生稲さんの変な趣味
雷って怖いですよね。大きな音がするし、落ちると大変だし。
でも、あの人は違うらしいんです。
ドン、と地面が跳ねると同時に、激しい音と光が鼓膜と視覚を揺さぶった。
一拍置いて文字通り「バケツをひっくり返したような」雨が降り出すのを窓越しに見ながら、私は口元が緩むのを堪えきれない。キーボードを叩く指が機嫌良く跳ねる。
「うーん……やっぱり、好きだなあ。雷」
私はなぜか子どもの頃から雷が好きだった。いちばん古い記憶は幼稚園、雷の音と光に泣き叫び先生にしがみつく皆が不思議だった。一人で窓際に座って、稲妻がピカッと光るたびに目を見開いていた。落雷の地響きもお腹に心地良くて、何故だかとても嬉しい気持ちになって、にこにこしていたら先生たちにしばらく変な子扱いされたのを社会人になってもまだ覚えている。私は恨みを岩に刻むタイプだ。忘れられたらどれだけ楽だろうか。
先程の大きめの稲妻は駅の設備にでも落ちたのか、しばらくすると電車遅延の情報がひそひそと伝わってきた。同時に早上がりOKの号令も出たが、今朝から予報は出ていたのだからもっと早く上がらせて貰いたいものだと思う。にわかに社内が帰宅モードに入った。
「生稲さーん、帰り××線でしたよね?なんか△△線が止まったから振り替え輸送でそっちまでかなり混雑してるみたいなんですよー。××線沿線組ほかにも3人くらい居るから、天気と満員電車が落ち着くまで駅前で飲みましょ!クラフトビールの新店開拓!!11時までには止む予報ですし、ちょうどいいでしょう?」
仲のいい同僚から魅力的なお誘いを受けた。これが別の理由、例えば雪とかなら絶対断らなかったんだけど。
「えー、振り替え輸送め……飲みはすごく行きたいんだけど、ゴメンね!今日どうしても用事があって……誘ってくれたのはありがとう!ほんとに!また今度ぜひ!!」
「そうですかー、残念!じゃあ今度は絶対行きましょうね!用事って何か聞いてもいいですか?」
「あー……ナイショ。今日、今じゃないとダメ、ってヒントだけあげる」
「え、何ですかそれ!まさかデートとか?この雷雨の中?やだマジ融通効かない男……やめといた方が良くないですか?」
「ふふ、違うって。じゃあ、お先に失礼しまーす」
混んでいるエレベーターを避けて階段を使い、外に出れば窓越しに見た通りの荒天。風は強いし、そのせいで雨は横殴り、空に広がる雷雲は黒く厚くてしばらく晴れそうにない。
「……最高」
ぽつ、と呟いた声は雨音と雷鳴に阻まれて誰にも聞き取られなかった。
いや、それらがなくても誰にも聞こえなかっただろう。
ここはオフィスビルの屋上で、こんな天気にここに来る馬鹿なんていないから。私以外は。
鞄も靴も携帯も上着も、給湯室から拝借したゴミ袋に入れて濡れないようにして、雨具なしで空の下へ飛び出した。シャワーでも浴びたように一瞬で髪は濡れ、服が身体に張り付いて胸元から腰へ次々と水滴が伝っていくのが分かる。激しい雨でさほど広くない屋上も白く烟ってきた。
また、稲光。ちょっと遠い。
「っあー……きもちいい」
服のまま風呂に入る趣味はない。でも、今日みたいに激しい雷を伴う豪雨の日は、どうしても濡れたくなってしまう変な癖がある。……ああ、やっぱり幼稚園の先生たちに変な子って言われても仕方ないのかな。
だって、肌と髪が帯電している。
雷鳴を聞きながら室内に居る時にも、普通にシャワーを浴びても、傘をさして外を歩いてもこうはならない。
雷雨を全身に浴びた時だけ、髪と肌がぴりぴりする。まるでクリームソーダに浸かったみたいで、背筋も下腹部もゾクゾクしてたまらない。これが妙に気持ちいい。残念なことに、彼氏とのデートよりも。
「……わあ?」
屋上へのドアを何気なく振り返って、ドアに嵌ったガラスに映る女のシルエットが白金に光っていることに、今初めて気づいた。これまでも度々このぴりぴりを楽しみたくてこっそり雷雨を浴びてきたけど、鏡なんて見ることなかったから。
「光るほど帯電するって、さすがに……危険?」
ガラスに映る私は確かに淡く光っているし、足元の水たまりも僅かに明るい。けど、身体を見回してみても光ってるようには見えない。普通にいつもの体だ。
分からないから、気のせいということにして、ぴりぴりを楽しむことにした。静電気程度でも割と光るらしいし。
周囲に比べれば大して高くないオフィスビルの屋上に立ったところで、ここに雷が落ちるなんてことはないだろう。
と、思って両手をぐーっと突き上げて伸びをして、指先から爪先までくすぐるぴりぴりを満喫して、愉悦のため息がつい漏れた、直後。
ものすごい衝撃が私を襲って、視界が真っ白になった。
気づくと、空を飛んでいた。
……気持ちは妙に落ち着いている。死んだ?
いや、死んでない。何故だか確信があった。
全身が薄く5倍くらいに引き伸ばされて風に揺蕩っているような穏やかな快感がある。空飛ぶの久しぶり。
何故だかやってみたくなって、右手をぎゅっと圧縮するようなイメージをしてみる。
と、右腕にあのぴりぴりする感覚の強烈なものが襲いかかってきた。
凶暴なほどの快感に声が漏れた。これも、久しぶり。
それを息を詰めていなす私の目に映った右腕は、人間のものとは程遠い鱗だらけの肌と鋭い爪だった。
ふ、と身体に重さを感じて、屋上にへたり込んだ。まだ雨は降り続け、雲は黒く厚い。でも雷は止んでいた。防水の腕時計が屋上に来てから1時間の経過を伝えている。
さっきのは夢だったのか、気持ち良すぎてトリップしちゃってたのかな。
少しぼーっとしながら立ち上がると、オフィスビルの林に埋もれるようにある近所の神社から煙が上がっていた。さっきの大きめの雷はあそこに落ちたらしい。
そっかあ、惜しかったなあ。浴びたかった。
私はそっと右腕を撫でた。手首の内側に、親指の爪ほどのつるりと硬い感触がひとつ。
真珠のような艶の鱗を見つめて、ごく自然にそれを受け入れている自分がいた。
どうやら私の中に、雷好きの龍がいるらしい。
初投稿です。読んで下さってありがとうございました。続きは次の雷雨の日に書けそうなら書きます。(2018.8.26/派手な雷雨を楽しみながら)