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執行人  作者: runcurse
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6.悪法

 県庁へ行くと、俺は許可証を渡され、一室に通された。


 通された部屋はかなり広く、そこには役人と思われるスーツを着た男が一人立っていた。男の前にある会議用の長机の上には大量の資料が置かれており、これからそれらの資料の説明があると思うと、少しげんなりした。


 「どうぞ、そちらへおかけください」


スーツの男が大量の資料が置いてある長机の手前にある椅子を指し示す。椅子に腰掛けると、男も対面の椅子に座り、スーツのポケットから何かを取り出し俺の前に差し出す。名刺だった。


 「法務省矯正局、石崎健介と申します。佐藤正義さんですね。本日はお忙しいところ、ご足労頂きありがとうございます」


 名刺を受け取ると、机の上に置いた。見た目の印象とは違い、丁寧な言葉遣いで驚く。第一印象は「ちゃらい男」という感じだった。見た目の印象など当てにならない。


 「あ、はい」


 「そんなに緊張なさらないでください。実はそういう私も今回が初めての事例ということもあって、緊張しているのですが」


 石崎は少し笑みを浮かべた。官僚にしては軽い印象を受ける。


 「では早速、本題に。本日は執行人制度の説明をお聞きいただくのと、各種手続きを行っていただくためにお越しいただきました。執行人任命通知書と一緒に同封されていた白い冊子はお読みになられましたか?」


 「読みました」


 「執行人制度に関しては、どの程度理解されていますか?」


 「あの冊子に記載されているぐらいのことは理解しているつもりです」


 俺は冊子に書いてあったことを概要で話す。石崎は俺の話を聞きながら、首を縦に振る。


 「なるほど。冊子をかなり熟読されているようですね。本来はあの冊子の内容も含めて説明しなければいけないのですが、要点を抑えておられるようなので、早速本題に入らせていただきます」


 石崎は机の上の資料からひとつを選び出すと、それを俺の方に向けた。資料には男の写真が貼ってあり、その下には履歴のようなものがびっしりと記載してある。


 「こちらが佐藤さんに担当していただく死刑囚になります。最近世間を騒がしている連続殺人犯の男です。テレビなどでもしきりに報道されているのですが、ご存知ですか?」


 「連続殺人のことがテレビで報道されていることは知っています。顔は初めて見ます」


 「名前は流山(ながれやま)(かける)。23歳。男性。罪状は3件の殺人と死体損壊。裁判では一貫して無実を主張していましたが、死刑判決後は控訴期間内に控訴しなかったために、刑が確定しています」


 「無実を主張していたのですか? なぜ、控訴しなかったのでしょうか」


 「さて、私にも分かりません。世間的にも大きな謎と言われているみたいですね。その辺りは本人に直接お聞きになってはいかがでしょうか。ご存知の通り、執行人には死刑確定囚への面会の権限があります」


 「犯人と被害者はどのような関係だったのですか?」


 「本当に事件について何もご存じないのですね。被害者は犯人の恋人とその両親です。殺害した動機は不明です」


 「動機は不明……、なのですか?」


 「はい。動機は不明なのですが、決定的な証拠が出たということで、逮捕、起訴されたようです。検察は何らかの諍いの後に起こった衝動的な殺人と見ているようです。また、証拠隠滅をした形跡があったとかで、それが死刑判決の決定打になったようです」


 動機不明な殺人事件。被告人は無実を主張。判決後、控訴せず。得体の知れない気持ち悪さがあった。自分の犯行を隠して無実を主張する犯人が控訴しないのはどう考えてもおかしい。犯人でないとすれば、無実を主張しているのだから控訴しないのはおかしい。罪から逃れることに執着しているのにあっさり諦める。潔白を主張しているのに諦める。どちらだったとしても、控訴しないという選択は不自然に思えた。この流山という男は何を考えているのだろう。


 「どうもわかりません、この流山という人が。よりによって、こんな人を……」


 「そのために、執行人には特別の権限が与えられているのです。執行人が自ら調査して、その経緯を調査することができる。執行までには1年間の猶予があります。佐藤さんはその間に事件のことを再度調べることができるのです」


 調査と聞いたとき、俺は冊子を読んだときに抱いた疑問を思い出した。


 「調査することに何の意味があるのでしょうか。私はあの冊子を見て、ひとつ疑問に思ったことがあります。調査する権限は与えられているのに、死刑執行を拒否する権限が無い。調査して何らかの新しい事実、例えば無実だったということが分かったとします。執行人は死刑執行を拒否できるのですか?」


 「その件ですが……」


 石崎は複雑そうな顔をして、下をうつむく。声は明らかにトーンダウンしていた。


 「結論から言うと、拒否することはできます。ただ、それは執行人にとって望ましくない結果となります。義務を放棄することなのですから、相応の対価を支払うことになります」


 「相応の対価?」


 「執行人が死刑執行を拒否した場合、対象の死刑確定囚の刑罰を無期懲役刑に変更し、執行人を無期懲役に処する。無期懲役、それが執行人が支払う対価です」


 「無期懲役……?」


 無期懲役を対価として、死刑執行を拒むことができる。人生の大部分を犠牲にして、罪を犯したかもしれない人間の命を救うことができる。そんな選択をする人間がいるのだろうか。執行人になった時点で、詰んでいるといえた。それにも関わらず、執行人任命通知書を受け取ったときのような、激しい驚きは無かった。


 「はっきり申しましょう。法務省の人間の私が言うのものなんですが、対価を支払えば死刑執行を拒否できるこのルールは極めて問題だと思っています。執行人制度が悪法と呼ばれる所以です」


 「悪法ですか……」


 「はい。何の罪の無い人間を無期懲役という重刑に処するわけですから、悪法です。明らかな憲法違反であるともいえます。さらに悪質なのは、執行人が拒否の選択をした場合、執行人は裁判を受けることができません。拒否を選択した時点で収監され、懲役刑に処されます。裁判を受けるという基本的な権利が保障されていません。また、すでに確定した死刑という刑罰を変更することも問題です。裁判という制度を覆す大問題です。なぜ、こんな法案が通ったのか……」


 石崎は眉間に皺を寄せ、顔を高潮させている。感情をあらわにしたその姿は、自分が抱いている官僚のイメージからは程遠い姿だった。


 「失礼。とにかく、拒否する選択はあります。どちらを選択するにしても、相当な覚悟が要る。それがこの執行人制度です」


 「しかし、こんな大事なことをなぜ冊子に記載しないのですか」


 「死刑を執行するのは執行人の義務であって、本来拒否を選択することはできないのです。だから、冊子にも記載されていない。表向き選択としては考慮されていないのです」


 「石崎さんは、面白い人ですね。拒否できないのに、拒否したときのことを教えてくれるなんて」


 「冊子には載ってはいませんが、可能性としてある以上、答えないわけにはいきません。それに、尋ねられたら答えるように指示が出ていますので。拒否の件はもちろん法律でも定められています」


 よく分からない死刑囚に、よく分からない法律。自分が異世界にでも迷い込んだ気分だった。「もしも執行人制度が制定されたならば」、という物語に沿って自分が踊らされている、そんな感じがするのだ。これから自分がどんな選択をするのか分からないが、まずはこのよく分からない死刑囚について調べる必要があるな、と思っていた。

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