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風水師 繭  作者: おおみや
一章 獣の国グレーテ
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1 ヴァリトラハン

第一章 獣の国のグレーテ



 獅子が治める獣の国ヴァリトラハン。この国の民は獣化に身をゆだねることが定められている。本来なら既に邪気が封印されていたこの国は、獣化の悩みから解放されているはずだった。

 母がこの国の封印を解いてから五年で獣の国と呼ばれるまでになった。それまでのヴァリトラハンは単なる小国であった。

 渇いた砂地が多いこの地方は作物は細く、名産といえば僅かにとれる鉱物のみであまり豊かではなかった。

 少ない井戸を頼りに絶えず行列ができ、文化といえばその珍しい石で細工を作り旅の行商人に売って稼いでいたくらいだ。しかしたいした値はつかず、なかば周囲の国からは無視されるほどの存在感だった。

 そこに母が現れ邪気を封印した大岩を破壊したのだ。その日から国で一番高い山、カイラ山より黒い邪気が沸き上がり風に乗って国中を漂った。なにも知らない人々は祖国に起きた不幸を定めとして受け入れるしかなかった。ためらいながらも次第に獣化していった国民たちは、強靭な肉体と溢れる闘争本能に驚愕した。それまでなんの取り柄もなかった国が獣人の力をもって他国に攻め入るまでにそう時間は掛からなかった。

 獣人が人よりも素速く強いことは知られていたが人に忌み嫌われ、目立つ騒ぎを起こすと男達に殺されていたし、風水師がそもそも邪気を封印していた為に国家単位で群れをなすということは起きた事がなかった。

 次々と隣国を攻め落とし勢力を拡大していったヴァリトラハンに大陸は驚愕した。当然同じように獣化を願う者が多数現れた。獣人に対抗するには獣人になるしかないと。しかし邪気が漏れている土地は限られており意図的に獣化などできようはずもなかった。

「ここが獣の国か」

 繭は馬から降り手綱を引いていた。六日も歩き倒しで流石に疲れが見える。限られたものにしかその価値はわからないが念のため鏡は懐にしまっておいた。

「なにか美味しいものを手に入れよう。今日は休んでいいぞ」

 このアレナの町も砂地ばかりで緑がなかった。春だというのになんの花も見当たらない。大きな石造の家が立ち並び道も舗装され、一見栄えているように見えるがどこか寂しげだな雰囲気だった。

 当時のヴァリトラハンがまず渇望したのが自然だった。獣化した際、川を跨いだレギムの国が真っ先に狙われた。その後は草木が豊かなテルビラが侵略された。この国は首都から遠ざかるにつれて侵略で手に入れた自然が増えていく。

 繭がすぐに気になったのは匂いだ。生臭いような、鼻をつんざく野生の匂いが漂っている。

 この国は戦の勝利によって栄えてきたが、かつては格式高く整然とし美しい街並みだった。綺麗な城下町に毅然とした城があり貧しくても国の手本のようであった。しかし獣化が進むにつれ街の景観は荒れていった。

 やはり美しさに対する感情は人特有のものなのだろう。もはや本人達は美に興味などないのだ。邪気が出ている場所は遠からず荒廃していく。

「まずは宿を探すか」

 繭は建ち並ぶ石造りの店の前を歩くと街を行き交う人のほとんどに獣化の兆候があることに驚いていた。

 店先に立つ者たちも猫の頭の若い女や、なにかの角が頭に生えた者などの獣人ばかりだった。

 どこの国でも子供は獣化が進んでいない。土地によっては晩年からだ。だがここでは繭と変わらぬほどの若者が既に獣化の兆候が見えていた。獣人が子を残すと人間の赤子が産まれるが獣化の速度が上がると云われている。

 繭ははっきり覚えていた。

 人は邪気を吸うと獣になる。その事を祖母から聞いたとき幼い繭は母のような姿になりたいと思った。首から上は完全に朱鷺に獣化していて豪華な白い着物を纏った凛とした姿に。その事を母に告げたとき、母は何も言わずに首を横に振った。

 しかし年月と共にその思いはだんだん薄れ複雑になっていった。自分の体が、顔が獣と化していくとき、どのような感情になるのか。次第に不安と恐怖心が芽生えていった。

「あっ!ダメだよ。待って、お姉ちゃん!」

 町の大通りに差し掛かったとき、ふいに赤い髪をした五つほどの小さな女の子が駆け寄ってきた。

「おぉ」

 繭は突然のことに驚いて小さく仰け反った。

「どうした、娘。なにがダメなんだ?」

 女の子は両手を広げ身を乗り出した。

「どうしてまだ獣化してないの?お姉ちゃん。獣化してないと食べられちゃうよ?」

 繭はしゃがみこんで女の子の顔を覗きこんだ。この子にはさすがに獣化の兆しはなかった。

「ほう、誰に食べられるんだ?」

「王様っ、獅子の王様だよ!」

「え?」

 無邪気にそう言う子供に繭は目を丸くした。

「大人になるまでに獣化してないとつれてかれるの!友達が言ってたもん!」

「こら!アシュリー!」

 声のした方を振り向くと母親らしき女性が慌てて走ってくるのが見えた。

「旅のお方に余計なことを言うんじゃないよ」

「えーっ、だって」

 アシュリーは口をとがらせながら母親の手を握った。

「すみませんね。どうかお気になさらないでください。ほら、行くよ」

「じゃあね、お姉ちゃん!早く獣化してね!」

 アシュリーは振り返りながら手を振った。

 ヴァリトラハン王が国民を食べる。王の獣化はどこまで進んでいるのか。そもそもなぜ自国の民に手を出すのか。恐らくは獣化を拒んだ罰か見せしめか。しかし王自身とて例外なく最後には獣と化すのだ。

