5.奴との遭遇
執行人任命通知書が届いて3日が経過した。俺は期限よりも早く、県庁へ向かうことにした。ここ3日間、今までの人生で一番考え込んだと言い切れるが、執行人としての考えがまとまったわけではない。考えたところで答えなど出るわけがないことは分かっているのだが、考えずにはいられなかった。色々考えることで、この先の不安を解消しようとしているだけなのかもしれない。
家を出て扉の鍵を閉め、アパートの階段を下りる。足取りは重い。階段を下りる音がいつもにも増して、耳に響いてくるようであった。いつもの通りを駅の方面へ進む。
コンビニの前を通過しようとしているときだった。窓越しに立ち読みをしている「奴」の姿が目に入ってきた。よりによって、何でこんなときにこんな奴と遭遇してしまうのだろう。幸い、奴はこちらに気がついていないようであった。今はこいつと話すような気分ではない。俺は少し歩幅を広げ、足早にコンビニの前を通り過ぎる。
コンビニの建物を完全に通り過ぎ、うまくやり過ごせたと思った瞬間だった。
「こんにちは、佐藤君」
何となく悪い予感はしていたのだが、そういう予感は当たってほしくないときに当たるものだ。だがここで反応してしまうと、奴の思う壺になってしまう。俺は聞こえない振りをして、そのまままっすぐ駅への道を進んだ。
「さ、と、う、君」
突然両肩を握られる。俺は体がすくみ、歩みを止めた。その直後、自分の顔の左側から妙な視線と息を感じ、あわてて身を捩じる。
「うわあああああ!」
俺は体を強く横に振り、肩から奴の手を振りほどくと、前に飛び上がるように距離を空け、体を翻した。奴が満面の笑みでこちらを見ている。
「何をするんだ!」
「本当は気がついているのに、無視するからだよ」
奴は大きな目を細め、くすくす笑っている。白いタンクトップから出た小麦色に日焼けした肩が上下に揺れている。以前突撃されたときより顔がすっかり日焼けしており、いかにも夏を楽しんでいるといった装いだった。海かどこかに行ったのだろう。気分が沈んでいるときに、本当胸糞悪い。
「一体何の用だ。俺はこれから出かけなければならないんだ」
「まあまあ」
奴は突然、何かを投げて俺に寄越す。受け取ったそれは冷たいペットボトルだった。
「これは何だ? 俺の話を聞いてなかったのか?」
「それはお互い様だよね。それはこの間のお返し」
「何もあげてねえだろ」
「カップ麺をくれたよね。食べなかったけど」
「いや、それはお前が欲しいというから」
「あれは僕がカップ麺をくれと言ったから、くれた訳ではないよね。だから、僕はお返しに佐藤君が欲しくもないものを無理にでも受け取ってもらうんだよ」
言っていることが良く分からない。何がお返しだ。今日は人生で一番大事になるであろう日なのに、なぜこんな奴に絡まれなければならない。
「一体何なんだよ。俺に構って欲しいのか? 悪いが他を当たってくれないか? 今日は頼むからどこかに消えてくれ」
「そうだよ。僕は構って欲しいんだよ。でも、本当は佐藤君が構ってもらいたいのでしょ?」
「は……?」
こいつは何を言っているんだ。なぜそうなる。
「余裕が無い顔。強がっているけど張りの無い声。いつもの佐藤君じゃないね。僕はね、困っている友達を捨て置けるほど、薄情な奴じゃないんだよ」
自分でも気づいてはいないが、表情や声に出ていたというのか。いや違う。そんなわけが無い。一体、何様のつもりなんだ。
「困っている? 何を言っているんだ? 確かに用事があるけど、困っているほどでもない。何なら、お前の与太話に少し付き合ってやろうか?」
俺は奴の顔を見ずに振り返ると、近くの公園に入り、ベンチの端に座った。奴も反対の端に座る。ベンチは木陰になっており、通りよりは幾分か涼しい。
「それで一体何の用だ」
「まあ、用があるというわけでもないけどね」
奴はミネラルウォーターのペットボトルを開けると、勢いよく飲み始めた。口から少しだけ水がこぼれる。ペットボトルから口を離すと、口からこぼれた雫を手で払う。
「用がない? 本当に良く分からん奴だな」
俺も奴からもらったペットボトルを空け、一口だけ水を含む。
