第五話
俺の入院している部屋に、ワゴンの音が木霊する。病院の夕食は早い。カーテン越しに同室の者達の夕飯になった雰囲気が伝わってくる気がした。看護婦が間仕切りのカーテンを引いて、「夕飯ですよ」と声を掛けている。
俺は……。
――ヤバイ!
俺の右腕、ギブスを覆う包帯には中二病全開のステータスがブイブイと刻まれている。隠しきれない大きさで自己主張をしやがる! こん畜生!
(――あはは、かっこいいでしょ)
そう言ったら、どんな顔をされるだろう。看護婦さんの固まる笑顔。俺のこれからの病院生活……。脇に掻いた汗が滑り落ちた。
ステータスは包帯に印字されているだけだ。包帯を剥がせば隠せるかもしれない!
俺は包帯を留めるテープを剥がしにかかった。俺が不器用なのか、テープの性格が強情なのか、苦心する。やっと包帯を捲って――
――絶望した。
ギブスにもしっかりと印字されていた! 金太郎飴を思い出す。困るなあ、金太郎くん!
「田中さーん、入りますよ」
いつの間にか看護婦さんの言葉が俺に向けられている。
「はっ入ってます!」
パニックになった俺は堪らず叫んだわけだが、今、俺はなんと言った?
「ふふふ、田中さん、ここはトイレじゃありませんよ」
看護婦さんのクスクスと笑う声と、他の同室のひと達の忍び笑いが聞こえてくる。どうやら恥ずかしいことを言ったようだ。だが、看護婦さんがカーテンに手をかけたのを見て、もはや一刻の猶予もないと知る。
――俺は印字のされている面を隠そうと、とっさに腕をひねった。ひねってしまった――。
「う……おおおおオオォーー!」
俺は腕を抑えて悶絶した。つい力んでしまったために、胸部にも痛みが連鎖する。俺は肋骨にも、肺にも、事故による損傷を負っていた。
――早く退院をしようと決めてからのこの失態! 面目ねぇーー!
「ちょっと、田中さん! どうしたんですか!」
看護婦さんが俺の元に飛び込んでくる。彼女は、俺が腕を抑えていたものだから、当然右腕を見る。
「右腕が痛みますか? 見せてください!」
「待って……」
俺は左手で牽制するが、看護婦さんは引かない。
「どうしたんですか! ――見せてください!」
「やっやめて! ホント……見ないで!」
牽制虚しく、左手を抜け、看護婦さんに右手を掴まれる。
「待って! 乱暴しないでください!」
まるで、俺は乙女のような言葉を吐いている。
「いいから、見せなさい!」
おかしい、何故俺は看護婦に襲われているんだ? 本来なら俺が看護婦を襲うのが普通ではないか。待てよ、話が大きく脱線している。そんな暇はない。なにか言い訳を! どこかに言い訳は居らんかーー!
――そう思い、顔を上げた先には、見せたくなかったはずの、文字の羅列があった。
看護婦さんの真っ白なナース服の上。よりにもよって、胸のところに――。
種族:人間
状態:興奮
HP:219/219
MP:1/1
攻撃:36
防御:16
魔法攻撃:2
魔法防御:15
素早さ:40
称号:
【ドS】
――……えぇ。
なしてこげなところに……。まじまじと見ちまったよ。幸いにも彼女は俺の視線に気づいていない。看護婦さんはステータスが示すとおりハアハアと興奮を――。
――【ドS】
このまま膠着が続くのは色々な意味でよろしくない!
ステータスは完全な黒色で、真っ白なナース服の上でよく映えた。下を向けば容易に気づくはずだが、看護婦さんは気づかない。俺のギブスに印字されたステータスも同様、彼女には見えないのかもしれない。そう願って、俺は抵抗をやめた。彼女のするがままに任せることにした。南無三!
「ああーー! 田中さん、ダメじゃない、包帯とったりしちゃあ。ああもう。痒かったんですか? ダメですよ。勝手に取っちゃあ」
看護婦さんに叱られました。
そういえば、包帯を捲っていたことを忘れていた。
「――怒られるのが、怖くて……」
「なにを子供みたいなことを言ってるんですか!」
ご尤もである。だが、止むに止まれぬ事情があったのだ。わかってほしくはないが、わかってほしい。とりあえずは、看護婦さんの話にのっかることにした。
「念の為に、先生を呼んできます。触らないでくださいよ」
ギブスの具合を見た彼女は、項垂れる俺に念を押して部屋を出て行く。
――俺のギブスにあったステータスは、きれいさっぱりと消えていた。
今は看護婦さんの胸にだけ印字されている。俺はドSではないから、あれは彼女のステータスなのだろう。どうやら、ステータスは俺にだけ見え、一度に一人しか印字がされない仕様なのかもしれない。
すぐに戻ってきた看護婦さんは医者に俺の処置を説明した。
そして、看護婦さんは自分の持ってきたワゴンを見て――。
「あっ……」
小さく声を上げた。
俺の夕食と、――俺の向かいのひとの夕食が載っていた。どうやら俺のせいで、本来の目的を忘れていたらしい。
「あの、すいません……」
「気にしないでください。これは私のミスです」
看護婦さんは苦笑いで手を振って、俺の夕食を並べ、向かいのひとの元に向かう。これは完全に俺の責任である。
「すいませーん! 夕飯、俺のせいで遅れてしまってー」
俺が向かいのひとに声を掛けると――。
「気にせんでええよー」
人の良さそうな爺さんの声が帰ってきた。よかった、いい人そうだ。俺はほっと胸をなで下ろして、医者の処置を受けていた。
だが――。
――パシンッ!
「叩きよった!」
小気味のいい音に引き続き、さっきの爺さんの険のある声が聞こえてきた。
「困ったなあ、またか」
俺の処置を終えた医者が頭をボリボリと掻きながら、向かいへ行く。
爺さんと、看護婦の話しに耳をすませると、どうやら、爺さんのセクハラが原因らしい。夕飯が遅れたのだからサービスをしろと、尻を触ったというのだ。全然、いい人じゃなかった。とりあえず、中指でも立てておこうか。いや、俺のせいでもある。どうしたらいいんだ? 俺は情けないことに立ち尽くす――否、座り尽くす。
先ほどの小気味のいい音は看護婦さんのビンタの音である。ビンタをされたエロ爺さんの激昂はどんどん増していく。看護婦さんは度胸があるものなのか、桐生さん――ネームプレートに書いてあった。このひとが特別に度胸があるものなのか、最初は謝っていた彼女も喧嘩腰になる。医者は先程から、まあまあと言うだけで埓があかない。ハラハラとしていると――。
「――こんの! 恥さらしが!」
向かいの爺さんのおとなりさん、雷爺さんの雷が落ちた。さっきまで、俺は〇〇の社長だの、警察の〇〇と知り合いだのと騒いでいたエロ爺さんが黙った。雷爺さんが参入して三対一だ。ほどなくして事態は収まった。
雷爺さんは俺にも「迷惑をかけるな」と一喝してくださった。すんません。
◇◆◇
左手で苦労して夕飯を頂いた後、乱れた掛ふとんを直そうとして気がついた。
――なぜ、ふとんで腕を覆わなかった!
右腕のギブスに、再び浮き出ていたステータスをふとんで覆った。ステータスはふとんの表面に出てくることはなく、隠れて見えなくなった。今さら隠す必要などないが、なぜあの時ふとんで隠さなかったのか! ははは……疲れた。今日はよく寝られそうだ。