第十一話
窓越しに見えるちっぽけな街路樹が揺れている。今日は風があるらしい。
そんなことを頭の片隅で考えながら俺はしばし呆然としていた。
お昼の時間が過ぎた緩やかな時間。
同室のものは思い思いの時間をおくっている。
エロ爺さんは変わらずの数独。朝からずっとだ。根気があるねぇ。
雷爺さんは塗り絵。京の町家と賑わう人々。夜の景色が版画を思わせる大人の塗り絵だ。
晴くんの向こう側、江成さん。彼は音楽を聞いている。ヘッドホンをして聞き惚れているだろうその横顔は静謐だ。
――その音楽が幼児っぽい声をしたアニソンでなければ絵になると思えるのに……。漏れていますよー、江成さーん。
晴くんは午前中はスマホでRPGのゲームをやっていた。俺もそれをそばで見ていた。
RPGのゲーム上の人間には、さすがに俺の鑑定スキルも役立たずだ。
ふと疑問に思う。写真や動画ならどうだろう?
晴くんにスマホ上で写真を見せてもらったがステータスは表示されなかった。
だが、――動画は出来た。
レベルアップが一気に容易になった気がする。
残念ながら動画では文字が表示されても読み取りは困難だ。
拡大表示を多用すれば――動画と俺のスキルの両方を駆使してやっと――なんとか読み取れそうだが、あのスキルの拡大表示。一度文字を拡大すると他の文字を表示する際に時間がかかる。
そして、俺の持っている携帯はガラケーだ。――安いからな……。
いろいろな動画を見られるわけも無く、……電話専用。
今は晴くんのスマホを借りての実験である。そう長くつき合わせるわけにもいかない。
またの機会に存分に試すとしよう。
午後になると晴くんは本を読み出した。
ゲームをあまり進めすぎると、友達と話が合わないうえ、協力プレイばかりをせがまれるから嫌なんだとか。
俺は暇に慣れていない。
晴くんのように本を読むという手段もあるにはある。
だが普段本をあまり読まない俺の持っている本。さらに病院内に持ち込んでも恥ずかしくない本となると数が少ない。
結果として、退屈な実用書関係が多くなってしまった。――読む気がしねぇ~。
……ふう……。俺は――。
俺はいま、お茶を飲んでいた。
この病室で今、俺が一番ジジくさい。
このお茶は茶葉から淹れたお茶だ。
今日の午前中に松岡さんから頂いたお見舞いの品である。
◇ ◆ ◇
「なにか欲しいものは! 必要なものはありませんか!」
彼女の、――俺の助けた女の子の母親、詩織さんの顔に力が入る。
事故のあった日。
一通りの話を終え、帰り際に聞かれた『欲しいもの』
彼女の質問は、――質問というよりは懇願に近い問いに、俺は困った。
俺にははっきりとした趣味がない。と、いうより、欲しいものと聞かれ、欲しいものがないことに気づきショックを受けたぐらいだ。
なんとか頭をひねった末に――
「……おいしいお茶、かな~……」
俺の仕事で疲れた時の必需品。
贅沢タイムと呼んでいる時間に欠かせない品だからだ。
――ちなみに、贅沢って言葉に意味はないよ。掘り下げないで欲しい。
これは玉露。わかりやすく高い品だね。
堂々とした味。お茶だよね~って味の中央にドンッと鎮座ましましているような、真っ向勝負ですよ! ってかんじのお茶。……俺に食レポは無理だな。
ジジらしくズズズとお茶を飲んだ。お茶の湯気を吸って――
――はあああぁぁぁ~…… (はいて~)
やっぱ、贅沢かもな……。俺はゆっくりとお茶の味を楽しんだ。
いつもは自然と無心になる贅沢タイムだが、――今日はあれこれ考えてしまう。
きっと時間がありあまっているわ、仕事もしてないわで、脳が考えたがっているのだろう。
考えてしまうのは、――俺の人生このままでいいのかってことだ。
今の会社で定年まで何年あるよ? 俺が今まで生きてきた年齢分はあるぜ。――ああ、いやだいやだ。
あの会社で、体が持つと思うか? それ以前に会社が残っているのか?
それ以前に、こんな思いを抱えたまま働き続ける人生で、お前はそれでいいのか?
いっそ、退職してしまって――
――ダメダメダメダメ!
もうひとりの俺が止めに入る。
退社なんて簡単だろうさ。でも、俺の学歴で、俺の今の半端な年齢で再就職なんてできないだろ。
悪いことは言わないから――なぁ? 辞めよ? (あれ?)
サラリーマンなんか辞めて、マサオみたいにさぁ。あいつと同じ職場で働くとか。昔高校の時に友達とつるんでバイトをした時みたいに……ああ……。
――会社辞めたい……。
――会社辞めたい……。
(どっかで聞いたな。このフレーズ……。)
――よし、辞めよう!
――よし、辞めよう!
(――ダメダメダメダメ!)
――俺は無限ループに陥ってしまった。
◇ ◆ ◇
――パタンッ。
晴くんの本を閉じる音に、俺は堂々巡りで埓が明かない不毛な旅から帰還した。
最後、俺、何人いたかな?
久しぶりに、こんなどうしようもないことを考えた。時間が余っていると人間、ろくなことを考えない。
隣のベッドで晴くんが伸びをしている。
随分と分厚い本だな。
「晴くん、本をかしておくれ?」
俺は晴くんに声をかけた。
晴くんの本を読んで暇を潰そう。それに、晴くんの本なら会話のネタにもなるだろう。
だが、その分厚いのはダメだ。俺は読書初心者だからな。
「できれば軽い――」
「うん。これ読んだことある? 映画にもなって、みんな知ってるけど、小説もこれ、面白いんだよ! 小説は読んだことある?」
「……ないな……」
「読んで! あとで感想聞かせて!」
「ありがとな。わかった、読んでみるよ!」
話しかけるタイミングが悪かった……かなぁ……。
晴くんが勧めてくれた本はイギリスの作家による魔法使いの物語。――分厚いなぁ……。
さあ、久しぶりに本の世界に飛び込もうか……。
◇ ◆ ◇
――余談だが、晴くんのステータス。気になる米印を、俺のスキル、【鑑定Lv.2】によって確認しておいた。
称号
【天使 ※1】
〈天使のような心、天使のような愛らしさをもつ。魅了+1〉
〈※1 真正の天使ではない。また、天然の天使のような心ではない〉
新たな単語、『魅了』とはなんだ? 胡散臭いイメージがある。
果たして俺は晴くんに魅了されているのか? ……否定はできないな。
だが、『魅了+1』にそれほどの効果があるとも思えない。
元が元だからな……。
そして、『天然の天使のような心では――ない』。
米印までつけてこのような言葉を付ける真意はなんだ。ただの皮肉か、それとも……。
付随して気になることがある。
――晴くんのお見舞いに誰も来ない。今日もこのまま来そうにない……。
今日で俺が晴くんと知り合ってから4日目。
小学生の子供だぞ? う~ん……。人様の家庭の事情もあるのだろうが……。
さて、こちらはどうでもいいエロ爺さん。称号の説明書きだが――。
【セクハラジジイ】に〈減点-3,600〉
【のぞき魔】に〈減点-185〉
合わせて、エロ爺、あんた-3,785点!
――減点ってなに!?
――3,785の減点って……この数、こわっ! ステータスを表示してからこんな数値、初めて見たわ!
あとの称号の説明はまあ、非表示が多いが……言わずもがなだ……。
【生涯現役】って……そっちもかぁ……。




