親の顔色を伺う子ども
それから私は毎日のように「施設」のある道を曲がった。
「施設」の前をゆっくり歩きながら中を覗き見て、通り過ぎるとUターンしてまた覗き見て帰るようになっていた。
どうすればここに住めるのだろう、そんなことばかり考えていた。
そんなある日、いつものように、私が門の前を通り過ぎ、Uターンして振り向くと、女の人がにっこり笑って門の外に立っていた。
「こんにちは!」
彼女は優しそうな笑顔で私に呼びかけた。
私は驚きの余りのけぞってしまった。
いつも「先生」と呼ばれている女の人だ。
彼女が言った。
「いつもここ通るよね、おうち、近くなの?」
彼女は優しい口調で言ってはいるが、毎日覗き見していた事を咎めているに違いない、と私は思った。
「先生」は優しい顔をしながら実は心の中で「何しに来たんだ、出ていけ」と言いたいに違いないと、根暗少女のいつもの思い込みで私は恐怖心に満たされ、覗き見たことを後悔した。
「ごめんなさい、もう来ません!」
思わずそう誤って頭を下げ、下を向いたまま目を合わせることもできないでいると、その女の人は座り込んで私の両腕をやさしく掴んだ。
「いいのよ、いつ来てもらっても大歓迎よ。一緒に遊ばない?」
私がもじもじして答えに困っていると今度は子どもたちがやって来た。
その中には高校生ぐらいのお姉さんがいて、私は彼女に目を奪われた。
ほっそりとしていてロングヘアーで色が白く、目は外国のお人形のようにパッチリしていた。
私はお姫様にでも出会ったかのような驚きで、お姉さんの顔に見入ってしまった。
しかし次にどうしたらいいのか分からず、おしゃべり下手な私は言葉も出ずに立ち尽くしていた。
するとお姉さんが言った。
「ちょうどおやつの時間なの。食べていかない? 寄り道したら叱られちゃうかな?」
「ねえ、お母さんいる? 僕んちはもうすぐお母さんが迎えに来るんだ! それまでここで待ってるの!」
私は男の子の質問に答えられなかった。
それどころか
「私は親がいるからここには来てはいけなかったんだ!」
と罪悪感のようなものに襲われ、我に返った。
親がいると知ったらみんながどう思うのだろう。
急に不安に襲われ、再び下を向いたまま固まってしまった。
同時に、もうここには来ることはできないんだという悲しみで涙が溢れた。
更に不幸なことに、親の顔が頭をよぎり、なぜだか、親には黙っていなければ、内緒にしておかなければ、今日のことがバレたらどうしよう、と恐怖感でいっぱいになった。
子どもたちは
「早くおやつにしようよ!」
とロングヘアのお姉さんの手を引っ張りながら「施設」に入っていった。
数人が私にむかってバイバイをしてくれたが、私はバイバイを返すことも出来ず、恐怖と緊張で、棒のように立ち尽くしていた。
「そんなに緊張しなくていいのよ、怒ったりしないから。いつ来てくれてもいいのよ。また来てくれる? 突然おやつのお誘いされたら困るよね。よかったらまた遊びに来てね。一緒に遊ぼう! みんなも喜ぶから。ねっ!」
そう言われて、私はこくりとうなずき、目を合わせないままくるっと向きを変え、走って家まで帰った。
家に帰ると、いつものように「ただいま」「お帰り」以外言葉はなく、いつものように、おやつがテーブルに用意されていた。
いつものように……。
私は恵まれているのだろうか。
うちの親は「いい親」なのだろうか。
いつも
「親は怒っているのかも」
「親に叱られるかも」
「今のは、やってはいけなかったのかも」
「今のは、言ってはいけなかったのかも」
「言ったら、叱られるかも」
「かもかもかも……」
と人々の顔色を伺い、恐怖と緊張しかない毎日を送っている私は、恵まれているのだろうか。
とても疑問だった。
この日は食欲がなく、おやつは食べずに母親に、お腹が痛い、と嘘を言って夕食までベッドに潜り込んだ。
その日私は児童施設の事ばかり考えていた。
もう一度行ってみたくてしょうがなかった。
こんな気持ちは初めてだった。
私は考えに考えたあげく、母親には学校の図書室に寄ってから帰ると嘘を言って、施設へ行ってみようと心に決めた。
翌日、勇気を出して児童施設の門の前まで行ってみた。
