7.決意
その後は今後の活動についての説明を受けた後、様々な書類にサインと押印する作業が待っていた。執行人活動で得た情報を外部に漏らさない誓約書、活動における手当ての振込先、執行人証明書発行書類など、それぞれの書類の説明とサイン、押印の繰り返し。1時間ほど繰り返して、ようやくすべての書類にサインすることができた。引越しなどで何度か役所で手続きを行ったことがあるが、実に面倒だと改めて感じた。石崎が説明者でなかったら、もっと時間が掛かっていただろう。見た目はちゃらいが、面倒な説明を要点だけかいつまんで分かりやすく説明してくれ、助かった。ある意味、公務員としては失格なのかもしれないが、自分には優秀な人間のように思えた。
すべての手続きを終えたあと、石崎からICカードを手渡された。カードの表面に特別公務員活動許可証と記載がある。右上にはNo.00001という数値、中央には名前、生年月日、年齢が記載されている。カードの左側には自分の写真がプリントしてある。受付で渡した証明写真を焼き付けたものらしい。
「特別公務員活動許可証?」
俺は思わず口に出して、そのカードに書いてある文字を読んだ。
「先ほど説明した執行人としての身分を証明するものです。万が一紛失したときのことを考えると、カードの表面に執行人とは記載できないため、そのような呼び名にしております。これを携帯しておけば、刑務所や警察署、裁判所、法務省などに立ち入ることができます。最初は本物かどうかの照会で立ち入るのに時間が掛かるとは思いますが、何度も通えばカードを見せるだけで担当者に会うことができるようになるでしょう」
「執行人というのは本当に強い権限を持っているのですね」
「強い権限を持っていますが、絶対に悪用はしないでください。悪用した場合、執行人としての身分を失い、他の執行人が選ばれることになります。この場合は刑事裁判になり、10年の懲役といったところでしょうか。かなり重い刑罰です」
「本当に執行人制度というのは、逃げ道が無いのですね……」
いわゆるざる法で、逃げ道があると思っていた自分が恥ずかしい。逃げ道は完全にふさがれている。逃げようとすれば自分にとって何の利益もない結果が待っている。
「では、これですべての手続きは終わりました。ちなみに法務省の担当は私ですので、執行人としての活動でお困りのことがあれば、私に連絡をください。連絡先はお渡しした名刺に記載してあります。戸惑うことがあるかと思いますが、最初の執行人としてその責務を全うしていただくことを願っております。あ、それとこれは本日の交通費になります。少し多めですが、本日の手当てだと思ってください」
俺は石崎が差し出した封筒を受け取り、許可証のカードと名刺をとりあえず財布に放り込むと、席を立った。
「それでは長い時間お付き合いいただきありがとうございました」
石崎は会釈をすると、立ち上がった。
「こちらこそ、ありがとうございます。簡潔で大変分かりやすい説明でした」
石崎は回りこんで、出口の扉まで移動すると、その扉を開けた。
「そういえば佐藤さんの名前ですが、とても良い名前ですね。私事で恐縮なのですが、実は子供ができましてね。名前をどうするか悩んでいます。近年は書いた文字と読みが大きく異なる名前が流行っているようで、このようにストレートでご両親の思いが良く伝わる名前を見ると、やはりこういう名前が良いなと思ってしまいますね」
「ははは……。自分には勿体無い名前ですよ。名前負けしていて恥ずかしいぐらいです。それはそうと、元気なお子さんが生まれると良いですね。それでは」
俺は笑みを浮かべて、軽く頭を下げると、石崎の横を通り過ぎて部屋を出た。
今まで生きてきて、名前を褒められたことなど一度も無い。石崎はなぜ俺の名前を褒めたのだろう。もしかしたら、俺の名前を見て、執行人としての立場から皮肉めいた何かを感じたのかもしれない。執行人としての正義とは、紛れも無く、罪人に対して死刑を執行することだろう。人を死に至らしめることは多くの人間にとって、自分自身の正義ではないに違いない。立場と思想が対立したときに、人間はどちらを選択するのだろうか。「正義」という名前にこめられた思いを考えると、自分ではどうにもならない今の立場は正に皮肉だった。そんなことを考えながら仕事とはいえ子供が生まれるというのに、人の命を奪う執行人の相手をしなければならない石崎に少し同情した。
地元の駅に着く頃には、すでに日が暮れ、街灯が輝いていた。俺は駅前の焼き鳥屋の提灯の灯りと焼き鳥の香ばしい匂いに引き寄せられいくつかの焼き鳥を購入し、途中の自販機で冷たいお茶を購入した。家に常備しているいつものカップ麺を食べる選択もあったが、何だか今日は麺をすする気にはなれなかった。コンビニで酒を購入したい気分であったが、行きのことを思い出してどうしても奴には遭遇したくなかったため、コンビニに寄るのはやめた。こんなときにも奴のことを気にする自分が腹立たしい。
家に帰ると、部屋は真っ暗で何も見えず、窓から町の薄ぼんやりとした明かりが差していた。俺は蛍光灯を点け、畳の上に腰掛けると、ふとテーブルの上の小さな鏡を見た。鏡に映る男は何だかひどく痩せこけた感じがし、目が死んでいるように見える。執行人任命通知書が届いてからのこの3日間、異常に長く、疲れた。その中でも今日という日が一番疲れた。普通の人生を送っていれば、こんなに精神的に疲れる日は一生に一度も無いに違いない。それほど、疲弊していた。気を張らないとこのまま寝落ちしてしまいそうだ。
県庁に行く前、執行人制度に多少なりとも逃げ道や抜け穴があることを期待していた。しかし、その甘い幻想は石崎の説明で打ち砕かれた。俺はもう逃げられない。1年以内に決着をつけなければならないのだ。
少し冷えた焼き鳥を頬張りながら、執行人として何をするべきかを考えてみた。最初にするべきことは決まっている。執行対象の死刑確定囚、流山翔に面会することだ。無実を主張していたのにも関わらず、なぜ控訴しなかったのか。それを訊ねたい。そして、この男がどんな人間なのかを知りたい。命を奪うことになるだろう人間。死刑になるほどの罪を犯した男のその人間性を知りたい。その行動が執行人活動に支障をきたす恐れがあることも十分承知の上だ。だが、自分はこの男にしっかり向き合った上で、その時を迎える必要があると感じた。
もちろん、事件に関しても調査する。犯行現場にも行くし、すべての捜査資料を確認するつもりだ。徹底的に調べつくして、誰よりも事件に詳しくなろうと思った。執行人制度の権限を最大限利用する。最初の執行人としてできる限りのことをして、今後選ばれるであろう執行人たちに、多くの情報を残そう。それが最初の執行人である自分の使命ではないかと勝手に思った。
俺は焼き鳥をすべて食べると、お茶を飲み干した。いつもならここでPCを起動して、ゲームに没頭することだろう。今の状況だとすべてが決着するまでゲームはやれないだろう。いや、もはや一生この手のゲームはできないかもしれない。リアルで執行人になった今、ゲーム内での執行人活動が稚拙なものに思えた。何がプレイヤーキラーキラーだ。何が執行者だ。
俺は明日に備え、寝る支度を始めた。




