見覚えの無い風景 ★
眩んでいた目も慣れて視界がはっきりとしだす。
違和感を感じ、行長は周囲に目をやった。
「何だ?」
そこには先程までの眺めとは全く異なる、異様な光景が広がっていた。
「対岸が無い……」
呆気に取られて呟く。
名護屋城からは玄界灘を北上して壱岐を目指し、対馬へと渡る。
船は狭い湾から出航するが、船に乗り込んだ時には見えていた対岸が今はどこにも見えない。
眼前には茫洋とした大海が広がるだけだった。
それに違和感はまだある。
「日が沈みかけている?」
岸は東側に開けていたので、真正面から昇る太陽の下で出発の準備をしていた筈だった。
それが今や太陽は背中にあり、空も夕焼け模様に見える。
「名護屋城は、あるな……」
振り返って城を確かめた。
城から岸までは距離は離れておらず、今も変わらずに見える。
その有様は堂々としており、少し安心した。
「狐に化かされておるのか?」
夢なら醒めろとばかり、己の頬をペシペシと叩く。
しかし景色は変わらなかった。
隣にいた嘉隆に気づき、声を掛ける。
「嘉隆殿、どうした訳だろう?」
行長に問われ、呆然としていた嘉隆も我に返った。
「手前にはとんと見当もつかぬ……」
嘉隆は途方に暮れた。
すると行長を呼ぶ義智の声がする。
「親父殿!」
「どうしたのだ婿殿?」
義智は自分の乗っていた船から降り、駆けてきた様だ。
船は砂浜に打ち上げられている。
「これは一体何なのですか? 辺りに全く見覚えがありませんが……」
「それは儂も同じだ。名護屋城はあるが、周りは見覚えが無い……」
二人は名護屋城を振り返った。
城を見て思い出したのか、義智が声を出す。
「それはそうと、我らは出発しなくて良いのですか?」
「うっ!」
突然の嵐は去った。
ならば船を出すべきなのだが、そうすべきでないと心が囁くのを感じる。
しかし、それを上手く言葉に出来そうもない。
とりあえず海の経験豊富な嘉隆に判断を仰いだ。
「嘉隆殿はどう思われる?」
闇雲に動けば危険な状況かもしれない。
数多の戦を潜り抜けてきた嘉隆であれば、その辺りの嗅覚が鋭い筈だ。
行長の期待を受け、嘉隆が言う。
「命に従うべきだとは思うが、とりあえず向かう先が見えん事には進みようがない」
「左様ですな」
当時の日本の航海技術は未熟で、陸地が見える範囲でしか動けなかった。
「秀家様に伺うべきだろう」
総大将宇喜多秀家の判断を仰ぐ。
行長と嘉隆の決断は一致し、行長は城に向かった。
「申し上げます!」
「どうした行長? 出立していないのか?」
行長は元々宇喜多家に出入りしていた商人で、秀家の父直家にその才を見出されて武士となり、仕える様になった。
その後、秀吉に気に入られてその家臣となっている。
そんな行長にとって宇喜多家は大恩のある家ではあったが、現当主秀家には思う所があった。
秀吉の唐入りという思いつきに真っ先に賛成したのが秀家で、それを聞いた時には軽はずみな事をと思ったモノだ。
思慮深く謀略に長けた父とは違い、才気はあれども浅慮であるというのが行長による秀家評である。
「火急の事態により出立は中止致しました!」
「火急だと? 一体何が起こった?」
秀家の問いに行長は首を傾げる。
「その問いにお答えする前に、秀家様にお尋ねしたい事がございます」
「何だ? 申してみよ」
「はい! 先程、雷が城に落ちたのではないかと思うのですが……」
行長の質問に秀家は膝を叩いた。
「おぉ! 知っておるのか! バリバリと物凄い音であったぞ!」
「やはり!」
その答えに安心する。
「実はあの雷が落ちてから、何とも不思議な事が起きたのです!」
「不思議な?」
「はい! 周りの景色が変わっているのです!」
「何を言っているのだ?」
案の定、気づいていないらしい。
百聞は一見に如かずで、自分の目で確かめてもらった方が早いだろう。
「信じれぬのも無理はありませぬ。天守閣から周りを御覧になると一目瞭然かと」
「成る程……」
意味が分からない行長の言葉であったが、笑い飛ばすには真剣な顔過ぎる。
秀家が行長の言葉に従い天守閣に向かおうと足を出した所、大きな声が近づいてくるのに気づいた。
「どうして船を出さぬ?」
行長の天敵、加藤清正の登場である。