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 今日はいける。

 夏の濃い青空とは違う薄く青い空を見上げ、私はすうっと息を吸い込んだ。赤い自転車に跨がり、足をつかずに登り切ると願いが叶うとまことしやかに噂されている急坂をにらむ。


 もう何度目の挑戦か覚えていない。でも、その挑戦もこれが最後だ。今日、この坂を登り切ることができなければ諦める。私はそう決めていた。


 冷たい風が肌を刺す。

 学校指定のコートが翻る。


 空気が冷たくて、息を吸うと肺が痛い。それでも、これが最後だからとペダルにかけた右足に力を込めて、自転車を漕ぎだす。

 最初は緩やかな上り坂で、ペダルを漕ぐ足に力を入れれば自転車がすいすいと進む。春には桜の花びらを散らす枯れ木を横目に、私は急坂のてっぺんを目指す。


 紺色のコートに身を包んだ生徒の群を追い越し、自転車を走らせる。ときどき見知った顔とすれ違うけれど、声を出すのがつらくて黙って自転車を漕ぐ。

 坂が急になっていくにつれて呼吸が浅くなり、喉がひゅっと鳴る。快調に進んでいた自転車のペダルが重たくなっていく。


 坂道の半ばまでくると勾配がきつくて、サドルに座っていられなくなる。私はハンドルをぎゅっと掴んで、ペダルの上に立つ。所謂、立ちこぎという姿勢で坂を登っていく。


(さくら)、おはよー!」


 大きな声ではなかった。けれど、本野(もとの)という名字ではなく、私を桜と呼ぶ声に鼓膜が敏感に反応する。殴るような冷たい風で凍えている頬に、血液が巡る。

 ペダルを漕いでいた足は、いつの間にかアスファルトの上に着地していた。


「おはよ。今日も寒そうな格好してるね」


 乱れた息を整える私のもとへ駆け寄ってきた木下春花(きのしたはるか)に、声をかける。

 彼女が着ているものは、学校で指定されている丈よりも短いスカートに、ショート丈のダッフルコート。雪が降る季節にも関わらず、タイツははいていない。


「寒そうな格好じゃなくて、寒い」


 白い息を吐き出しながら、春花が言った。


「いや、寒いならタイツくらいはきなよ」

「可愛くない」

「寒いよりマシでしょ」


 私は自転車を降り、鳥肌が立ちそうな格好をした春花の隣を歩く。

 短めのスカートからすらりと伸びた春花の白い足は、タイツをはいても格好が悪いということはなさそうだけれど、本人は気に入らないらしい。周りを見れば、春花と同じような格好をしている生徒がちらほらいる。


「寒い方がいい。桜もタイツやめたら? スカートももう少し短い方が可愛い」


 春花はそう言うと、私の足を鞄でとんっと突いた。

 冗談じゃないと私は思う。


 タイツを脱いだら、寒くて死ぬ。――まではいかなくても、確実に風邪をひく。私は寒がりで、タイツなしでは生きられない。スカートは短くすれば寒い上、先生に注意されることもあって面倒くさい。可愛いよりも、冬は防寒優先だ。制服はほぼ校則通りにしておけば問題が起きず、平穏に暮らせる。

 私は、自転車を勢いよく押す。そして、春花の数歩先から彼女の鼻を指さす。


「そう言うけど、春花。鼻、真っ赤だよ。トナカイみたいになってる上に、ほっぺも赤いけど、それは可愛いの一環ってことでいいの?」


 にやりと笑ってみせると、春花が不満そうな声を出した。


「そんなの、桜だってそうじゃん」


 春花がぴょんっと飛ぶように数歩分の距離を詰め、鞄で私のお尻をばんと叩く。そして、冬の空気にさらされて赤く染まった自分の頬を撫でた。


 今年、高校を卒業するにしては幼い顔。

 春花は、小動物のような愛らしさがあってクラスメイトにも先生にも可愛がられている。少しだけだけれど私よりも身長が高いにも関わらず、子どもっぽい雰囲気があった。


 鼻も頬も赤い今は、なおのこと幼く見える。でも、外見が幼いことを気にしている春花には、それは言わずにおく。かわりに、私はトナカイになることを受け入れる。


「トナカイ、可愛いからいいよ」

「じゃあ、クリスマスプレゼントちょうだい」

「そういうのはサンタに頼んで。大体、もう二月だよ。クリスマスは季節外れでしょ」

「今年の分ということで」

「やーだよっ」


 ぴっと春花の額を中指で弾くと、酷いと言って肩をぶつけてくる。けらけらと二人で笑いながら歩いていると、冷たい風に春花のさらさらの長い髪が舞った。春花が、もう、と言いながら髪をかき上げ、私を見た。


「桜。髪、ぐちゃぐちゃになってる。縛った方がよくない?」


 春花と同じように長い髪だけれど、くせのある私の髪は素直に舞ってはくれず、絡み合っていた。


「縛ったら、首が出て寒い」


 私は色気の欠片もない答えを返して、髪を適当に撫でつける。


「寒がりすぎ」


 タイツもはかずに寒風に立ち向かう春花が笑って、私の髪に手を伸ばす。寒さに色づいた指先が頬をかすめ、乱れた髪を整えてくれる。

 春花の手が少しだけ触れた部分が熱を持つ。寒さで赤みを帯びた頬がもっと赤くなったような気がして、私は足を速めた。


 けれど、春花は数歩進んですぐに回れ右をした。やばい、と呟いてコートを脱ぐ。ちょっと置くねと断ってから、学生鞄を私の自転車のカゴに入れると、大きなバッグにコートを押し込んだ。

 春花の様子に視線を坂の上に向ければ、校門に生活指導の先生が立っていた。


「あー、山岸(やまぎし)先生か。そのコート、見つかったらやばいね」

「絶対に没収される」

「だろうね。でも、風邪ひくよ」

「風邪に負けてるようじゃ、お洒落はできないんだよ。知ってた?」

「特に知りたい情報ではないかな」

「冷たい!」


 ぶるると震えながら、見るからに寒そうな春花が言った。

 このままゆっくり歩いていたら、春花が風邪をひいてしまいそうで、私は自転車を押す手に力を込める。走り出すまではいかないが、急ぎ足で坂を登っていると、春花が自転車のカゴから鞄を取った。


「あれ? 今日、トートバッグの中身多くない?」


 カゴの中を覗き込んで、春花が不思議そうな顔をする。


「良いもの入ってるから」

「なに?」

「さあ、なんでしょう」


 カゴの中には、学生鞄と荷物で膨らんだトートバッグ。

 私は答えをはぐらかして、春花と一緒に歩く。

 急坂のてっぺん。

 学校まではあと少しというところ。

 足を着いてしまった私。

 春花と両思いになりたいなんて願い、叶いそうになかった。

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