第十六話
病院の窓に切り取られたこの景色も、いよいよ見納めだ。
天気悪いな~。俺が雨男だからか? 晴くんが晴れ男の子だからプラマイ曇り。
なるほど。
「荷物はこれだけですか?」
詩織さんがナップサックを持ってくれた。
今日は俺の退院の日。松岡親子が付き添いに来てくれた。
最初は断ったんだが、お昼前に病院を出ると伝えたら、断れなくなった。
「わたしがもつ!」
美緒ちゃんがナップサックに手を伸ばす。
「私が持つからいいの」詩織さんがたしなめる。
「もつー!」
飛び跳ねるように体を揺らして訴える美緒ちゃん。
ここで、俺がって言ったら、どうぞどうぞって言ってくれるかな? やだなそれ。
詩織さんが困ったように俺を見た。ドキッとする。まるで、夫婦のようなやりとりに思えたのだ。
内心、熱くなる心の臓を意識しながらも落ち着いて答える。
「こっ壊れやすいようなものは入ってませんから、俺はいいですよ」
「ん~、それでしたら。美緒、気をつけて持つのよ。途中で私が持ってもいいからね」
「わかったー」
美緒ちゃんは丁寧な仕草で背中に背負う。
なんだか微笑ましいね。
「晴、忘れ物はないね?」
「うん、ないよ。完璧!」
晴くんの方は、父親の奏風さんと一緒に帰り支度を整えていた。
晴くんはしっかり者だ。荷物をマサオに前日送ってもらった俺と、そう大差ないくらい早く支度が整っていた。
特に決めていたわけではないが、晴くんも交えてみんなで病院のロビーに向かった。
俺はすぐに帰ることができたが、晴くんの手続きを待つことにする。
晴くんがとなりに座った。奏風さんは薬を貰いに行ったみたい。
「明日、休み?」
「休みだよ」
晴くんが聞いたので、俺は答える。
明日は日曜日。会社に聞くと、休んでもいいと言われた。
思い出す…。
◇ ◆ ◇
電話に出た俺の同僚、遠藤。
『退院っすか! マジっすか! イィヤッターァァ! 嬉しいです!」
「え、うん…」
なんで、そんなに喜ぶ?
『え! 田中さん来られるの!?』
『ああ、助かる…』
『すぐ! すぐに来てもらえますか?』
みんなの歓声、歓声、大歓声…。やめてッ。
電話を切った俺に看護婦の桐生さんが、
「田中さん、どうかしました? 入院してる間に浮気でもされたー、みたいな顔してますよ」
笑顔でひどいことを言う。もし当たってたら洒落にならんぞ。彼女いないけど…。あれ? あなた、知ってますよね?
――はあぁー。
みんな喜んでたな……はは。――いきたくねえぇぇえ!
◇ ◆
◇
「田中さん? どうしたの?」
「え? ああ、ごめんよ。――晴くんは明日休みだよな。月曜から学校か?」
「うん、そうだよ。あ! 明日はお父さんが食べに連れてってくれるって!」
嬉しそうに語る晴くん。
奏風さんは今日もスーツでビシッと決めていて、忙しそうだなと思ったが。
そうかぁ、明日、休めるのね。
「そりゃいいな。羨ましいじゃん。良かったな!」
「うん!」
奏風さんが薬を貰って戻ってきた。
「晴くん、ありがとな。楽しかったよ」
「――うん。ぼくも楽しかった。田中さんがいてくれて、楽しかった」
晴くんは照れくさそうに笑う。俺も笑う。
外まで見送りに出た。
晴くんと奏風さんは車で帰る。青い車体が灰色の空によく映えた。
「田中さん、またね!」
「またな」
俺はニッと笑った。
会う約束はしてない。でも、いつかどこかで会う機会があったらいいな。そう思う。
久々に浴びる外の空気は冷たくて気持ちいい。失っていく熱が夢から醒めるような、そんな心地がした。
◇ ◆ ◇
退院の日が決まった時のこと。三日前。
俺は詩織さんに電話をかけた。
彼女はすぐに、『自宅に戻る際には付き添いますね』と言ったが、お断りした。
どうも土曜日は、詩織さんの仕事のシフトが入っていそうだったからだ。
だが。お昼前と伝えると、
『昼前ですか…。――え! 昼前ですか! お祝いさせてください! あ、いきなり、すいません。お昼はご都合のほうは……?』
「……ないです、けど。お仕事の方は大丈夫ですか?」
『はい。代わっていただけそうな方がいますので、たぶんですけど』
彼女の声が明るい。使命感に燃えてるって感じも。
「う~ん、では、お願いしようかな」
俺は折れた。別に意固地にお断りをする理由もない。
『ありがとうございます!』と、何故か詩織さんからお礼を言われた。
電話の先でちょっと考えだした気配がある。
お祝いってどうするんだろ? 昼飯だよね。
A.外食
無理してお高い場所を選ばれると食べにくい。きっとお金は詩織さんがもつって聞かないだろう。こちらから無難なところを提案しようか。
――いや、待てよ?
B.詩織さんの手料理
…………。
「Bだな。Bでお願いしたい。……ん?」
『B、ですか?』
「いや、失礼ッ! 声が漏れました。どうか気にしないでください!」
手料理つくってなんて、小っ恥ずかしいこと言えるか!
あっぶね。Bならわからん。Bならわからんよ。Bで良かった~~。
詩織さんは、『野菜? お豆?』と不思議そうに言っていたが、違うんです。
お豆好きってわけじゃないです…。それから野菜の頭文字はVです…。
「できたら、ささやかなものがいいですね」さりげなく釘を刺しておく。
『ささやか…。――では、そうですね。病み上がりということもありますし、それなら――』
詩織さんの答えが決まった。




