うちの親は「いい親」なのか? 「悪い親」ならよかったのか?
学校に行っても
「今のはしてはいけなかったかも」
「先生が睨んでいるかも」
「言ってはいけなかったかも」
「みんな私のこと迷惑だと思ってるかも」
「私の発言で今みんなは私を嫌なヤツと思ったかも」
「かもかもかも……」と常に不安にまみれ、人々の顔色を伺う生活を送っていた。
夜はなぜか布団の中で涙が出た。
布団の中で私はいつも妄想していた。
突然知らないおじさんとおばさんがやってきて
「実はあなたはうちの子なんだ」
と言って私をこの家から連れ出してくれるシーンを何度も想像した。
本当の両親が迎えに来てくれないだろうか、といる訳のない「本当の両親」を待ち続け、妄想にふける、おかしな子どもだった。
毎晩眠りにつくまで、存在しない「本当の両親」を妄想し、小学2年生まで、布団の中で左手親指を指をしゃぶっていた。
「本当の両親」を妄想した後は、楽しくないであろう明日を想像し、気分はふさぎ込み涙していた。
指しゃぶりしていた親指にはタコができ、未だにその跡がうっすら残っている。
母親からビンタされる事はあったが、痣が出来るほどの暴力を振るわれるような【虐待】はない。
しかしあれは虐待だ。
小学生が親も家も大嫌いであるという不幸を、当時は【虐待】とは呼ばなかった。
両親ともにお酒は飲まず、真面目に生きている人間で尊敬しなければならない存在だったのかもしれないが、楽しい会話も笑いもない家に安らぎはなかった。
帰りたいと思ったこともなかった。
帰っても楽しいこともなく、とりあえず宿題をしたり、教科書を読んだりしていた。
成績だけは上の下か、中の上あたりをキープしていたが、コミュニケーション不足からか、会話が苦手だった。
おかげで私はクラスメートと楽しい会話ができなかった。
テレビの話をされても、見ていなかったので分からず、話題には入れなかった。
学校では単なるメガネの根暗なまじめ少女だった。「会話の仕方」がよく分からなかった。
「今これは言ってはいけなかったのでは」という考えが常によぎり、言葉を出すのも怖く、うまくおしゃべりができなかった。
いつものように憂鬱な気持ちで、軽い頭痛も感じながら、帰りたくない家へ向かって歩いていた小学3年生の学校の帰り道、いつもと違う道をなんとなく曲がってみた。
1人でランドセルを背負ったまま、フラフラと歩いていると小さな学校のような建物があった。
校庭があり、子どもたちが遊んでいる。
立って見ていると「変な子」だと思われるのが嫌だったので、歩いているふりをして門を通り過ぎ、しばらく歩いてから、また来た道を戻って、ゆっくり歩きながら「学校」らしき建物の様子を観察してみた。
すると、私が歩いてきた道を、低学年の子どもたちが走って来て、その「学校」らしき建物の門をくぐって敷地中へ入って行った。
「先生、ただいま!」
ただいま?
校庭にいる女の人に子どもたちは元気に「ただいま」と挨拶し、ランドセルをカタカタならしながら走って建物へ入って行った。
まだ子どもだった私には「ただいま」と入っていく彼らの事情も分からなかったし、学校に似たその建物が何のための建物なのか理解できなかった。
とりあえずその日は帰りたくない家にいつも通り帰宅した。
また次の日も、同じようにあの角を曲がり、ただ歩いているフリをしながら、建物の様子をうかがった。
校庭では「きゃーきゃー」と子どもたちが「先生」と呼ばれる人たちと楽しそうに遊んでいる姿が見えた。
「先生」と呼ばれる人たちは、とても優しそうだった。
ゆっくり歩きながら見ていると1人の「先生」と呼ばれる女性と目が合い、彼女はじっとこちらを見た。
私は慌ててその場を去り、家に帰った。
私はめったに親に質問することはなかったが、その日、私は母親に、あの建物について聞いてみた。
すると母親は
「ああ、あれはね親がいない子どもたちが住んでいる施設よ。子どもを育てない悪い親や、借金が返せず子どもを置いてどこかへ消えちゃった悪い親の子どもたちよ。あなたは恵まれているのよ、いい服きて、ご飯が食べれて、学校に行けて。感謝しなさい」
衝撃的だった。
確かに自分は母親に言われたように恵まれているのかもしれない。
私は以前、親戚にも同じ台詞を言われたことがあった。
「君は恵まれている。いい服きて、ご飯が食べれて、学校に行けて。感謝しなさい」
と。
近所の人もそう言った。
そう言われれば、何も言えなくなるのが子どもだ。
私はずっと自分を押し殺して生きてきた。
しかし正直、恵まれているなどと実感したことはない。
物理的にはそうなのかもしれないが、精神的には決して恵まれてなどいなかった。
母から話を訊いたその日、私はあの建物の存在に、ものすごい衝撃を受けていた。
悪い親に捨てられ、家ではなく学校のような建物に集団で住んでいる子どもたちがいることを、まったく知らなかった。
「悪い親」に捨てられればあそこに住めるのか。
うちの親は「悪い親」ではないのか?
彼らは私を捨ててはくれそうもない。
子どもを捨てなければ「いい親」なのか?
どうすれば捨ててくれるのだろうか。
どうすればあそこに住めるのだろう。
子どもの頭ではそれ以上の事は考えられなかった。
うちの親は「いい親」なのか?
子どもを捨てないだけで「いい親」なのか?
頭の中でそればかりを繰り返し、答えが見つからないままその日は眠りについた。