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第一話 『佐伯可奈子の運命分岐点』 その3

「そこの長身女!」


 帰り支度をしている最中、少しだけ舌足らずな声に呼ばれた。

 可奈子(かなこ)がそちらに目をやると、小柄で勝気な大きな瞳が印象的な美少女が立っていた。

 昼休み、嘉瀬に突っかかってた女子生徒。

 秋庭(あきば)(あや)

 綾は我が物顔で他クラスの教室に入ると、可奈子の目の前に立ち塞がった。

 クラスメイトたちの視線が集まってくる。

 関わりあいたくないと可奈子が無言を貫いていると、制服の袖をぐっと(つか)まれた。


「ちょっと、来て」


 そう言って、制服の袖を引っ張ろうとする細い指。


「いやいや人違いだって。私はあなたのこと知らないし」


「嘘つき! 私、見たんだから。あんたが昼休み、裏庭で聞きみ――」


 袖を引っ張られている手とは逆の手で咄嗟に綾の口を塞ぐ。

 息苦しそうに綾が声を荒げる。

 こんなに人が多い場所での揉めごとは避けたい。


「分かった。行ってあげるから。だからこれ以上は止めて」


 何とか綾の行動を静止させると、可奈子は観念して綾の誘いを受ける羽目になった。



 錆びついた音を立てながら外階段に続くドアが開く。

 階段を下り踊り場に出ると、なるべく綾と視線を合わせないように可奈子は口を開いた。


「それで、ご用件は?」


 先程からずっと可奈子を睨んでいる綾が、すっと裏庭の一点を指す。


「あんた、あそこで立ち聞きしてたでしょ」


 その指先を辿り、自分の迂闊さを恥じた。

「あそこ」から踊り場は見え難くて気づかれていないと思ったのだ。だが、この場所から「あそこ」は丸見えだ。なんという盲点。

 後悔先に立たず。あの時移動していればよかった。


「しかも(りゅう)と何か話してた。一体どういう関係なの?」


「どういう関係、って」


 女って怖い。


 嘉瀬(かせ)と可奈子の関係など「今日初めて話したクラスメイト」その一文で終わる。それ以上でもそれ以下でもない。

 彼のことを好きな幼馴染に疑われる関係になる筈がない。


「今日初めて話したクラスメイト、です」


「手も握っていたのに?」


 腰を抜かした可奈子に嘉瀬が手を差し出していた場面を目撃されていたとは。

 恋は盲目、面倒なことに巻き込まれてしまった。


「まさか、私と嘉瀬君がそういう関係だと?」


 中学時代。思春期真っただ中の男女が互いを意識し始めて色恋沙汰が多々起きていた。

 可奈子はなるべくそういったことに巻き込まれないよう、関わらないよう、他人と距離を置いていたのに。


「竜は女の子とあまり喋らない人なの。

 なのに今日あんたと喋ってて吃驚した。……しかも笑っていたし。

 最近、一緒にいたって全然笑いかけてくれないのに」


 嘉瀬が可奈子のことを笑っただけで()()()()()のか。

 ここまで誰かを懸命に好きになれるのは凄い事だ。可奈子には真似出来ない。

 綾が顔をぐしゃぐしゃに歪めて下を向いてしまったので、可奈子は慌てて言葉を紡いだ。


「昼休みのことは申し訳ないと思ってるよ。

 ただ弁解させてもらうけれど、いつも昼休みにあそこにいるのが私の日課なの。

 裏庭で一人でお弁当食べて日向ぼっこしたり、本を読んだりするのが好きでね。

 あなたたちの話を聞いてしまったのは、偶然。

 たまたま居合わせただけだから。意図的に聞いてた訳じゃないからそこは勘弁してほし――」


 可奈子が喋っている途中から携帯電話のバイブ音が、けたたましく鳴っていた。

 切れそうにない気配に綾は制服のポケットから携帯電話を取り出した。

 差出人の表示を見て綾は目を細める。その顔は、


 苦しいような、嬉しいような、切ないような、恐怖を感じているような……。


 綾は携帯電話を握りしめると、可奈子に背を向けた。そうして無言のままゆっくりと階段を下り始める。

 途中こちらを振り向くことなく、段々と綾の姿が小さくなり、やがて校舎の陰に隠れてしまった。


「挨拶もなしか」


 可奈子は本日二度目の盛大な溜息を吐くと錆びた鉄格子の手すりに寄りかかり空を見上げた。

 西に沈む陽の光で橙に染まりはじめている。

 ブラスバンド部のトランペットの音が、陸上部の掛け声が、バスケットボール部のドリブル音が、耳に届きはじめる。


 こんなに他人と話したのは久し振りだ。妙な高揚感があった。

 少し前まで、可奈子の周りにはいつも誰かしら人がいた。

 だが可奈子は本心で彼らと向き合ってこなかった。皆、見せかけだらけの偽りの優しさを()いていた。

 違和感と嫌悪感をおぼえて可奈子は他人から逃げることにしたのだ。

 だから、あんな強い感情を当てられたのは初めてのことで。今更ながら膝が震えてくる。

 暫く落ち着くまでここに居よう。そう思ってさらに体勢を崩しかけた時。


「お疲れ様」


 いつから居たのだろう。

 階段の上に立つ嘉瀬の姿を確認し、可奈子は体を強張(こわば)らせた。

 また綾に見られてしまうのでは。

 しかし嘉瀬は可奈子の様子を気にすることなく階段を下りてくると可奈子と同じように錆びた鉄格子に寄り掛かった。


「他人にあんな風に感情を剥き出す綾を久々に見たよ。

 佐伯さんは辛かっただろうけど、綾に付き合ってくれて有難う」


 嘉瀬に礼を言われる筋合いはないし、もっと別の方向に注意力を向けていただきたい。と可奈子は思う。

 それにしても、強烈な女の子だった。

 秋庭綾。彼女は少しだけ、ほんの少しだけ可奈子の知る「普通」とズレている気がする。

「普通」など退屈で意味がなくて「常識」とか「世間体」とかつまらない尺度で物事をはかっているだけのものだけれど。

 だから、綾という存在は可奈子にとって、とても個性的で、美しい存在のように思えた。


「秋庭さんって、なんだか凄い」


 綾は真剣に嘉瀬の事が好きなのだ。可奈子を睨んだあの瞳を見れば分かる。

 そして彼女が言うように、


「嘉瀬君は藍って子のことが好きなんだね」


 呟いた可奈子の声が嘉瀬に聞こえたかは分からない。

 ただ嘉瀬の頬が夕日の色に染まっていたのは可奈子の目にもはっきり分かった。



 **



 それから数日後。


 秋庭綾はとある事件の被害者となる。

 事件は全国区のニュースで伝えられた。

 現場は見るに耐え難い惨状だった、とのこと。

 秋葉姉妹は学校から姿を消した。


 あれから一年が経とうとしている。

 現在、彼女の容態もよくは分かっていない。

 どこか遠くの知らない病院に入院していると嘉瀬から話を聞いただけだ。


 私たちは、高校二年生になった。

 今日もあの時と同じ。

 青い空が痛々しい。


 一輪のアネモネの花とともに鉄製の階段に座り込む。


 可奈子が綾と話したのは、あの時一度きり。

 だが可奈子にとって綾は忘れられない存在になっていた。


 例え彼女が忘れてしまっても私だけは彼女を忘れない。


「はかない夢」


 それはまるで秋庭綾そのもののような、アネモネの花言葉。

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