第七話
俺は最低でも一ヶ月の入院が必要だと言われている。そのため、医者の話を聞いたあと、すぐに会社に連絡を入れた。
俺の会社はブラック企業だ。そんな会社なら長期の入院など、クビを切られるんじゃないかと心配するひとがあるかもしれない。
だが、ブラック故にクビにはならない。なぜなら、株式会社KUROIは離職率が多いからだ。入ったそばからすぐに辞める新入社員。長続きする人材は貴重だろう。そして、今回の事故に俺の過失はない。そこそこの年数を働いてきた実績もある。そんな俺を辞めさせるはずがない!
そう自分を鼓舞して電話した。やっぱり一ヶ月は長い。あのバカ社長がどんな判断を下すのか、聞いてみないことには不安だった。
結果は――早く治せの一言……。
お昼を頂いたあとの時間帯、事務の鈴木さんがやってきた。
俺が軽い挨拶をすると、彼女は「変りませんね。心配したんですよ」と言って俺を笑った。
俺の怪我の詳細を聞いた彼女は、あまり詳しく聞いていなかったのだろう。驚いた顔をしていた。
「本当にもう、田中さんは無茶をしますね」
「いや、面目ない」
後悔はかけらもしていない。でも運動音痴な体はどうにかしたいところだ。
「女の子を救ったなんてヒーローじゃないですか」
鈴木さんの茶化すような物言いに俺は照れくさくなって下を向いた。
「いや……」
右手のギブスに表示された自分のステータスが目に付いた。
「……ただの社畜ですよ」
いたずらに場の空気を悪くしてしまった。
「あっ! これ、休職届けです」
鈴木さんは思い出したためか、場の空気を変えようと思ったのか、いくつかの書類を取り出した。
俺は右手が怪我で使えない。鈴木さんの代筆で済みそうなところは彼女に書いてもらい、大事なところは左手で書いた。ミミズが這ったような文字に「通りますかね……」と訊ねると、鈴木さんは「怪我をしている証拠ですよ」と言って笑った。
俺はギブスをちらりと見た。ステータスが表示されている。
ふと鈴木さんのステータスが気になった。そう思い彼女の顔を見ると――。
種族:人間
状態:普通
HP:193/193
MP:1/1
攻撃:34
防御:15
魔法攻撃:1
魔法防御:16
素早さ:38
称号:
【バツニ】【苦労人】【茶人】
称号に――
「……バツ……二?」
俺は無意識に一番言っちゃいけない言葉をつぶやいていた。
「田中さん?」
「あっ! なんですか!」
自然に返そうと思ったが、声が跳ねてしまう。
「今、なんて言ったんですか?」
鈴木さんの声のトーンが下がっている。
バッバッ……バ? バツニに似た言葉を探したが出てこない。
「え……俺、なにか言いました? ははは、知っらないなぁー」
なんて下手な演技だ! 不自然丸出しな言葉に顔を隠したくなる。顔が火照ってきた。
「……なんで、私がバツ二だって知っているんですか?」
彼女は冷静に、さっきの俺の言葉をなかったことにした。良かったような……いや、恥ずかしさは消えない。俺は自分の口の軽さを壮絶に後悔した。なんて厄介なことを言っちまったんだ!
(顔に書いてあるんです!)
ダメだ。こんなことを言ったら、同じようにスルーされるだろうし、そもそも俺の頭を疑われるのは嫌だ。
「田中さん?」
彼女の言葉に汗がにじむ。いつまでも答えられない俺に空気が緊張していくのが分かる。
「誰に聞いたんですか?」
鈴木さんの語気が少しだけ荒くなった。
「私がバツニだってことを知っているのは、会社では二人だけなんです」
彼女はふうと困ったように息を吐き出すとヒントをくれた。
「えっと……その二人って、誰なんでしょう?」
「知ってるんでしょう?」
知らないよ! ヒントが足りない!
