六
翌日、私は誰にも気付かれない方法を考えて、鶴婆ちゃんが昼寝を始めたのを見計らい、沼へ向かうことに決めました。
座卓の上には『駅の方へ散歩に行きます』と嘘の書置きを残しました。
悪い事を一つすると、それを隠すために嘘をつかなくてはなりません。そのうちそれがどんどん増えて、いつか本当に駄目な嘘つきになるのでしょう。
けれど私は、あの沼にもう一度行きたい気持ちを抑える事ができなかったのです。
お婆ちゃんはそんなことは知らずに、くうくうと静かな寝息を立てていました。
ポシェットの中にドロップの缶とハンカチ、ちり紙、それからお手玉を三つ入れ、肩に斜めに掛けました。
それから門を出て、幸子おばさんの家とは反対側の道を行き、まずは村を一望できる丘へと向かいました。
おばさんちの横のあの道を通らなくても、丘から森の中をこっそりと下って行けば、多少遠まわりでも、あの沼へ着くことが出来ると思ったのです。
丘に登ると、村の様子が隅から隅まで手に取るように分かります。
まずは鶴婆ちゃんの家を見つけ、そこから道を目で辿り、幸子おばさんの家もすぐに見つけられました。
敷地の中も丸見えで、車は二台とも見あたりません。おばさんもおじさんも、田んぼに出ているのでしょう。
昨日、この時間には誰もいなかったのに、今日は畦道の所々に同じような白い軽トラックが停まっていて、麦わら帽子の数もいつもより多いように思えます。
そう言えば、そろそろ稲刈りの季節になるそうで、これからはその準備で忙しくなると、おばさんが言っていました。
俊之はどうせふらふらと、村の外のパチンコ屋にでも出掛けているのでしょう。
パチンコ屋には、大きなクマのぬいぐるみの景品があるそうです。
今度、それを取ってきてやると言っていましたが、私は別にそんな物、ちっとも欲しいと思いません。
頭に浮かんでしまった可愛らしいクマの姿を振り払い、私は森を見おろしながら、昨日の道がどの辺りを通っているのか想像し、ここから分かる範囲で一番低くなっている場所を探しました。それからお地蔵さんの所まで歩いて掛かった時間を考え、沼の位置に見当を付けると、地図も磁石もないままに、風に背中を押されて歩き始めました。
探検です。いい加減な思いつきでしたが、私は風に従って行けば、そこに着けると信じていました。
昨日の倍くらいは歩いたでしょうか。下り続ける森の中、道なき道を歩き続け、さすがにくたびれてしまいました。
水筒くらい持ってくれば良かったと思いながら、私はポシェットからドロップの缶を取出し、数回振って、一粒、手のひらに飴を出しました。
出て来たのは白いハッカでした。ハズレです。
それを缶に戻し、再びガラガラと良く振ってみましたが、出て来たのは違う形ではあるものの、またしてもハッカです。
もう、中にはハッカしか残っていないのかも知れません。
考えてみれば、ハッカが出る度に缶に戻して、先にイチゴやブドウ味を食べていたのですから、いずれそうなるのは仕方ありません。
私は渋々それを口に放り込んで転がしながら、風が吹くのを待ちました。
丘を下り始めてからだいぶ時間は経ってしまいましたが、栗林を順調に抜けて、ここはすでにあの沼の周辺と同じような雑木林です。
このまま下りきった所に沼はあると思うのです。
呼吸のたびに鼻の中がスースーする感じに顔をしかめていると、やっと風が吹いてきました。
私はその音に耳を澄ませ、草のなびく方向に目を凝らして立ち上がり、再び歩き始めました。
段々、湿っぽくなってきた地面に足を滑らせ、雑木の幹から幹へと手を掛けながら、危なかしく斜面を下っていくと、その木々の隙間から、ようやく眼下にのっぺりとした緑の水面が見えてきました。
周囲に例の髪の毛のような細長い草が茂り、黄緑色の浮草の絨毯に覆われていて、向こう岸には貧弱な木の桟橋も見えます。間違いなく昨日と同じ沼でした。
はやる気持ちを抑え、私は草を踏み外して水に落ちないよう気をつけながら、ぐるりと沼の淵を半周し、桟橋のたもとに辿り着きました。
そして今日は、この先端まで行ってみるつもりです。
念のため後ろを確認しましたが、大丈夫です、俊之も誰も居ません。
まずは片脚をそっと踏み板の上に降ろしてみました。
