第三の候補者
翌日、校内に掲載された新聞に、人だかりができていた。《号外!》から始まる見出しは、ほとんどの生徒の関心を釣り上げたるには十分だった。
児童会長立候補者連続襲撃事件の犯人は、候補者支持者か!? ここ数日の間に発生した襲撃事件。被害者は児童会長の立候補者だった。驚くべき事に襲撃犯らしき生徒の正体は、同じく立候補者の熱狂的支持者であった。個人情報のため、名前は伏せるが、知る人ぞ知る有名人である。件の候補者が事件に関与しているか否かは今のところ不明だが、今後の選挙活動に影響が出るのは明らかだろう。なお、最後に襲撃されかけた候補者の一人、宮地京介くん(五年)は軽傷で済んだ。彼は選挙を続ける決意を語る。
『僕は絶対に児童会長になるんだ!』
正直というか、そのまんまで、創意工夫のない決意表明である。いずれにせよ、今回の児童会長の選挙はひと波乱ありそうだ。
「この候補者って、あのヨハンソンって子じゃない?」
「そうだよね。なんか胡散臭いと思ってたけど、マジだったんだ」
「人は見かけによらないな」
ひそひそ聞こえてくる噂は、瑠美音への批判ばかりだった。これがあっという間に校内に広がっていけば、彼女の票も減るかもしれない。安西さんが言うには、今日の校内放送の内容によっては、選挙を辞退するかもしれないという。
僕にとっては正直その方がいい。強力なライバルがいなくなり、他の候補者がいない。僕は自動的に児童会長に選出される。不戦勝みたいで何だか気持ちよくないけれど、勝つか負けるか分からないよりは仕方がないだろう。
そして、昼休み。
教室のテレビに瑠美音が映し出された。いつものアメリカン・スマイルはなりを潜め、神妙な面持ちで正面を見据えている。
(まず、皆さんに言わなくてはいけない事あります。他の候補者に怪我を負わせた人達、私とは一切の関係はありません)
安西さんの読み通りだった。外国人は簡単に謝罪しない。彼らにとって、謝るという行為は、自分の非をすべて認める事になる。きっと、瑠美音は言い訳をする。その姿に支持者は幻滅する。大半が彼女から離れていく。その票は自動的に僕に流れていく、と。
うまくいけば、自ら選挙を降りてくれるかもしれない。転校生の彼女はこれ以上、自分のイメージを傷つけたくないと思う。どっちに転んでも、僕に有利に働くようになっている。
だけど、果たして、そう都合よくいくだろうか?
(ワタシのファンの暴走はワタシの知らないところで起きました。けれど、彼らの暴走を招いたのは、ワタシの甘さかもしれません。まったく責任がないとは思っていません。このまま、何もないまま選挙を続ける訳にもいかないでしょう。だから――)
ワタシは辞退します。そう言うのか? 僕、いや、安西さんの勝利か……?
瑠美音は画面の端からハサミを取り出した。僕は給食を食べるのも忘れ、画面を注視した。クラスメイトも同様だった。
「私なりに、ディスティンクション……けじめをつけます」
次の瞬間、瑠美音の行動に教室中がどよめいた。
なんと、彼女は自分の金髪を切り始めたのだ。腰の近くまであったロングから、襟首までのショートになったところでハサミを置いた。彼女の目には大粒の涙が浮かんでいた。ルージュの唇を強くかみしめている。
(アイムソーリー! それでも……それでも、ワタシ戦いから逃げたくない。皆さん……どうか、こんな私の勝手なわがままを許してください!)
