15.動機
黒井家の捜索から3日後、再び県警を訪れた。黒井綾香のスマートフォンを触り始めてから、もう1時間ぐらい経つ。綾香の両腕が失われた今、指紋認証を行うことはできない。俺が挑戦しているのは、緊急用の数字入力による認証解除だ。数字の桁数は不明で、その組み合わせは膨大であり、適当な数字を入力していたのでは認証解除は不可能だ。綾香が推測できないようなでたらめな数値を認証キーに設定していたとすれば、あきらめるしかない。
勝算がないわけではない。緊急用の認証キーということを考えると、多くの人間は覚えやすい数値を設定するはずだ。セキュリティへの関心が高まっている世の中とはいえ、スマートフォンのヘビーユーザーである綾香が万が一でも忘れてしまう可能性がある認証キーを設定する可能性は低い。認証に何度も挑戦しているのはそのためだ。
関係者の誕生日や住所、電話番号、123456789などの比較的入力しやすい数値列など、考えられる限りの数値を入力した。だが、認証は解除できない。数値が思いつかなくなった俺は結局、駄目とは思いつつも関係なさそうな数値を入力していた。
「どんなに粘っても認証を解除するのは無理だと思うよ。君がしていることは、我々もすでに試している。君が思いつくような数値だって入力済みだ」
この間訪れたときとは違う若い刑事が少し苛立たしそうな声でそう言って、早くこの場から解放されたいのか、松戸の方を向く。松戸は目をつぶったまま何も言わない。刑事の言う通りだ。同じことを繰り返したところで、解除できるはずはない。
「すみません。私のわがままで刑事さんたちをつき合わせてしまって。この中にこの事件の真実があると思うんです」
例えば、彼女が流山と付き合った日や印象に残るデートをした日など色々とあるはずだ。だが、どうやってそれを知る。今、分かりそうなことは一体なんだ。そうだ、黒井家を捜索したとき、綾香の部屋においてあったあの有名なリゾート地で撮影した写真、あそこに行った日はどうだろう。しかし、どうすれば日付が……。
「松戸さん。綾香さんの部屋にあった写真をご存知ですか?」
松戸は目を開いてこちらを見た。
「写真? ああ、あの流山と一緒に写っていた写真のことかな?」
「はい。とてもいい笑顔で、どこから見てもカップルにしか見えないあの写真です。あの写真が撮影された時期を知らないかと思って」
若い刑事が立ち上がる。
「何を言っているんだ。そんな写真の細かいことまで分かるわけがないじゃないか。まったく……」
「正確な日付まではわからないが、2015年6月に撮影されたはずだ」
「えっ……? いつ調べたんですか?」
「疑問に思ったらどんな小さいことでも調べる。捜査の鉄則だ。あの写真は確かに直接事件とは関係がないのかも知れん。だが、撮影した時期から恋人との関係だって分かるかも知れないだろう。そういった小さなことを積み重ねることが大事なんだ」
「ありがとうございます。年と月が分かれば十分です」
「十分? 日付が分からないのにどうやって認証を解除するというんだ」
松戸から説教されたような形になってしまった若い刑事は機嫌が悪かったようで、声を荒げてそう言った。
「たった30通りしかありません。すべての日付を試してみるだけです。それでも駄目なら頭の20や年そのものを抜いたり、平成で試してみます」
「えっ?」
若い刑事は抜けたような声を出す。松戸はばつの悪そうな顔をこちらに見せた後、若い刑事の方を向いた。
「少し見習ったどうだ。すべてが完璧に分からなければ諦めるのか? どうしてできる限りのことをやろうという発想が出てこない」
若い刑事は下をうつむく。刑事でもない素人に引っ掻き回され、あげくに説教されてはこの人もたまらないだろう。俺は心の中でごめんなさいと言った。
俺は順番に20150601から順番に数値を打っていった。6月1日駄目、6月2日駄目……。結局、6月30日まで試したが駄目だった。次は150601から……。
「あっ!? 解除に成功した」
松戸も驚いた様子でこちらを見ている。若い刑事は驚いているのか、悲しんでいるのかよく分からない微妙な表情でこちらを見ていた。
「いくつだったのかな?」
「150612です。あれ、この日付って……?」
「2013年6月12日は彼らの共通の友人から聞いた二人が交際を開始した日です。年違いでかつ頭の20を抜く。まったく試していなかった……」
