18.何のために
その日、俺は刑務所で流山と向かい合っていた。俺が得たこの一連の事件に関する答を話すためだ。
流山はそのやつれた顔をこちらに向け、じっと見ている。
「事件のことを色々と調べました。結論から言うと、あなたは殺人を犯していない」
流山の目が一瞬大きく見開く。
「何を言うかと思えば、俺は殺人を犯していないと? これは傑作だ」
流山は俺から目をそらし顔を下に向けると、聞き取れないぐらい小さい声で笑った。数秒間笑った後、こちらを再び見る。口元は笑っているが目は笑っていない。
「本当に良い退屈しのぎになりそうだ。それで一体誰が綾香とその両親を殺したんだ」
「綾香さんが両親を殺害し、彼女自身は自殺しました」
俺は簡潔に答えた。流山の表情は変わらない。
「これはとんだ名推理だ。綾香が両親を殺害して、自殺だと? 一体、何のために?」
「あなたの復讐を代わりに実行し、その罪を背負って自殺しました」
流山の表情はやはり変わらない。
「俺の復讐? これはまた変な話が出てきたな。 その根拠は?」
「黒井綾香に近づき、うまく付き合うことができた。ようやく俺の10年越しの復讐を開始することができる。ここまで言えば分かるでしょう?」
流山は明らかに驚いている。すぐ顔を戻すと、口元に笑みを浮かべた。
「ほう。それをどこで見つけたんだ」
「あなたが必死で隠そうとした綾香さんのスマートフォンの中ですよ」
「綾香のスマートフォン? 警察に押収されて認証が解除できなかったはずだが。あれを解除したというのか」
「150612。これがパスワードです。覚えはありますか?」
「150612? それが日付だとすれば、俺たちが付き合い始めてちょうど2年後だな。それがパスワードだったと。あいつらしいな。その日、とても印象に残ったことがあったということだな」
「綾香さんの部屋にあった、あなたと彼女のツーショット写真。それが撮られた日付です」
「ああ。あの日か。あそこに行った日だな。なるほど。待受けも多分、あの写真なんだろ」
「その通りです」
「警察に解けなかったパスワードを解くとは、なかなかやるじゃないか。そこにあんたが今言った言葉が書かれた何かがあったということか」
「そうです。あなたの手記を撮影した写真がありました。自分の親を殺された復讐のために綾香さんに近づいたことが書いてありました。それを見て綾香さんは両親を殺害したのだろうと推測されます。そして、その後あなたはその殺人を自分のものとして上書きし、綾香さんの自殺までも自分が殺害したとして上書きした」
「上書き? 面白い言い回しだな」
「さらにあなたは死刑になるために、わざとサバイバルナイフを自宅に隠し、裁判では無実を装った。死刑判決を受けた後はそれを確定させるために、控訴をしなかった。これであなたは死刑になるという目的を達成したわけです」
「ほう、俺が死刑になりたかったと? 何のために?」
「あなたは綾香さんを本当に好きになってしまった。綾香さんが両親を殺害したことを後悔して、その名誉を守るために綾香さんの殺人の罪を自分で背負った。死刑になったのは、綾香さんに罪を犯させてしまったことを後悔しているからです」
流山はまたも目を大きく見開いた。そして、少しの沈黙の後、口の大きく開けて爆笑した。突然のことに何が起こったのかわからなかった。
「こいつは傑作だ! いやあ……、あんたは本当に探偵ごっこをしてたんだな。これほど面白い話、今まで生きてきて初めて聞いたよ。あんた推理作家になりたいのかな。俺が犯人ではないって? 一体、どこまで歪めばそこまでのとんちんかんなことになる。仮にそれが本当だったとして、あんたの言った通りである証拠はどこにある。あんたが見つけたのは、綾香のスマートフォンに保存されていた得体の知れない手記だけだろ? それを俺が書いた証拠はどこにある。そもそもその手記の内容だって出鱈目の可能性がある。仮にその手記が本当だったとして、そのことで綾香が殺人を犯したという証拠にはならないだろう」
まさにその通りだった。俺が出した結論は証拠も何もなく、説得性に欠けるものだ。最初から分かっていた。俺は心の中ですべての辻褄が合うようにしただけで、完全な自己満足だった。
「しかも、最後は情に訴えるときた。俺が綾香を愛していてその名誉を守るために、殺しの罪を背負ったときている。おいおい、ここまで都合に良い展開だとどこに突っ込んでいいのか分からないね」
流山は心底笑っているようだった。俺がやってきたことを心から嘲笑しているように見える。
「俺は不思議だよ。あんたはそんな推理をして、怖くないのか? これからその手で俺を死刑にするんだろ? 殺人を犯していない人間を死刑にするということが怖くないのか?」
「最初は怖かったです。今はもう怖くはありません。私はこの事件のことを誰よりも知りたかっただけです。どういう結論であろうが執行人の正義は刑を執行することです。そのことはもう受け入れています。あなたが死罪に値する罪を犯していないことがわかったとしても、裁判の結果はもう変わりませんから」
