を横に振った。

「な、なんという、まて!やめろ!」

 朧は振り向き様に野太刀を一閃すると、黒髪をなびかせながらトラゴスの首を跳ね飛ばした。

「あぁっ!」

 グレーテは弾かれるように身を起こした。

「こいつ、よくも!」

 グレーテは歯を剥き出しにしながら手に氷柱を作りだし、朧に向かって突進した。

「駄目だ!グレーテ!」

 繭は右手の親指を小さく噛み切った。

「唵!」

 そのまま掌を足元に叩きつけると大地から砂煙が舞い上がり辺りは砂塵に包まれた。濃霧のように何も見えなくなると両軍のあちこちからどよめきが起こった。

「おお、急に、なんじゃこれは」

 朧は野太刀を肩に担ぎながら左の袖でバタバタと目の前を扇いだ。

「くっ、繭がやったの!」

 グレーテは身構えながら目が泳いだ。

「すまん、グレーテ」

 繭はグレーテの肩を掴み腹に拳で当て身を入れた。

「うっ、ま、繭、」

 繭は脱力したグレーテの身体を肩に担ぐとその場から走り去った。

「そこに誰かおるのか」

 繭はおっとりとした声に肝が冷えるのを感じた。


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