 長い尾が生えた母親に手を引かれるアシュリーを眺め、繭は昔の自分を重ねていた。母は我が娘をあやすような人ではなかったが幼い繭が手を伸ばすとしっかりと掴んでくれた。既に母の顔は朱鷺であり表情はなかったが繭には微笑んでいるように見えた。


 繭は宿屋に着くと馬を柱に繋ぎ顔を撫でた。

「プッチ、少しここで待っていてくれ」

 扉を開けるとキツネの頭の店主が振り返りながら繭を出迎えた。

「いらっしゃい。只今部屋が埋まってまして。もうすぐ空くと思うのですが、なにか軽い物でも作りましょうか」

 繭は最初ぎょっとしたがこの街の雰囲気にもに慣れつつあった。

 ここ数日間、干し肉と水だけしか口にしていなかった繭はほっとした。異国の地で食事をするのは数年ぶりだったので繭は手に汗をかいていた。里では山から下りることは固く禁じられていたので、外の世界を見ることごできるのは限られた修行の時だけだった。繭は蕎麦を頼もうと思ったが品書きになく、うどんもない。仕方なく繭は初めて聞く麺料理を注文することにした。

「すぱげてぃを頼む」

 繭は水を飲みながらこれからのことを思案した。どうしたものか。皆が獣化を求めているのならば風水師の出番はない。だが民も獣化を望んでいるとは到底思えない。獣人になると闘争本能がますがそれでも万人が人殺しに参加したいと思うわけがない。繭は小さく息を飲みながら試練の日に殺めた狼の獣達のことを思い出していた。

 本人の意思などお構いなしでどこでも弱者はされるがままだ。無理強いされているのなら繭は止めたかった。

 自分の心で決めるべきだ。

「へい、お待ちどうさま」

 店主が机に品を置くとやはり繭が見たことがない料理だった。橙色の麺が皿に盛り付けられているが汁がなく麺だけで食べるようだった。金属製で三ツ又の槍のような道具が一緒に置いてある。