中に入るのを躊躇っていると「先生」ではなくて男の子たちが走ってきた。
「昨日の子だ!」
「なんで入らないの?」
「どこに行くの?」
自分は親がいるので憎まれるのではないかと不安になり、もじもじしていると、昨日声をかけてくれた先生とお姉さんが走ってきた。
「来てくれたの? どうぞ入って。今ちょうど麦茶入れたところよ」
「僕、もう宿題やったよ! だから麦茶飲んだら遊ぶの。一緒に遊ぼう?」
昨日、お母さんが迎えにくると言っていた男の子が私にそう言った。
すると小学1年か2年生位の女の子2人が私に近づき、私の胸についている名札を見て言った。
「ゆ、み。ゆみちゃんって言うの?私はゆうこ、この子はたかこ。その子は福山君。いっしょに遊ぼうよ」
「行こう!」
福山君という男の子が、私の腕を掴んで走り出すと、ゆうことたかこも「行こう!」と笑って走り出した。
嫌われているのではないかと心配だった私は、名前を呼ばれた上、笑顔を向けられて安心し、無意識に私も笑顔になっていた。
学校の担任の先生の接し方はとても機械的で、ロボットと会話しているようだったが、ここの先生は全然違う。
安心感、があった。
お姉さんが、私の顔を覗き込んだ。
「やっと笑ってくれた。よかった。私たち怖くないから」
笑いながらお姉さんが、私の手をつないで、私を建物に入れてくれた。
みんなで麦茶を飲んで、宿題したり、校庭で先生やお姉さんといっしょに遊んだり、こんなに笑った事はなかった。
話す事が得意ではなかった私は、ここでもあまり話せなかった。
それでも楽しかった。
家や学校のことを質問されなかったのは幸いだった。
聞かれてもろくな答えが思い浮かばない。
何も楽しくない家。
笑いのない家。
会話のない家。
両親のことなど、思い出したくもなかった。
施設は居心地がよく、私は頻繁に訪れるようになった。
そこにいる間は緊張や孤独感や恐怖感、窮屈感もなく、心の休息をとれる大好きな場所となった。
親も学校の図書室にいると思っているのか、いつもより帰りが遅くなっても何も言わなかった。
しかし、ある日帰宅すると、玄関でいきなり母親のかみなりが落ちた。
近所の誰かが、私が施設に入っていくところを見たと、母に話したらしい。
母は知らなかったことに加えて、行っていたのが児童施設だったのが気に入らなかったらしく
「お母さんは恥ずかしい!」
とものすごい剣幕で叱られた。
お父さんには内緒にしておいてあげるから、その代わり学校のテストで100点をとってきなさい、と言われた。
父にこの事がバレると、母も父から何か言われるのだろう。
そして私がテストでいい点をとれば、彼女は母親として立派にやっていると、周りからも父からも褒められるのだ。
彼女は自分の立場を守るのに必死なのだ。
その後、私は毎日母親の監視下にあった。
そして私はあの道を曲がるのを辞めた。
しかし黙って来なくなった事を、みんなが心配しているかもしれないと、そればかりが気になって仕方がなかった。
親にバレるのは怖かったが、一週間後、再び門の前をゆっくり歩いてみた。
みんな私の事など忘れてしまったかのように、楽しそうに校庭で遊んでいるのを見て、急にまた以前のような孤独感や恐怖感、窮屈感に襲われた。
しばらく歩いてからUターンをして門の前を歩こうと振り向くと、門の前にはみんなと先生とお姉さんがいた。
私は急に動けなくなり、同時に涙があふれ、わんわん泣いてしまった。
みんなが駆け寄り、私は久しぶりに心の休息をとれる、大好きなその建物の中に入ってわんわん泣いた。
私は何も話さなかったが、先生とお姉さんが麦茶を飲む私の涙顔をふいたり、頭をなでてくれた。
私はこの日から変わった。
どうしてだか、もっと強くなろうと思った。
単純に強くなりたいと思った。
あんな親、あんな家から離れて生きていく強さ、そして方法を知りたいと思った。
知りたいと思うだけで、特にその方法が思い浮かぶことはなかった。
しかし、なぜだか頑張れる気がした。
小学3年生の頭ではそれが限界だった。
しかしその方法を私は数年後、ある人に教えてもらった。
そして沢山勉強したいと思った。
親との生活から抜け出すために。