「用が無いと話をしたら駄目なのかな? 僕があげたペットボトルを飲んだのだから、そちらから何か話をしてよ。雑談でも何でも聞くから」
全く持って不愉快な奴だ。とっととこの会話を終わらせたいと思い、俺は何を話すべきか考える。ちょうど良い機会だ。事件のことを聞いてみることにしよう。俺は数秒待ってから、質問を口にし始めた。
「雑談? そうだな。数週間前に死刑判決が出た連続殺人事件を犯した犯人のことをどう思う」
ふと、奴の顔を見ると、怪訝な顔をしてこちらを見ている。確かに、雑談とはいえ、殺人事件の話を振るなんておかしいに違いない。別にこいつからおかしいと思われようが関係ないが。
「殺人事件? おかしなことを聞いてくるね、佐藤君は」
「あの事件、お前の仲間うちで話題になっていないのか? テレビで見ているとやたらと目に付くけど、なぜあんなにも騒いでいるのか良く分からない。確かに連続殺人事件を犯せば、マスコミは黙ってはいないだろうが、毎日毎日良く飽きないなと思って」
「そうだね。あの事件が大きく取り上げられているのは執行人制度が初適用されるかもしれない事件だからだよ」
「執行人制度? ああ、1年ぐらい前に大騒ぎしていたあれか?」
俺はわざとらしく、あまり知らないような振りをしてみせた。
「そう。国民から執行人を選び出して、死刑を行わせる制度」
「ふうん。それで話を戻すが、犯人のことをどう思う?」
「連続殺人事件を犯したのだから、死刑になっても仕方ないとは思うね。他の人も大体が同じ意見だと思うけど。テレビでもそういう話はしていたよね」
「俺は報道されていることは知っているが、あまり深くは見ていない。事件の話が出るとすぐにチャンネルを変えるしな」
「興味なさそうなのに、何でそんなことを聞くのかな?」
「共通の話題がないから、世間で話題になっていそうな話をしたまでだ。執行人制度についてはどう思うんだ? あまり評判は良くなさそうだが」
「自分が執行しろと言われたら、僕は嫌だなあ」
「それが普通だろうな。では、例えばお前の友人が執行人になったとして、そいつが死刑執行したらそいつのことをどう思う?」
「それは考えたことはなかったなあ……。友人が執行人にね……。例えば、佐藤君とか?」
「俺とお前は友人ではないだろう」
「酷いなあ。こうして話をする仲じゃないか。僕は仕方がないと思うけどね。だって、本人が望んで執行したわけではないしね。友人は友人だよ」
「制度とはいえ、人の命を奪うんだぞ。仕方が無いで済むものなのか?」
「例えば、戦争だって本人が望んで人を殺すわけではないでしょ。君のご先祖様が望まぬ戦争で人を殺していたとして、それを責められるかな? 僕は責めることはできないと思うし、責めてはいけないと思う。もちろん、そうせざるを得ない状況を作った人間は責められるべきだけど」
「それは分かる。では、執行した本人は罪の意識に苛まれる場合があるよな。それに関してはどう思う」
「どう思うと言われてもね。それは本人の問題で、本人にしか解決できないよね。友人の立場としては、黙って見守るしかできないと思うよ。僕は本人が自分なりの答えを見つけて、自分でそれを解決するまで待つことを選ぶ」
「中には死刑執行を知って友人をやめる人間だっているだろう。そういう人間に関してはどう思う?」
「僕はそういう人の気持ちは理解できないね」
何となくだが、友人が多いこいつらしい回答と思えた。困っていれば手を差し伸べるが、自分に解決できない問題は首を突っ込まず本人が解決するまで待つ。本人が解決できると信じる。付かず離れず適切な距離感を保ち、ずっと待つことができる人間。
あまり訊きすぎると怪しまれるだろうし、これ以上時間もない。俺は立ち上がると、ペットボトルを一気に飲み干し、ベンチの横のゴミ箱に放り投げた。側頭部が少し痛い。
「時間が無いな。そろそろ行くわ。つまらない雑談だったが、少しは満足したか?」
「満足はしてないけど、色々質問してくれたし、まあそれなりに収穫はあったからいいかな」
収穫? 何の収穫だ。やはり、よく分からない。奴を尻目に俺は足早に公園を去った。去り際に見えた奴の顔は何故だか笑みが浮かんでいるように見えた。




