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選挙結果


 土曜日の授業は昼までに終わるので、さっそく安西さんに会いに行ったが、四人の姿はどこにもなかった。

 ――そして、週明けの月曜日。

僕は朝から不安で一杯だった。ご飯が喉に通らない、と言うほどではなかったけれど、何も為しで過ごせるわけでもなかった。

当たり前だ。今日は選挙の結果が学校で張り出される。僕の世界の明暗が分かれるのだ。通学路はいつもよりも遠く感じたし、教室に入るまでの足取りは重石をぶら下げたように進みにくかった。

 先週の土曜日に体育館で、原稿のないスピーチをしたのを思い出す。今思えば、あれは演説なんかじゃなかった。訴えに近かっただろう。児童会長になったら何をしていきたいか、学校をどう変えていきたいかを述べた訳でもない。瑠美音のように華麗なパフォーマンスができた訳でもない。

 時間配分だって滅茶苦茶だったし、階段から転げ落ちかけるほど、腰が抜けてしまった。

 けれども不思議だった。今になっても、あの熱がさめきらなかった。

 選挙の後、金沢さんにも会った。お互いに健闘をたたえ合うことができた。二年ぶりに合う彼女は、心臓が跳ね上がるほどきれいになっていた。前を向いて歩く人は美しい。そんな詩を思い出すほどだった。

 二時間目までの授業はあまり頭に入ってこなかった。そうこうしているうちに三十分の休み時間がやって来た。見に行くべきかどうか迷っていると、戸口から「宮地くん!」声をかけられた。

 眠たそうな垂れ目が特徴的な山ノ辺くんだった。彼の真横には仲上くんと池沢くんもいた。わんぱくとガリ勉と都合よく揃ったものである。

 ちなみに、彼女からのメールが演説後に送られてきた。

『素晴らしいアピールだったわよ。どんな結果に転んでも、君はもう大丈夫』

 素っ気ない文面が安西さんらしかった。

 三人に引っ張られるようにして、掲示板のある廊下の前に来ると、すでに人だかりができていた。この学校での児童会選挙が、これほど注目されたのは、後にも先にもの今回だけに違いない。

 選管の生徒が選挙の結果が書かれた紙を壁に張り出していく。図書委員長、体育委員長、風紀委員長、飼育委員長、書記。

 副会長……金沢美馬。彼女は当選していた。五人もいる中でトップの当選だった。そして、残るは児童会長のみ。

 騒がしかった廊下が静まり返る。その瞬間が訪れようとしていた。僕はその時、目をつぶった。どんな結果になろうと、僕に不安はない、はずだった。

 途端、耳をつんざくほどのどよめきが起こった。

「瑠美音!」と大きな声が響く。ああ、やっぱり彼女が勝ったのだ。所詮、引きこもりが付け焼刃で何とかなる物ではなかった。親になんて話そうか、いや、正直に諦めて話そう。

「宮地くん」山ノ辺くんが肩をゆする。「目を開けてよ」

「ありがとう。君達のおかげで勇気がわいた。選挙はうまくいかなかったけど、もう僕は外で頑張っていける」

「何言ってんだよ」仲上くんの呆れた声が耳をくすぐる。「負けじゃねえよ」

「え?」

 僕は初めて目を開けた。そして、最初に飛び込んだのは、僕と瑠美音の名前、その下に表示された三ケタの数字、そして、片方に添えられた花丸マークだった。


 宮地京介………………………………400票 ❁

 瑠美音ヨハンソン……………380票

 仲上龍樹………………………………1票


「君の勝ちだぞ」

 池沢くんが冷静を装うように言ったが、言葉の端々は震えていた。

「僕が勝った……」

「おめでとう、宮地くん」

「ちきしょう……オレに票を入れてくれたのは一人か。でもいいんだ。絆は数じゃねえからな。この学校には少なくとも、一人はオレを信じてくれるやつがいるんだ」

「いや、いない。君は自分の票を自分に入れたろ」

「……あ、そうか。でもいい。オレはオレ自身のために戦い続けるぜ! 来年はマジで立候補すんぞ! おい、宮地。来季の選挙はオレをプッシュしてくれ」

 二人がそう騒ぐ傍らで、瑠美音の親衛隊だった米崎が叫んでいた。

「これは陰謀だ! 瑠美音が負けるはずがない。彼女を陥れるための罠だ!」

 彼は滅茶苦茶にそうわめきながらも、仲上くんのスピーチに負けないくらい大泣きしながら仲間に引きずられていった。

 何か大きな役目を終えた気がして、僕は全身から力が抜けたように、その場にしゃがんだ。

「宮地くん?」

 頭上から山ノ辺くんが心配そうな声も聞き流し、僕は笑った。目の周りが熱いのが泣いているせいだと分かるのに少し時間がかかった。

「宮地京介さんですか」

 その時、複数の下級生が手帳を片手に近づいてきた。学級新聞の記者だと名乗った。

「今回の選挙の感想を聞かせて下さい」

 僕は慌てて涙を拭き取り、何か適当な言葉を探そうとした時だった。人だかりに混じり、見覚えのある顔が視界によぎった。

「安西さん?」

 キョトンとする記者を置いたまま、僕は彼女を探したが、どこにもいない。おかしいな、さっき確かにいたはずなのに……。そう思っていると、ケータイの振動を感じた。確認すると、なんと安西さんからの着信だった。