そう言っている若い刑事はもう気の毒としか言えないような、いたたまれない顔をしている。もしかしたら、スマートフォンの認証解除を試していたのは、この刑事だったのかもしれない。
「まったく君には驚かされるね。さあ、中を見てみよう」
松戸は椅子ごとこちらに移動してきた。若い刑事もそれに続いてこちらにやってきた。
スマートフォンの待ち受け画面は流山とツーショットで写っていたあの写真と同じだった。余程、あの写真が気に入っているのだろう。
俺はメールアプリを起動した。最後のメールの送信履歴は殺害される1週間前、送り先は流山となっていた。件名は「楽しみにしてる」だった。俺はそのメールを開いた。
”翔のお部屋をようやく見ることができる。本当に楽しみ。どんなお部屋なのかな? 綾香”
これだけ? しかも、これが最後のメールだって? 付き合って1年以上になる恋人の家に行ったことがなかったいうことが不思議だった。
「これ、どう思いますか?」
俺は後ろから覗いている松戸の方を見て、そう言った。
「これだけでは流山の家で何かがあったんだろうとしかいえないな」
受信履歴にはこのメールに対する返信は特にないようだ。最後に受け取ったメールも友達から来たものばかりで、流山から来たメールは随分前のメールとなっていた。流山はメールが嫌いだったのかしれない。
続いて日記帳のアプリを開いてみる。独身女性の秘密を覗き見しているような気がして気が引けるが、今更後には引けない。最後の日付は殺害される4日前の日付になっているようだ。開いてみた。
”翔の秘密を知ってしまった。私は翔の恋人である資格はない。父も母も絶対に許すことはできない。翔に報いるためには何をすればいいのだろう……”
流山の秘密……? まさかそれが流山が殺害した動機? 父も母も許せない?
「これはいよいよ、流山が殺害した動機が分かるかもしれないな」
若い刑事がぼそりとつぶやく。他の日記も数日分開いてみたが、流山の家に行くことが楽しみといった普通の日記だった。
俺は写真閲覧のアプリケーションを起動した。フリックして最後の日付の写真を表示する。サムネイル画像を見た感じ、何らかの文字列が写っていた。その画像を開いてみる。その画像はノートの見開きであり、そこには文字列がびっしり記載されていた。俺はスワイプして、画像を拡大する。
”黒井綾香に近づき、うまく付き合うことができた。ようやく俺の10年越しの復讐を開始することができる。苗字が変わったとはいえ、黒井夫妻も綾香もまったく俺のことに気がつかない。一時期隣同士に住んでいた俺のことなどまったく覚えていないようだ。殺害した男の息子のことなど気にもかけていない。無理もない。落ちこぼれの俺が綾香と同じレベルの大学に入れるなどとは夢にも思っていないだろう。俺が復讐のためにどれだけ努力したかなんて想像もできまい。父を殺して得た金で楽をしたような連中に、俺の苦労が分かるわけがない。”
「復讐!?」
あまりの内容に俺は叫んでしまった。
「これはとんでもないものが出てきたな。だが、これで動機面も流山の殺害が確定したようなもんだ。調べて良かったじゃないか」
松戸が感心するように言う。俺はさらに続きを見る。
”黒井夫妻を父と同じ目に合わせる。だが、それだけでは俺の気持ちが収まらない。綾香には俺よりももっと苦しんでもらう。黒井夫妻公認の相手となるぐらいまでの関係になれば、絶頂から叩き落とされたときの絶望感が最高になるに違いない。両親を殺害した恋人と関係を持ち、殺人を犯した両親の娘として永久に苦しめばいい。……”
他にも黒井家に対する恨みつらみや、自分を育ててくれた叔父に対する謝罪の気持ちなどが延々と書いてあった。流山が黒井家の人間を殺害したの動機は復讐だった。流山が綾香の腕を切断してまで隠したかったのはこの事実だったのだ。
これで動機がはっきりした。だがしかし、なぜ流山は俺に嘘の動機を言ったり、両腕を切断してまで動機を隠したのだろう。また、綾香は殺さないと手記には記載されているのに、結局殺してしまっている。綾香に復讐のことがばれて、計画に狂いが生じたのだろうか。
流山の殺害した動機が分かったはずなのに、なぜか釈然としない気分だった。
この話までで全体の3/4を消化しました。全20話になる予定です。来週までには完成すると思います。拙くて本当に申し訳ございませんが、ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。