19.最終決断
目隠しされた流山は刑務官に両腕を支えられ、首に太いロープを掛けられる。その状態でまったく動くことも抵抗することもない流山は静かにその時を待っているかのようであった。俺は目の前にある刑を執行するボタンをためらうことなく押した。
ずどん。流山の真下の床が開き、恐ろしい勢いで落下し彼はロープに吊るされた。そして、しばらくつられたまま放置された。待ち続け、およそ30分くらい待っただろうか。死亡が確定した流山は引き上げられ、その目隠しが外された。
なぜか俺は流山の死顔を見ていた。その顔は目を開きながら笑っており、俺を殺してくれてありがとうと話しかけてくるようだった。その顔が目に焼きついて離れない。俺は流山の死顔が目に焼きついたまま、生きていくのだろうか。
明かりをつけず薄暗い部屋の中で、俺は流山を処刑する一部始終を思い浮かべていた。これからそれをするというのに、まるでその実感がわかない。死んだ流山の顔を思い浮かべたときも、怖さというより虚しさを感じていた。執行人になった当初は、処刑した人間の死を一生自分の一部のようにして、生きていくと思っていたはずなのに。目に焼き付いた流山の顔は笑っていた。それは罪を犯した人間が償ったときにする顔ではなかった。
執行人の役割は何だ? 処刑することで罪を償わせることだ。流山の罪は一体何だろう? 俺が処刑することで罪を償うことができるのだろうか? 死を望む者に死を与える。流山にとってはその意味は復讐の完了であって、罪を償うことでは決してない。
流山の罪は彼女が命を懸けて行ったことを無にしたことだ。そんな彼を処刑する意味がどこにあるというのか。もちろん、自分にとっては与えられた責務を完了し、元の平穏な生活に戻れることは大きな意味がある。だがそれだけだ。流山を処刑することは自分が元の生活に戻れる以上の意味はない。もはや、処刑を実行したとしても執行人としての責務を果たせるとはいえないのだ。
流山に罪を償わせるのはひとつしかない。だがそれは執行人の正義に反することだ。執行人の正義とは何だ。刑を執行することだ。ではその刑は「死刑」でなければならないのか。少なくとも、国が求めている刑は「死刑」のみだ。それ以外は責務を果たしたとはいえない。だがそれは国が定めたことであって、今の状況での死刑執行は本当の意味で責務を果たしていない。彼を償わせることが目的であれば、刑は執行してはならないのだ。死刑を執行しないことが流山に対する本当の刑罰だ。
流山に真の意味での刑罰を与えるために考えたこと。それはあまりにも馬鹿げた考えであり、誰もそんな選択はとらないだろう。そんなことをすれば、自分の人生を棒に振り、俺の周りの人間に多大な迷惑を掛けることになる。そこまでしてやるべきことだとは到底思えない。
俺は運悪く執行人になってしまった人間だ。その責務を果たすために流山を処刑したところで誰に咎められることもない。真実は誰も知らないのだ。3人を殺した人間なんて処刑した方が世の中のためになると思う人のほうが多いだろう。死刑を望む復讐に狂った人間など世の中で必要とされていないし、処刑すれば本人も望みを達成できる。俺も平穏な生活を取り戻せる。誰も損をしない。ウィンウィンというやつだ。
世の中だってそうだ。すべては損得で動いている。効率を重視し意味のないことは切り捨てる。得が多い、効率が良い方を人は選択する。そういう選択が賞賛される。そんな世の中において、損を取って何の意味があるのだ。損得では決して選択してはいけないものがあるという人間もいるが、それは綺麗事だ。俺と同じ立場になって、俺と同じ選択に迫られてみればいい。本当に自分が大きく損をする選択を取れるのか。そんなことは絶対にできない。自分の正義を曲げてでも、得になる方を選択する。なんだかんだと理由をつけて、得になるという選択を自分の正義にしてしまう。それが人間というものだ。人間は皆弱いのだ。
何を選択すればいいのか分からない。どちらを選択しても正しいような気がするし、間違っているような気がする。いや、正しいとか間違っているとか、単純に割り切れるようなことではない。人によって答が違う。こうして悩むのが当たり前だし、自分の弱い部分に負けそうになったって、それはそれで正しい。どうするにしたって、自分の選択をするべきなのだ。世間がどうとか、損得がどうとかは関係ない。
俺は自分に素直になって、自分が選択すべき道を決めた。
俺は法務省の一室に通されていた。俺が選択した決断を伝えるためだ。
俺が選択した決断を伝えると、石崎は非常にうろたえ、しきりに何度も本当に良いのかと聞いてきた。俺のことを心配しているのが分かって少し嬉しかった。
「きっと散々悩んでの決断なのでしょう。だけど、私にはその決断が正しいとは思えない。復讐に狂った死刑囚のために、あなたが犠牲になる必要はないと思います」
「私は犠牲になったとは思っていません。その選択だけが執行人として、責務を果たせる方法であり、自分の正義にもかなった選択だと思っています。その選択によって自分の人生が制限されることになっても、後悔はしません。若気の至りなのかもしれません。良い子ぶっているだけなのかもしれません。だけど、その選択以外では自分は前に進めないと思います」
その言葉を聞いて、石崎は下をうつむいてしまった。沈黙が部屋を支配した。何も会話がされないまま、数分が経過した。
「わかりました。もう止めません。何ででしょうね。実はあなたがこの事件のことを調べていくことに、危うさを感じていました。県警の松戸さんも心配しておられた。あの人もこうなることを何となく分かっていたみたいです」
「忠告されました。誰の得にもならないって。もしかしたら、最初から松戸さんは事件のおかしさに気がついていたのかもしれませんね。私ですら分かるようなことを松戸さんが気づかないとは思えない。でも気がついていたからといって、あれ以外の解決方法があったとも思えない。警察にできないならば、私がやるしかない」
「私は悔しいですね。前途ある若者がこのような選択をして、人生を奪われるなんて。あなたの選択を多くの人間が笑うかもしれない。だけど、私は絶対に笑わない。すべてが解決するまで、私はあなたのことを全面的にサポートしますよ。何でも言ってください」
「ありがとうございます。でしたら、両親に私の今後についての説明をお願いします。私から説明すると、色々とややこしくなるし、決断も鈍りそうなので。そう、もうひとつお願いしたいことがあります。大学におせっかいな友人がいます。きっと心配していると思うので、そいつにうまいこと説明していただけると助かります」
「もちろん、説明させてもらいますよ。執行人の話をしないようにして、どうやって説明していいのかとても難しいですけど」
「すみません。私がこんな決断をしたせいで石崎さんに迷惑を掛けてしまって。大学の友人には何年後になるか分からないけど、必ず会いに行くと伝えていただけますか」
「わかりました。それでその友人の名前は?」
「その名前は……」