「主人、ひとつ聞きたいことがある」

 繭は懐から箸を取りだしながら言った。

「なんでしょう」

「王が国民を食べるというのは本当か」

 唐突な質問に店主の表情は一瞬強ばったがすぐにもとの柔らかい顔に戻った。

「はぁ、なんのことでしょう。そんな恐ろしい話は聞いたことがありませんよ。誰が言っていたんです」

「いや、それは」

 そう返された繭は答えに詰まった。まさかアシュリーの名を出す気にはならなかった。

 その時少し離れた席から低い笑い声が聞こえた。

「あんたよそ者だな。悪いことは言わねえ。そんな話はしない方がいい。ここは愉しく団らんするところたぜ」

 乱暴に酒をグラスにつぎながら髭の生えた男が割り込んできた。その腕は毛むくじゃらで、大きな爪が生えていた。

「しかし、本当なら聞き捨てならん」

 繭は男の方を向きスパゲティを頬張りながら言った。もちっとした独特の歯ごたえの橙色の麺は、ほのかに酸味がありとてもうまかった。

「やれやれ、どっからきたのか知らんが、世間を知らんお嬢ちゃんかい」

 男は酒を煽りながら肩をすくめた。

「なんだと」

 繭は水を一口飲み込むと、グラスを机に置き身を乗り出した。すると男はかぶりを振りながら嘲笑した。

「そんなだから大事な馬をやられるんだよ。常識ってもんを知らねぇ。間抜けなご主人でかわいそうに」

 繭はぶたれたように入り口を振り返ると机に銭を投げ捨て外へ飛び出た。

「プッチ、どこだ」

 柱に繋いでおいたプッチがいなくなっている。里の人間以外を乗せることはない馬だ。

「まだ遠くへはいってないはずだ」

 繭は立ち止まり耳を澄ませると宿屋の脇の路地裏に入った。地面を注意深く見ると、馬の足跡と共に複数の裸足の足跡があった。

 急ぎ足で路地裏を進むと奥からプッチの鳴き声がした。声のする方に走るとボロく崩れた石造りの廃墟の中で獣人が複数うずくまっていた。

「貴様ら、そこでなにをやっている」

 犬の獣人が三人で倒れたプッチを囲いこみ、その腹に歯を立てていた。そのうちの一人が振り返ると口元と手が血まみれだった。

「なんということを!」

 口元を拭いながら犬の獣人は繭に詰め寄った。

「なんだ、おまえは。久しぶりに生きのいい飯にありつけたんだ。邪魔すると容赦しねぇぞ」

 犬の獣人の口からは、血に濡れた長い舌がだらりと垂れていた。繭が目を細めると、その眼光が鋭く光った。

「言いたいことはそれだけか」

「なに」

 繭は柄に手をかけると剣を抜きながら鋭く踏み込み、犬の獣人の右腕を斬り裂いた。

「ぐぁ!」

「なにしやがる。この野郎!」

 二人目の犬の獣人が繭に飛び掛かった。しかしあっさり牙はかわされすれ違いざまに足を斬られた。繭は剣を振り血糊を地面に叩きつけた。

「うわぁ!」

 犬の獣人は情けない声をだして倒れこんだ。斬られた太腿を押さえのたうち回っている。三人目の獣人は慌てて地に額を擦り付けた。

「ま、待ってくれ。あんまりうまそうだったんで我慢できなかったんだ。許してくれ。頼む!」

「勝手に命を奪っておいて、それで済むと思っているのか」

 犬の獣人は顔を上げた。

「いや!あんたの馬は、まだ生きてる!」

「なんだと、どけ!」

 繭がプッチに駆け寄るとその腹は無惨に裂かれていた。臓物をほとんど喰われ生きているはずがなかった。

「貴様、」

 繭が振り向くと既に背後から犬の獣人が飛びかかっていた。大きく開いた口からは、その鋭い牙の一本ずつまではっきりと見えた。

「なに」

 不意を突かれた繭が動けずにいた刹那、大気が異様に冷たくなるのを感じた。一瞬の内に空中で犬の獣人が凍りついた。

「こ、これは」

 そのまま地に落ちた獣人の体は砕け散った。繭は人の気配を感じ振り向くと十六、七ほどの若い女性が立っていた。

 羊の獣人だ。顔は人間だが頭には角が渦巻き瞳孔は四角い。袖のない青い服を着ている。腕と足には獣化の兆候はなかった。

「ひいい」

 残りの犬の獣人たちは一目散に逃げだした。繭は小さく息を吐き出した。

「どうやら助けられたようだな」

「まあね。油断しすぎだよ。ここは獣の国なんだからさ」

 繭は剣を納めながら歩み寄った。

「私は繭と申す。そなたは」

「あたしはグレーテ。まぁ、見ての通りだよ」

 グレーテは前髪を指でくねらせた。

「先ほどのはマナだな」

 マナとは獣化の際に極稀に授かる自然の力のことだ。このために邪気を吸いにくる者もいるが万にひとつ、雲を掴むようなものだった。

「そうだよ。珍しいの?」

 グレーテは小さく鼻を鳴らした。

「マナ事態は見たことはあるが、氷は初めて見た」

「そう。誰の?」

「私の母だ。数えるほどしか見たことはないが」

 母の左手には災いをはねのける力があった。昔、里に降った豪雨のせいで土砂崩れが起きたことがあった。村が飲み込まれそうになったとき母が立ちふさがり人々の目の前で片手を振ると、土砂がまるで塵のように吹き飛ばされたのだ。その鮮烈な光景は今でもまぶたに焼き付いていた。

「ふーん、何のマナ?」

「それは言えない」

 やはり教えるわけにはいかない。それに何のマナかは繭にもはっきりしなかった。基本的には自然の力のはずだがあまりにも謎が多かった。

「そっか。面倒だもんね。こんな力」

 グレーテはそういうと指で摘まんだ棒の先に息を吹きかけて氷の玉を作った。

「で、この国の印象はどう」

 繭は口に手を当て少し言葉を選んだ。

「正直戸惑っている。まさか獣化を受け入れる土地があるとは」

 本来なら獣化の原因である邪気を封印し称えられる。それが普通であり風水師である母は現にそうだった。

 民は村人全員で手を合わせ地に頭をつけ感謝していた。

 自ら獣化を望むというのはその過去を否定されたような気がした。それに獣化が進めば自我は消え去り完全に獣になる。

 この国の王は自らが獣と化す気ならその後民はどうなるのだ。

「しかしかわいそうな事をした」

 繭は懐から護符を取り出すとプッチの方を振り返り撫でるように額に張った。そして落ちている一本の釘を拾い、乾いた地面に呪文を刻み込んでいった。その中心に釘を打ち込み手を添えると印を結び呪文を唱えた。すると小さな爆発音と共にプッチの下に大きな穴が空いた。プッチがそこに落ちると繭は土をかぶせていった。

「ちょっとなに今の。なんのマナ?」

 グレーテは両手を膝につきながら目を丸くした。

「いや、これは術だ」

「術?」

 繭は線香を取りだしその先で指を滑らせ火を着けると、土の山に立てていった。

「ああ、特別な修行を積んでいる」

「ふーん。ねぇ、宿はもう決めたの」

 グレーテは氷の玉をなめながら言った。繭はさっきの宿に泊まる気にはなれなかった。

「いや、まだだ」

「じゃあ今夜はあたしんちに泊まっていきなよ。この近くなんだ」

 ややあって繭は拝みながら返事をした。

「ああ、そうさせてもらう」


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