「もしもし、安西さん?」

「私を探さないで。依頼金は山ノ辺……彼は忘れん坊だから、仲上くんか池沢くんに渡しておいて、じゃあ」

「ちょっと待って!」

「まだ何か用?」

「助けてくれて、ありがとう」

「……ボランティアをしたつもりじゃないの。私と宮地くんはビジネスの契約関係に過ぎない。それも今日で終わり。覚えておいて、今日から私を見かけても赤の他人と見なして無視して。学校の中でも外でも。私もそうするから」

 そんなの、いくらなんでも水臭すぎる。僕は反論しようとしたが、途中で止めた。代わりに、「その約束を破ったらどうなるの?」

「君を元の引きこもりに戻してあげる。人の心を壊すのは私の十八番なの。児童会長にするよりきっと簡単にできると思う」

 安西さんの声は静かなのに、うるさい廊下でも十分に鼓膜を震わせた。決して嘘は言っていない。彼女なら可能だ。

「それが嫌なら、もう私に関わらないことね。あなたはもう私と一緒にいるべきじゃない。お互いのために、お願いね」

「分かったよ」

「……さようなら」

「さようなら」

「児童会長、応援してるから」

 そして、通話が切れた。それから二度と、彼女から電話がかかる事はなかった。


 一週間後、僕は空港にいた。この日に瑠美音がアメリカに帰国すると聞いていたからである。彼女にどうしても伝えておきたい事があった。クラスメイトから彼女の転校を知り、迷った挙句の判断だった。

 搭乗口の前には、彼女のクラスメイト、ファンクラブの山ができていた。とても近づける雰囲気ではなく、最初は諦めて帰ろうと思った矢先、「ヘイ、キョウスケ!」と明るいハスキーボイスが呼び止めた。

 大きなキャリーバッグを引っ張り、彼女が立っていた。弾ける金髪に大人びたサングラスをかけている。お忍び旅行に来ているハリウッド女優そのままの出で立ちだ。その彼女に勝ってしまったのが僕だ。なんだか、急に申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。

「ヨハンソンさん……」

「シオリが言ってたのはホントだったんだね。キョウスケがお別れに来てくれた」

「シオリ?」

「ミス・アンザイのこと。あなたのガールフレンドなの?」

 弾ける笑顔は最初にあった時と同じだった。

 僕は慌てて否定した。

「違うよ。でも、僕が勝てたのは、安西さんのおかげなんだ」

「そんな事ないよ。あたしが負けたのは、キョウスケ、あなたよ。あなたは見かけによらず強い人ね」

 瑠美音はサングラスを取ると、少し悲しげな瞳を向けた。僕は少しドキッとした。

「あたしね、向こうで暮らしていた時、取っても無理をしてたの。頑張って、頑張って、自分の夢をかなえようとしたの。でも、なかなかうまくいかなくて。日本に来たら今より少しはうまくいくかなって、自分に甘えていたの」

「そんな事ないよ。ヨハンソンさんはいつも、精一杯に戦っていたよ。僕が君に勝ったのは、まぐれだ」

 間髪入れずに、彼女の平手が飛んだ。結構痛かった。

「シオリに頼まれたの。もしも、キョウスケが今みたいに馬鹿な事を言ったら、一発殴って目を覚まさせてあげてって」

「安西さんが?」

「でも、シオリに頼まれてなくても、あたしはそうしてたよ。キョウスケはフォーチュンで勝ったんじゃない。キョウスケはあたしがなりたかった姿だもの」

「ヨハンソンさん……」

「さてと」彼女はサングラスをかけ直した。「あたしもあなたに負けないように戦わないと。あたしのフィールドはアメリカだから。きっと、将来、スクリーンでヒロインになって見せるから。その時は試写会に呼んであげる。レッドカーペットを踏んでみせるから」

「応援するよ。だけど、僕も今よりずっと大人になる」

 彼女は僕に抱きついた。向こうではハグという習慣なのは知っているけど顔から火が出る気分だった。彼女の体温が伝わって来る。

「じゃあね、キョウスケ」

 歩き出そうとした彼女は、一度振り向いた。

「ファンの人達に悪いと思ったから言わなかったけど、今考えても分からないの。どうして、あたしは選挙に出馬しようと思ったのかなって」

「自分で決めたんじゃないの」

「それがはっきり覚えてないのよ。誰かが薦めてくるものだから、あたしもその気になっちゃって。あたしって、おだてられちゃうと、何でも参加しちゃう癖があるから」

 僕は背中が冷える予感がした。不意に邪悪な笑みが脳裏に浮かんだ。でも、まさか、そんな事までできるはずがない。

「でも、済んだ事だし、もういいよね。じゃあね、キョウスケ!」

 瑠美音は颯爽と搭乗口の方へ向かって行った。別れを惜しむクラスメイト達にハグして、手を振りながら搭乗口の向こうへ消えた。舞台から退場する女優そのままの所作だった。最後まで、彼女はヒロインだった気がする。

 僕も負けていられない。

 心に漂う迷いはもう消えていた。

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