「……。面白いな、あんた」
流山はその言葉とは反対に、表情は笑ってはいなかった。爆笑する前の無表情に戻っていた。
「調べている最中に思ったことがあります。この事件はこれ以上調べても決定的な証拠は出てこないと。状況的に辻褄が合わず明らかに何かが隠されているのに、あなたが殺人を犯していないという決定的な証拠はない。もう、これ以上調べようがないです。私にできることはあなたがやったと思われることを突き詰めて考え、納得することだけです」
「つまり、本当に自分が納得するためだけに事件を調べたということか。どう転んでも刑を執行するつもりだったというわけだ」
「私も人間ですし、動揺もします。でも、執行人になってしまった以上、刑を執行するということからは逃げられないし、逃げてはならないと考えています。そういえば、私の下の名前をご存知でしたか? 私は正義という名前なんですよ。だから、何だといわれればそれまでですけど」
「正義。なるほど、執行人の正義を語るには良い名前だな」
「私はこの名前にかけて正義を貫かなければなりません。言ってて恥ずかしいですけどね」
流山の表情が少し崩れる。
「あんたのような面白い奴に処刑されるのも悪くはないな。では、あんたの執行人としてのその正義とやらに報いてやろう。遺言と思って聞いてくれ」
流山の表情が真顔になった。
「あんたが言ったことは大筋で合っている。俺は綾香の犯した殺人を自分のものとし、綾香の自殺を自分が犯した殺人として処理した。あんたの言う上書きだな。綾香の両腕は包丁とともにごみとして処理した。どこかの焼却炉の中だ」
「焼却炉の中……」
「腕は分解すれば怪しまれないほどには軽くなる。片腕を手、前腕、上腕に分解しごみとして分けて処理した」
「分解して捨てた……、のですか」
「その件はこのぐらいでいいだろう。それであんたの推理は大体合っているが、一番肝心な最後の部分、動機が間違っている」
「動機が間違っている? どういうことですか?」
「俺が綾香を好きになったって部分だ。大間違いだ。あんた手記を読んだのだろう? どうすればそんな都合の良い解釈ができる。最初はなかなかやると思っていたんだが、それを聞いて落胆した」
「一体、何を間違えたというのですか?」
「あんたの言ったことと真逆だよ。俺は綾香のことを憎くて仕方がない。あいつが俺のために殺人を犯し、自殺したことで俺の計画はすべて無駄になった。これが憎まずにいられるか? だから、復讐の仕方を変えたんだよ」
「復讐の仕方を変えた?」
俺は流山の言っていることが理解できなかった。
「あいつは俺の代わりに殺人を犯しすべての罪を背負って、俺が何の罪も背負わないようにすることが目的だったのだろう。だから、それをすべて否定してやったんだよ」
「否定?」
「あいつの犯した罪をすべて奪い死刑になって、あいつが俺のためにしたことをすべて無駄にする。死刑になりたかったのは自殺したのでは意味がないからだ。裁判で死刑判決を受け、きっちり他人の手によって裁きを受ける。あいつは自殺して罪を償ったと思ったようだが、そんなのは償いにはならない」
「あなたはそんなことのために死刑になりたかったというのですか? 死人に鞭打つために」
「そんなことのために? 復讐のためだけに生きてきた俺がその目的をすべて奪われたんだぞ。許せるわけがない。あいつは自分のしたことを世間に知られないまま、永遠に被害者として扱われる。そして、あいつが助けたかった俺は死んで永遠に加害者として扱われる。これ以上の復讐があるか」
故人が命を懸けてまで成し遂げたことの否定。流山という男は復讐という病に冒され、自分のやっていることに意味がないということも理解できないのだろう。綾香は流山のために死を選んだ。だが、流山は自分のために死を選んでいる。それは根本的に異なる。綾香がしたことは下の下だが、流山が生きていればまだ報われる。ところが流山のしたことは誰のためにもなっていない。それどころか世間を欺き、真実を闇に葬っている。
自分はこんな男のために悩み、執行人を続けてきたというのか。こんな男を処刑して、一体何になるのだろう。処刑すらも復讐の道具にしてしまうなんて。
「あなたは勘違いしている。人の罪を奪うことはできない。綾香さんが犯した罪は綾香さんのものであり、誰のものでもない。もちろん、あなたのものでもない。あなたは自殺では罪を償うことができないと言ったが、他人が誰かの代わりに罪を償うことだってできない。あなたがやっている事はまったく意味のないことだ」
俺はこの男と会話をするのを止め、立ち上がった。馬鹿馬鹿しくなったからだ。
「おい、俺はいつ処刑される? あんたが俺を処刑すれば、復讐は完了なんだ! 楽しみにしているからな!」
俺はもう流山の顔を見ず、そのまま後ろを向いた。吐き気すらしてくる。そのまま、面会室を出た。