彼女は俺をじっと見る。
「あの……」
俺は、彼女の視線に耐え切れず言葉を発したものの、どう答えたものか迷った。
「あの?」
鈴木さんは期待のこもった様な声を上げる。そんな催促をされても期待に答えられるような解答はそもそも持っちゃいないよ。困るぜ……。
「――バツをとったのなら、そのぶんマルをとればいいんだよ!」
隣のカーテンが開いて晴くんが顔をのぞかせた。
さきほどまでの息の詰まる空気が吹き飛ばされ、快活な声の余韻が残った。
「……そうね。マルを……その分マルを取ればいいのよね。ありがとうね、ぼく。でもこのマルを取るのは難しいのよー」
鈴木さんは驚いた顔で止まっていたが、晴くんに語りかける。
このまま晴くんと会話をしているうちに忘れてくれないかしら。
「そうなの?」と答える晴くん。
「そうなのよ、でも頑張ってみるわ。ありがとね」
鈴木さんは晴くんの頭を撫でた。
「頑張って!」
晴くんは励ましの言葉を鈴木さんに向けたあと、ちらりと俺を見た。ん?
「少しだけこのひとと二人っきりで話がしたいの。カーテンを閉めてもいい?」
鈴木さんの断りの言葉は、ドキっとする言葉だったが、この場では全然嬉しくない。
「……いいよ」
晴くんはちょっと残念そうな顔でうなずいた。
「それで、……誰なの?」
「僕は知らないです」
晴くんが見えなくなったベッドで、鈴木さんが唐突に俺に顔を近づけて聞く。驚きとともにとっさに答えたが――やっべ、第一人称間違えたッ!
しばし静かになった。
「田中さん、教えて。私にとってもこの話が会社で広まっていないかどうかは、けっこう真剣な問題なの。田中さんに話した人って、そんなに庇うほどのひとなの?」
――庇うほどのひと? そんな単語が出てくるということは社長か? 庇う必要ないな!
だが、社長に聞いたといっても、あとでバレるだけだ。となれば――。
「事務室で誰か二人が話しているのを聞いたんですよ。直接聞いたわけじゃありませんから安心してください」
「その二人って?」
話は終わらないかぁ。当然の質問だ。知らないで通しては嘘っぽい。仮にも働いてきた年数はそこそこあるのだ。社長なら言ってもいいか?
「一人は社長だったかな……もう一人の声はよくわからないです」
本当にわからないのだ。
「男の人? 女の人?」
どうやら社長はビンゴのようだ。だが、この二択の質問に汗が吹き出る。
男の声と女の声はそうそう間違えない。理にかなった質問だ。
「えっと……女の人……」
えっ? なんて顔をされたら(じゃなくて、男の人だったかな!)と言うつもりだったが――。
「田中さんは誰からか直接聞いたわけではないのね?」
彼女の釘を刺す言葉に危機を乗り切ったらしいことを知る。
「はい」
俺の言葉に鈴木さんは安堵をしたように息を吐き出した。
「ごめんなさい、田中さん。病人にムチを打つような真似をして。でもなんで今、バツニなんて言うんですか。驚いたじゃありませんか」
「すいません。なんだかお疲れに見えて、ポロっと……」
俺は普段から鈴木さんをみて思っていたことを言い訳につかう。
「なんで、そんなにしょげているんです? それよりも、私の顔、疲れていますか? そんな気は全然ないんですけど」
「ちょっとだけ」
「うーん。田中さんこれから入院で会社にこないから、現在進行形で働く私が疲れて見えるのかもしれませんよ」
「ああ、そうかもしれません」
彼女は少し間を置くと真剣な顔をつくった。
「私がバツニだってこと、言わないでくださいね。誰にも!」
鈴木さんの力のこもった声に俺も背筋を伸ばす。痛みが少しだけ走った。
「はい。肝に命じます」
ええ、言いませんとも。……もう懲りました……。
ふうと安堵の息を吐いた俺に鈴木さんは朗らかに笑った。
◇◆◇
鈴木さんの帰った病室で俺は晴くんにお礼を言った。
晴くんは俺をおもんばかって声を掛けてくれた気がしたからだ。そんな訳がないとも思いながら。
あの言葉はあの場の毒気を少し抜いてくれた気がする。俺はただ「ありがとな」とだけ声をかけた。
晴くんは「うん!」と迷いのない返事をした。まるで、あの状況を理解していたような気が本当にして、少しだけ少年が大人びて見えた。
「…………」
いつの間にか、そんな俺と晴くんを不思議そうに見つめる男が立っている。
俺と目があった男は――。
「……よぉ!……」
手のひらを向けて短い挨拶をした。俺の友達のマサオだった。
「……よぉ! マサオか」
マサオはその顔をニヒルな笑みに歪めた。