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謀略と個人的な復讐

 その日の放課後、僕はいつものように校門で挨拶を続けた。安西さんの言いつけを破ってしまったが、何もしないままでいるのには我慢できない。

「児童会長立候補、宮地、宮地京介をお願いします!」

 以前なら池沢くん達三人も一緒に呼びかけてくれたが、今は僕一人しかいない。それでも構いやしなった。あんな小さな子だって頑張っている。児童会長を目指すなら、そもそも一人で頑張るべきなのだ。

 下校中のクラスメイトが通りかかると、僕に向かって「卑怯者!」とヤジまで浴びせかけた。僕は声を大にして叫んだ。

「僕は選挙に出るんだ。絶対に辞退なんかしない。正々堂々とやってやる」

 一時間くらい頑張った努力の甲斐もあってか、いつの間にか、数人のギャラリーが僕を取り囲んでいた。

ああ、よかった。誠意を込めると足を止める人もいてくれるのだと感激しかけたが、何かがどこかおかしかった。ギャラリーの皆は一様に黒い格好をしていて、しかも、そろって顔を覆面で隠している。

まるで、銀行強盗みたいな出で立ちだ。

 僕は一旦挨拶を止めた。そうするしかないと思ったのは、彼らの手には凶器が握られているせいだった。スポーツチャンバラに使うゴム製の武器だった。刃物ではないにしろ、危険な凶器である事には変わりはない。

「何だい、君達は?」

 彼らは答えない。脳裏に浮かんだのは、一人の少女の不気味な横顔。こいつらが安西さんの回し者なのだ。彼女に頼まれて、僕以外の候補者を次々と襲ったに違いない。

 僕は恐る恐る聞いた。

「君達は、彼女に頼まれたのか?」

「誰に言われたでもない。俺達が勝手にしているだけだ」

 安西さんにそう言うように指示されたのか。自分が黒幕だとばれないように。やはり一連の襲撃事件の黒幕だったのだ。

「酷い……他の候補者たちも全部君らがやったのか?」

「彼女に立てつく奴は誰であろうと許さない」

「もう止めろ! 僕のために他のライバルをつぶすなんて、間違ってる!」

 僕の言葉に、覆面達はキョトンとしたように首を傾げた。

「お前こそ辞退しろ」

「え……君達は安西さんが雇ったんじゃないのか? 安西さんの命令で僕のライバル達を消すために」

「訳の分からない事を言うな」

 一人が僕の頭を叩いた。意外と痛い。

「お前には辞退しろと警告したはずだ」

「警告……何の事だよ!」

「机の中に入れた手紙を読まなかったのか。知らないとは言わせないぞ」

 僕はジンジン痛む頭を抱えながら、あの手紙の件を思い出した。

「ヨハンソンさんの机にあった手紙?」

「何だと? おい、誰だ、こいつの机に脅迫文を入れた奴は?」

「あーたぶん、僕だよ」

聞き覚えのある能天気な声だった。

「たぶん、彼女の机に間違って入れてしまった」

「馬鹿野郎。こいつの机に入れて引き下がらせるつもりだったのに」

「まあ、いいさ。こいつをズタボロにして選挙に出られなくすればいいだけだ」

 覆面達が一斉に襲いかかった。僕は咄嗟に目をつぶった時、誰かの悲鳴を聞いた。僕ではない別の誰かの声。

 ゆっくりと目を開けると、覆面の一人が地面に倒れていた。一人の背中があった。小柄で紺色の服を着た女の子だ。ぶかぶかの帽子を被っている。

「誰だ、お前?」

「構わねえ、あいつと一緒にいてこましてやれ!」

 覆面達が凶器を振り被りながら殺到して来た。

直後、少女は目にも止まらぬ速さで、彼らを倒していく。華麗に舞い、軽々と攻撃を避け、蹴りと打撃で彼らを吹き飛ばす。

 気がつくと、襲撃者はその場で倒れていた。

「大丈夫か、お前?」

 少女が片言の日本語で言った。彼女の服装と同じぐらい奇妙だった。大きな帽子には赤い星マークがついている。まるで、カンフー映画から抜け出てきた感じである。

「助けてくれてありがとう。君は誰なの?」

「彼女は、エイミー・チャン。竜田揚げの代わりに来た、中国四川省の交換留学生よ。そして、宮地くんのウグイス嬢兼護衛でもある」

 彼女の真横には安西さんが立っていた。

「僕の護衛だって?」

「ええ。彼女は少林寺に通っていたから、その役は大丈夫。日本語も私が多少レクチャーしたからいけると思う」

 エイミーは手を伸ばして握手を求めてきた。予想外の握力に手を握りつぶされてしまうかと思った。後で聞いた話だが、彼女の着ている服は人民服という中国で昔流行った服らしい。最近またブームになりつつある。