瑠美音が深々と頭を下げた直後、教室中に拍手喝さいが巻き起こった。「瑠美音! 瑠美音! 瑠美音!」の唱和は、昼休みの間止む事はなく、校内中の窓を震わせた。
「宮地くん、口から牛乳こぼしてるよ」
隣の子がそう言うまで、自分が放心しているのに気づかなかった。
時と場所は変わり、ラーメン屋《麺麺軒》にて――。
「ラーメン入ったよ! とっとと喰って金払って帰りやがれ、コソ泥野郎!」
カウンター越しに店主が笑顔を振りまく、中華風の店内。ラーメンを食べつつ、僕と安西さんとトリオ、そして、新しく仲間に入ったエイミーの六人で、作戦会議は始まった。
《麺麺軒》はエイミーの叔父さんが経営するラーメン屋である。店主も日本語はお世辞にも上手いとは言えず、彼女と一緒に安西さんからレッスンを受けたらしい。ちなみに、さっきは「ご注文のラーメンでございます。ゆっくり召し上がれ」と言ったつもりだという。
「私は出戻りヨハンソンを過小評価していた。彼女は人から見られる事を意識している。どんな立ち位置をすればカメラ映りがいいか、どんなセリフを言えば観客のハートを掴めるか。恥もプライドも、出戻りヨハンソンにとって何の意味も持たない。むしろ勝つ事こそプライドで、敗北は恥そのものなのでしょうね」
「今日の政見放送はすごかったよ。皆で瑠美音コールだった」
「私達のクラスもそうだったわ。結局、今回の襲撃事件は、彼女にとっては悪くない結果で終わったようね」
「俺らもウカウカしてられねえな」と仲上くんがスープをすすった。
「そうだな。成田、相原、そして、南条寺が辞退した今、児童会選挙は我々とルミネ陣営の一騎打ちになった」
池沢くんの指摘に、僕は思わず箸を止めた。どちらかが当選して、どちらかが落選する。二つに一つの結末しかない。選挙の重みがさらに増した。
「一騎打ちも面白そうだけど、万全を期すためには、ここで三人目の候補者に現れてもらうわ」
安西さんの一言に、僕らは注目した。
「三人目の候補者だって?」
「ええ。ヨハンソン以外の票田を、できるだけこちらに流させるためにね。今回のファン暴走事件と瑠美音の謝罪演説で状況が大きく変わったのが二つあるんだけど、それは何だと思う?」
「一つは分かるぜ。ズバリ、瑠美音の髪型だ!」
仲上くんが胸を張って答えた。僕は矢継ぎ早に言った。
「三人の候補者の辞退と、瑠美音の支持票」
「その通り。成田、相原、南条寺が降りた事で、彼らを支持していた票が宙に浮いたわ。いわゆる、浮動票ってやつ」
「つまり、支持する候補者のいない人の票だね」
「そして、出戻りヨハンソンの謝罪会見で、彼女のファンから離脱者が現れるはず」
「どうしてだよ? すげえよかったじゃん、あの演説。髪は女の命だって母ちゃんが言ってるのを思い出したから、オレも泣いちゃったぜ」
「バカね、仲上くん。皆が皆、あんな茶番に心動かされたと思う? とにかく、この人達もまた、浮動票になる。ただし、ヨハンソン以外に流れる。この浮動票の争奪が鍵になる」
安西さんはラーメンのスープをすすると、言葉を続けた。
「ここで、例えば……仲上くんが立候補したとしましょう」
「え、俺が立候補すんのかよ?」
「例えばの話。宮地くんよりも、明らかに馬鹿で、間抜けで、トンマな候補者だとアピールさせる。すると、浮動票を持つ有権者はどう思うかな?」
「なるほど。宮地くんの印象を際立たせるための囮か」
「その通り。宮地くんには演説までの間、学校の内と外で社会奉仕をしてイメージをアップさせる。逆に、仲上くんは向こう水で場違いなピエロを素で演じてもらう」
「なんだ、その言い方……」
「特に、アンチ・ヨハンソンの票は重要よ。私の考えだと、大半が女子じゃないかな。彼女達の心を掴むには、比較できる格下がいた方がいい。ヨハンソンには入れたくない、他の候補者のうち、仲上くんに比べれば、宮地くんの方がまし。どうせなら、彼に入れよう。悪くないし、人当たりもいいし、あの仲上くんよりずっとましかもね、みたいな感じに」
「なるほど。オレでも何となく分かったぜ」
先に食べ終わった仲上くんが納得してみせる。
「じゃあ、囮の候補者役は仲上くんで決定ね」
「あいよって、ち、ちょっと待て! なんで俺なの? それによ、もう立候補の締め切りはとっくに終わっているはずだぞ」
「心配しないで。宮地くんと同じタイミングで私が申し込んでおいたから」
「んな、むちゃくちゃな!」
「すみません、餃子一人前追加」
安西さんが注文してから言った。「これじゃ、だめ? 何も無理しなくてもいいんだよ。いつもの仲上くんでいてくれるだけでいいの」
「ホントに?」
「うん」
しばらく頭を抱えた末、仲上くんは「よし!」と大声で叫んだ。
「オヤジ、天津飯、チンジャオロースも追加! 追加分は頼むぜ、安西」
安西さんは無表情だった。けれども、彼女のはらわたが煮えくりかえっているのは、人の心を読み取るエスパーでなくても分かった。後が怖いというのに、仲上くんはすぐ調子に乗ってしまう。
それにしても、安西さんの計算高さには恐れ入る。こんな展開を予期して、仲上くんを第三の候補者に仕立て上げていたなんて。
「仲上くんと宮地くん。困ったな、ぼくはどっちを応援すればいいんだろ?」
一番に食べ終わった山野辺くんが能天気に言った。




