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第一話 『佐伯可奈子の運命分岐点』 その2

 高校に入学して新たな学校生活に慣れ始める頃には自然とクラスでの「役割」が決まってくる。

 同時に幾つかのグループが出来始め、また自然とあぶれ者が出始める時期でもあった。

 可奈子(かなこ)は自ら孤独を選んだ。


 休み時間は大抵、裏庭か図書室で過ごした。

 その日の昼休み、可奈子は裏庭のフェンスに寄りかかりながら空を眺めていた。

 痛いくらいに鮮やかな、青。

 季節が春から初夏に移り変わる頃。

 連休を挟み、随分と気候が暖かくなってきた。


 遠くから聞こえる談笑。あの喧騒の中にいない自分。その状況に安堵していた。

 そっと瞼を閉じ、暖かな日差しを全身に浴びる。

 自由な時間。静かな空間。

 昼飯を食べ、空腹も満たされていた。

 地面に接しているお尻が暖かく眠りへと誘っている。

 思考を停止しかけていた時、女の金切り声が耳に響いた。


「なんで私じゃ駄目なの!」


 振り落ちてくる声。

 見上げると、裏庭に面した外階段に人影が見えた。

 一階と二階の間にある踊り場で、一組の男女が言い争いをしているようだ。

 言い争いというよりも、女子生徒が一方的に当たっている様子ではあるが。


「恋愛感情もなしにそんなことできるわけがない」


 どこかで聞いたことのある声だ。


「いいじゃない別に。あんたの好きな顔と同じ顔なんだから」


「そういう問題じゃないだろう」


「私は(りゅう)のことが好き!

 なのに、どうして竜はあの子しか見ないの? 私と何が違うの?」


 男子生徒の制する声が余計に女の怒りを買っているようだ。

 聞き耳を立てるつもりはなかった。

 しかし動く事が躊躇われ、二人の会話を耳に入れてしまう。


(あや)、お前は(あい)と違う。藍もお前とは違う。

 俺はお前たちを恋愛対象として見ていないんだよ。二人とも大切な幼馴染だから」


 男の言葉を聞いて可奈子は、思い出した。


 あや、あい。


 同じ学年の秋庭(あきば)姉妹ではないだろうか。

 一卵性双生児の美人姉妹と、男子たちがよく口にしていた。

 一方、二人の幼馴染と言った男子生徒は同じクラスの嘉瀬(かせ)竜司(りゅうじ)だ。

 嘉瀬とは一度も話をした事はないが、人の顔と名前をすぐ覚えるのは可奈子の特技の一つだ。


「嘘っ! だって竜が藍を見る目は他の誰よりも優しい。

他人や私に向けたことない目で見てるもの」


 綾の声が続く。


「藍に言ってやる。竜があんたのこと、邪まな目で見てるって。藍に言ってやる!」


 嫉妬に狂う女の声。


「そうしたら藍は竜のこと今よりもっと不潔な目で見るよ。

 あの子は一生、男に触れられないから」


 嘉瀬はどんな顔をして受け止めているのだろうか。


「竜も藍も、私と同じ思いをすればいい!」


 あはははははははははははははははははははは。


 甲高く耳障りな、叫ぶような笑い声。

 気持悪くなりそうだ。頭がくらくらして吐き気を(もよお)しそうになり、口に手を当てた瞬間。

 その声を制止したのは乾いた音だった。

 静寂が辺りを包む。


「いい加減にしろ」


 酷く落ち着いた嘉瀬の声。

 少しの間。

 それから直ぐに走り出す音が聞こえ、扉が閉まる音が辺りに響いた。


 耳の辺りがざわざわする。

 どくどくと血液の流れる音が煩い気がした。


 剥き出しの感情。

 誰かに対する強い思い。

 嫉妬。


 どれも可奈子にはないものだ。

 ぎゅっと自分自身の体を抱きしめる可奈子の耳に鉄製の階段を下りてくる音が聞こえた。

 心の中で舌打ちしながら、可奈子は気の抜けた声を発する。


「いつから?」


「途中で気がついたんだ。悪かったよ」


 嘉瀬が謝罪を述べる。


「以前、図書室で見かけたから本が好きな人だと思っていた。

 それに、こんな寂れた場所に人が居るとは思わなかったんだ」


 可奈子は黙ったまま、嘉瀬を見つめた。


「佐伯さん、何でこんな所に居たの?」


 他人と、関わりたくない。

 話す義理もない。


 だが情けないことに可奈子の足は震えが止まらず腰を上げることが不可能であった。

 嘉瀬は一見温和そうな様子で話しかけてきているが、獲物を狙うような視線で可奈子を見つめた。

 逃れそうにない。


「人が居ない場所が好きなの」


 諦めて可奈子は口を開いた。


「図書室は、授業の中休みは人が居ないから行くけれど昼休みは結構賑わっていてね。

 だから主に昼はこっち。人が居ないから。

 けたたましい音や声から逃れられて、自然豊かな陽当たりの悪いこの裏庭が私の憩いの場所なの」


 半ばやけくそだった。他人と話す煩わしさから離れられるなら恥など捨てる。


「それを痴話喧嘩で邪魔された私の身にもなってよ。

 可哀想だし、吃驚して腰だって抜かして立てないんだから。

 だから移動も出来なかった。不可抗力ってやつ。……以上」


 嘉瀬との会話を早々に打ち切りたかったというのもある。

 これ以上は、何を聞かれても話したくはない。

 早くどこかに立ち去ってほしいと願いを込めて可奈子は外方(そっぽ)を向いた。

 すると、嘉瀬から意外な反応が。


「面白いな、佐伯さん」


「つまらないから、こうして一人でいるのだけれど」


 嘉瀬は失笑していた。そんなにおかしなことを言ったつもりはない。

 自らが動くしかないのか。可奈子は溜息交じりの大きな息を吐くと、地面に手をつき立ち上がろうとした。

 そこに嘉瀬が手を差し出す。


「佐伯さんってさ」


 差し出された手に可奈子は自然と手を重ねた。

 引っ張りあげてもらう形で可奈子は立ち上がる。


「変な方向に人生を達観しようとしてる?」


 嫌な聞き方だ。

 女子にしては長身の可奈子と嘉瀬の目線はほぼ同じ。嘉瀬を()めつける。

 嘉瀬は笑ったままだ。

 その時、午後の授業を告げる予鈴が鳴った。

 先に動いたのは可奈子だった。無言のまま、まだ少し震える足を前に出す。

 なんだ、意外と歩けるじゃない。

 可奈子は胸をそっと撫で下ろし、歩みを進めた。

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