「宮地京介です、よろしく」

「あたすエイミー、お前守るから、ちゃんとしゃべれよ。ちゃんと当選しないと殺すぞ」

 安西さんの日本語レクチャーには欠陥があったようだ。

「ところで、あいつらはヨハンソンさんの仲間だったんだね」

「あの女に魅入られて、彼女のためにと思って、今回の襲撃をしていたの。もっとも、本人も知ってか知らず、それを利用していたかもね」

「でも、皆逃げちゃったから証拠もないよ」

「証拠ならあるぜ」

 そばにある茂みをかき分けて、池沢くんと仲上くんが躍り出た。その手にはビデオカメラを持っている。

「連中の犯行は、すべてここに録画したわ」

「ずいぶん手際がいいね」

「さらにおまけもあるわ。山ノ辺くん、連中の会話は録音できた?」

 また茂みから小太りの黒装束が躍り出た。覆面を取ったその顔は山ノ辺くんだった。さっきの声は彼のものだった。ちなみに、脅迫の手紙を瑠美音の机に入れたのも彼である。安西さんの指示ではなく、本当に間違えたらしい。結果としてはよかったのだが。

「ちゃんとできたよ」

「これで連中とヨハンソンはグルだとこじつけられる」

「一体、何がどうなっているの?」

「私達は、ずっと、宮地くんを見張っていたの。あなたが私の忠告を逆ってくれると期待しながらね」

「でも、あれは僕が勝手に――」

 安西さんの隣に、孝太少年が現れた。見えないはずの目が開かれていた。

「私が仕込んだの。この子は病気というのも嘘。演技上手かったでしょ? 劇団に入ってるんだってさ」

「僕を騙したのか?」

「うん。宮地くんにやる気を起こさせるためにね。そうすれば、ヨハンソン教の信者達が業を煮やして事を起こす。馬鹿と善人は使い様ってわけ」

「酷いよ! 安西さんは嘘つきだ」

「何を言ってくれても否定しない。でも、私の嘘はね、いつもより良い結果を生むの。もしも、私の嘘がなかったら、宮地くんは選挙を辞退しようとしたんじゃないの。違う?」

 それを言われたら、反論のしようもなかった。悔しいけど事実だ。

「分かったよ。ところで、もう隠している嘘はない?」

「ごめんなさい、まだあるの」涼しい顔をしながら、彼女は言った。「今回の襲撃事件を裏で扇動したのは、実は私なの」

「なんだって!」

「ヨハンソンのファンサイトは校内だけでも三つもあるんだけど、いずれも運営しているのが私なの。参加者はいずれも熱狂的なヨハンソンのファン。私は、彼らにこう言った。彼女の邪魔をする奴らをやっつけるのが我々の使命だって。適当に言ったつもりだったんだよ。でも、皆は本気にしちゃったみたい」

 安西さんは、お茶目に舌を出して謝った。けっこうレアな光景であるが、冗談でも騙されてはいけない。

「もしも怪我人が出たらどうしていたの?」

「そのために、私はネットの中で主犯格を演じたの。衝撃には加わらずにネットの中だけで。覆面を被るように言ったから、お互いに正体もばれないだろうし。すべては瑠美音の指令とかって言ったかも。ごめんね。えへっ」

 安西さんは、かわいい女の子をまた演じた。悪い事をしたのに謝らない奴は最低だけど、笑いながら謝る人ってどうなのだろうか。

「南条寺さんも、安西さんの仕業?」

「私直々にね。あの女には個人的な恨みもあったしね」

 安西さんの笑顔が一瞬で消えた。

「個人的な恨み……」

「そう、忘れもしない去年の十二月八日の昼休み。私が廊下を歩いていたら、南条寺がすれ違いざまに足を踏んだの。あいつは普段から、校内でも舞妓が履くようなポックリ下駄で歩くから、踏まれた時はすごく痛かった。なのに、あの女は謝る事なく立ち去りやがった。それからよ、授業中でも、給食の時間でも、掃除の間も、登下校も家にいる時も、クリスマスも大晦日も正月も節分の時もずっと、あの女の事ばかり考えていた。片時も忘れなかった。寝る間も惜しんで脳をフル回転させて悩んだのよ。あの苦痛と屈辱と憎しみに見合う以上の仕返しをね!」

 その積年の恨みの結実が、あのブーブークッションだったのか。まさに、蛇のような執念深さだと、僕は呆れながらも感心した。安西さんはサバサバした印象だったが、意外と根に持つタイプらしい。

 下唇を噛みしめ、握り拳をする安西さんは、また元の笑顔に戻った。

「そしたら、児童選挙に出るっていうじゃない。復讐の機会を逃してなるものかってな感じでやっちゃいました。えへっ」

 ……女の人って怖いんだな。僕はつくづくそう思った。

 お茶目な笑顔の安西さんがいつもの能面に戻った。表情豊かな人だ。

「ま、いずれにせよ、今回私達の得たものは大きいわ。唆したかどうかは関係ない。ヨハンソンの支持者が他の候補者に暴力を振るったのは、紛れもない事実。おまけに明日は、校内テレビ放送で候補者の紹介がある。彼女が先よ。あの、出戻りヨハンソンがどんな言い訳を吐くのか見物ね」

「出戻りヨハンソン?」

「本場のアメリカでろくにやっていけず、ノコノコと第二の故郷へ帰って来た地下アイドル。それがヨハンソンなの。日本程度なら自分でもアイドルになれると思い上がっているあの子に世の中の厳しさを教えてあげる」

 安西さんは邪悪な笑みを浮かべていた。悪役の面構えである。

 僕は怖気を感じつつ、密かにヨハンソンさんが辞退してくれるのではと、よからぬ期待も抱いていた。卑怯な奴なのは分かっているけど、それが本音なのだから仕方がない。

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