第二話
「ターナッカさーん」
……。
「タナカさーん」
……。
「……タナカさんのパソコンとやらは、なかなかに興味深いですね。うわっ何ですかコレ……」
「――待て! 何をしている!」
目が覚めた。いや、それどころではない! 俺のパソコンはどこだ。
体を起こした俺は、周りを見回して首をかしげた。
「何だ……ここは」
見渡す限り、どこまでも白い床と、澄み渡る青空が続く。雲の上? それにしちゃあ、床が不自然なほど真っ平らで感触も硬い。パソコンはなかった。
「ここは、境界です」
目の前に純白の布を纏った女性が立っている。
透き通るようにさらさらと零れる金髪、青い瞳をもった目が柔らかく細められる。すごい別嬪さんだ。背中から羽が生えている様子はない。天使の輪っかもない。誰だろう?
「教会?」
「いえいえ、境目と言う意味での境界です」
彼女はそう言ってニコリと笑う。営業スマイルなのだろううか。
「貴方は?」
「私は女神です」
心なしか胸を反らしたように見えた。中くらいかな。
現実でこんなことを言われたら、なんて頭の残念な人なのかと心配しただろう。
だが、この景色を見せられると、信じてもいいような気がした。
それに、俺には先ほどの記憶が鮮明に残っていた。そうか、……俺は死んだのか……。
軽く落ち込んだが、何に対して落ち込んでいるのかよくわからなかった。
「それで、……女神さま。俺はこれから、どうなるんです?」
「異世界に転生してもらいます」
女神は笑顔でそう言った。
……。
「えっ」
マジで! 本当に。嘘じゃないよな。ドッキリ? いやいやいやいや。
「それは一体、どういう意味だ?」
「あれっ? 知らないのですか? 異世界……。そういった書籍やアニメがあることは貴方の記憶にありますよね?」
女神はキョトンとした顔で問い返す。
知ってるよ。知ってるけど。信じていいのか……。
「死んだら、みんなここに来て異世界に転生するのか?」
「いえいえ。ほとんどの方はこの地球で、一からのスタート。もしくは無となります。
時々、異世界に逝かれる方もみえますが、この境界は素通りしますね。
貴方に、この境界へ立ち寄ってもらった理由。それは、このまま記憶を引き継いだ上で異世界に逝ってもらうからです。一度こちらに寄ってもらわねば、記憶を残すことができませんので」
女神は特別待遇ですよと、笑みを見せる。
驚天動地な話だ。ひとは死んだら、天国と地獄ではなく、地球と異世界のどちらかに逝くらしい。
だが……。
「何故、俺はそんな対応をしてもらえるんだ?」
「ほら、子供を事故から助けたでしょう。あの子はかすり傷程度でピンピンしていますよ」
ちらっとしか見えていなかったが、確かに助けた。無事であると聞けて嬉しい。
「大きな善行を積んだ人間は、皆こうやって特別待遇を受けられるのか?」
「いいえ。一億人にひとりくらいでしょうか。ほら、あの空に浮いている雲に手を突っ込んで、――当たったのが貴方」
女神はそう言って俺をゆび指す。空に浮かぶ雲は魂の集合体だという。なんだか気持ち悪い。それにしても、……えらくアバウトな選択をしているなぁ!
「そろそろ異世界に逝ってもらいましょうか。
でもその前に! 恒例のー、貴方の善行に応じたスキルを差し上げましょう!」
女神はひとりで盛り上がっている。
恒例というのがよくわからないが、もらって損なことはないだろう。
「何をくれるんだ?」
「――鑑定です」
女神は右手の掌を上にして俺の方に突き出す。手を重ねればいいのか?
――それにしても、『鑑定』かぁ。
俺の苦笑いを見たのだろう。女神は口を尖らせた。
「あっ! 鑑定を馬鹿にしていますね。鑑定はすごいのですよ。これから逝く世界には魔物といった危険な生物がいます。男なら腕力がモノを言う世界です。戦う前から相手の力量を判断できる能力は、とっーても希少で、価値が高いのです」
「なるほど」
なるほどなるほど。そう聞くと確かにそうだ。
「手を重ねてください。一瞬で済みますから」
「わかった」
女神の手は体温を感じなかった。その肌はすごく緻密で、ひとの手とは違う気がした。
「それでは異世界に……」
俺は今までの人生を振り返った。思えば後悔の多い人生だったよ。
子供の時に遊んでばっかりいたからだな。大人になってから苦労する。
毎日毎日、職場のパソコンと朝から晩まで……。上司には無理難題を押し付けられる。
彼女をつくる時間もなければ、彼女をつくることのできる年齢も過ぎ行く三十歳。
この世に未練はない。あばよ、地球! 社畜人生からおさらばだー! ハッハッハ。
……。
「女神さま?」
先程からやけに静かだ。女神は俺の足元を凝視している。
俺も下を見た。足がうっすらと消えていくところだった。
「うおっなんだこれ! あっ、あれか。このまま異世界に逝くんですね!」
「あはは……」
女神は歯切れ悪そうにして俺を見る。
何?
「……おめでとうございます。どうやら奇跡的に息を吹き返したようです」
女神は苦笑いで俺を祝福してくれる。
何?
いつのまにか手が透けている。
「……俺は異世界に行くんだろう?」
知らず俺の声は情けないものになった。例のおにぎりを! 例のおにぎりをくれ!
「生ある者を連れて行くことは不可能なのです。その生を全うしなさい」
女神は大仏様のような手のポーズをして、ふざけたことを言う。
俺は小学生の頃、台風で休校になると聞いていたはずが、直前で台風がそれて通常通りに行いますと言われた時のことを思い出した。
「もう一度死んだら、異世界に逝けるのか?」
女神は困ったように笑うだけだった。




