3.すべての始まり
「くそ!」
奴の訪問から一週間が経過した。理由は分からないが俺はこの一週間ずっとむしゃくしゃしていた。ゲームにログインするとなぜか奴の顔が浮かんできてはやる気をなくしすぐに止める。そしてまた、ログインするという繰り返しだった。結局この一週間、プレイヤーキラー狩りに1回も成功していない。こんなことは初めてのことだった。
奴が帰り際自分の隣を通り過ぎたときに一瞬見えた悲しい顔。なぜかそれがシャンプーの香りとともに頭から離れない。帰ると分かったとき、自分は確かに安心していたはずだ。捨て台詞で言われた「あきらめない」という言葉が頭の中に再生される。このモヤモヤとした気持ちはいったい何なんだろう。今まで生きてきた中で、人から執着されたことも、自分が執着したこともないため、この状況が理解ができない。
ゲーム漬けで楽しいはずの夏休みは奴の来訪により憂鬱なものへと変わってしまった。奴のことを宇宙人だと思ったが、きっと悪魔か何かに違いない。こうなることを計算して奴は家に突入してきたのだろうか。考えれば考えるほどイライラしてくるので、俺は気分転換に外出することにした。
扉の鍵を閉め、アパートの階段を降り、奴が自分を見かけたというコンビニを通り過ぎ、駅の方面まで通りを歩く。正午過ぎだというのに、熱気のためか通りにはほとんど人がいない。汗ばみながら時折空を見上げては歩を進めた。途中、自販機でペットボトルのミネラルウォーターを購入し、半分ぐらい一気に飲んでから、また歩く。この一週間、家から外に出ていないわけではなかったが、街をブラブラしているといつもと同じ街のはずなのになぜか新鮮な感じがした。
大学に入学してからだから、この町に来てもう2年と4ヶ月ぐらいになる。いつもは大学に通うために往復するだけだけであり、こんなに町並みを意識して歩いたのは本当に久しぶりだった。歩きながら周囲を見回す。通り過がりの商店にはまばらな人影があり、お得意様なのか店員と客が談笑している。商店を通りすぎた後の小さな公園は夏休みというのに酷暑の影響か誰もおらず、遊具も何もないためか少し寂しい。公園内の小さな立木からジージーとセミの鳴き声が響いていた。
こんな町だったんだ。意識して歩いてみると都会でも田舎でもない感じが良い。俺はこの町のことを何も知らないということに気づいた。知らないというより、無関心といった方がいいか。ただ、大学に通うため住んでいるに過ぎず、好きでも嫌いでもなく、興味もない。こんなに身近にあるものには意識を向けることはなく、ゲームというモニタの中の世界にばかりに意識を向けている。こんなことでもなければ、この町の良さみたいなものに気がつかず卒業し、そのまま別の町へ引っ越したのだろうか。
気がつくと、駅前のロータリーにいた。ロータリーにはタクシーが一台止まっているだけであり、ほとんど人はいない。
周りを見回す。通学のため毎日利用している駅のはずなのに、ロータリーの周りに何があるのか知らない。俺は喫茶店を見つけ、空腹だったこともあり、何も考えず入った。初めて入る店だった。
中は少し暗くて小さいが、クーラーが効いており涼しい。奥のほうまで3組のテーブルが並んでおり、カップルと思われる男女が一番奥のテーブルに座っていた。テーブルの向かいにはカウンター席があり、カウンター席の向かいでマスターと思われる人物が何か料理を作っているようであった。ピラフと思われるその料理の匂いが、空腹を刺激する。マスターが気がついたらしく、「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。
俺は入口の前の給水機からコップに水を入れると、カウンター席に座った。メニューを見てピラフセットを注文し、俺は部屋の片隅に設置されているテレビを不意に見る。音声が切ってあるため何を言っているのかわからないが、字幕機能で表示されるテキストを読むと、1週間前に死刑判決が出た3件の連続殺人の話のようだった。
判決から一週間経っても控訴する気配がなく、被告人は控訴する意思がないのではないかということをコメンテーターと思われる人物が解説している。司会者らしき人物としばらくやり取りが続いた後、仰々しいテロップで「死刑確定なら初の執行人による死刑執行」と派手に表示された。
執行人制度による初の死刑執行。執行人制定されてもう1年以上経つのに、まだ執行人制度で死刑が執行されていないのが意外だったが、控訴されなければ文字通り今回が初めての一般の国民から任命された執行人による死刑執行となるらしい。とはいえ、大多数の国民にとって、他人事だろう。「1億分の1」という確率がどの程度のものか想像できないが、宝くじで1等が当たるのと同じぐらいなのではないか。俺ももちろん他人事だった。
「あなたならどうする?」というテロップが表示される。あなたならって。非現実的な問いかけだった。「そんなものが自分に当たるはずがない」と、俺同様多くの人間が思っているに決まっている。
テロップに弁護士と表示された人物が、少し怒りをにじませた表情で「私なら執行を絶対に拒否します」と言っているようだ。そもそもこの弁護士は死刑制度自体に反対なんだろうなと思いつつ、その後との展開をぼんやりと眺めていた。執行人制度の話から死刑制度への話となり、色々と議論をしている。死刑制度の話には興味がなかったので、テレビから視線を離す。
俺は今まで人の死というものを直に感じたことはない。父母、祖父母、知っている親族は皆健在であり、身近な人が亡くなったという経験はない。人が死ぬとどうなるのかということに関しては、ゲームやドラマで知っているぐらいだ。そんなものに実感があるはずもなく、身近な人が亡くなったら悲しいと想像はできるが、その悲しみがどんなものなのかが想像できない。
自分自身が死に瀕したということもない。死の恐怖を想像したこともない。昔友人から「幼い頃に自分が死ぬというのを想像して眠れなくなったことがある」という話を聞いたことがあったが、自分にはそんな経験がなかった。自分は死というものが怖くないのだろうか。いや、それを考えるだけの想像力や材料が欠如しており、考えないようにしているだけなのかもしれない。
自分にとって死というのは遠い話なのだ。だから、執行人制度や死刑制度が本当の意味でどういうものなのかを理解していないし、理解しようとしない。そこまで大げさに大騒ぎする話なのか。いやきっと、世間的にはそういう話なのだろう。などと、色々と考えていると、ピラフとサラダとコーヒーが目の前に置かれた。
この後、1週間経過し控訴期限の2週の間に被告人は控訴せず、死刑判決が確定した。
初の執行人制度適用となったこの事件は、マスコミで大きく取り上げられ、下火になっていた執行人制度の議論が再燃した。俺は世間でそうした議論が行われているのにもかかわらず無関心を決め込み、再びゲームの世界へ没頭するようになっていた。
死刑確定のニュースから2週間が経過し9月のある日。
「こんにちは。郵便です」
届いた郵便書留の封筒の表面には四角枠で囲まれた緑色の文字でこう書かれていた。
重要書類在中