それからもう片方も乗せて、しばらく両手を広げて案山子のようにじっとしていましたが、どうやら壊れる心配は無さそうです。
それでも一か所だけ、踏み板が割れて抜け落ちている場所があったので、そこは慎重に飛び越えました。
着地した拍子に古い木杭がぐらりと揺れて、一瞬ひやっとしましたが、後はどうという事も無く、波紋が扇のように大きく沼の隅々に広がって行くのを見届けてから、私はまたゆっくりと歩き始め、とうとう桟橋の先に立つことができたのです。
後ろに手を組み、改めて小さな美しい沼を見渡しました。
吹く風が、水面にサッと刷毛で撫でたような痕を残し、向こう岸へと渡っていきます。
昨日の激しいつむじ風といい、私はこの村に来てから、見えないはずの風という存在を、見られるようになった気がします。
広い田んぼの上を駆け抜ける風の群れ。
たくさんの雲を太い腕で掻き集めては押していくような強い風。
そして小枝を揺らし、ざわめかせ、心を惑わせる悪戯な風。
そんな風達に時折、髪を撫でられながら、耳鳴りのように強烈に響き渡る油蝉の鳴声に、カナカナカナという、どことなく悲しげな日暮蝉の鳴声が混ざり始めたのに気がついて、時間が止まったかのようにじれったく、心細かったこの夏も、もう間もなく終わるのだと思いました。
森の中は自然の奏でる音が幾重にも重なり、それらが調和し、心の中を豊かな気持ちで満たしてくれて、一人でいても孤独を感じる事がありません。
むしろ村の中にいる時の方が、人がいるのに、その無関心さが私を淋しくさせるようです。
東京では、流行り始めの高層団地に、最初は父と母と私の三人で住んでいました。
そのうち父が帰ってこなくなり、いつの間にか母と二人になりました。
そこは通りを行きかう車の音や人のざわめきが、硬いコンクリートの壁を伝って這い上り、不気味なほどすぐ近くに聞こえました。
けれど窓を閉めると、部屋の中はピタリと静まり返ります。
夜は一人で外に出てはいけないと言われていたので、いつもその四角い箱のような部屋の中で、母が仕事から帰るまで一人でテレビを見ていました。
けれどそうしていると、不意にゾッとするような孤独感に襲われて、ベランダから人のいる地上へと、救いを求めたい気持ちになります。
そしてそんな気持ちに駆られるのは、子どもの私だけでは無かったようで、母の方が先にそれをしました。
それは七月の事でした。
夜、ふと目が覚め、トイレに行こうと部屋を出ると、居間の方から風が入り込み、ベランダに繋がる窓が開け放され、白いレースのカーテンが揺れているのが見えました。
食卓の上でぺらりと紙がめくれる音がして、真新しいドロップの缶の下に白い便箋が置いてあります。
私はそれを手に取りました。
そこには鶴婆ちゃんの事や、幸子おばさんの事や荷物、それから学校の事などが細かく書いてあり、最後に『ごめんね』と書いてあって、何のことだろう、と半分夢の中のような気持ちで読み終えると、白いレースのカーテンが、私の背中を後ろから冷たく撫でたので振り向くと、ベランダの傍に、母の部屋履きが揃えて脱いであったのです。
そんなことを思い出しながら、私は暗い沼の色をしばらく眺めていました。
森じゅうの影を溶かして溜めたような色です。
こうして見ていると、そこにはもはや水というものが無く、どこまでも深い闇を覗いているだけなのではないかという気がしてきます。
そういえば、あの日、ベランダから見降ろした闇の中にも、底は見えず真っ暗でした。
そのあとの記憶はありません。
気がつけば私は病院のベッドの中で、母はどこかと訊ねると、知らない人から『もう居ない』と告げられただけでした。
きっと大人でも、現実と夢の境目が見分けられなくなって、そこへ足を踏み出してみたくなる時があるのでしょう。
私は桟橋の端にしゃがんで沼を覗き込みました。
息のできるこちら側と、息のできないあちら側。
その境界が、繊細な水鏡となって、私の顔を映しています。
生気の無い暗い顔です。
母がだいぶ前に切ってくれた不揃いな髪が、この沼に生える草のように青白い顔を覆っています。
その口元が、ふと笑ったような気がして、思わず自分の唇に手を当てました。
私は今、笑ったのでしょうか。
けれど触れてみると、口はへの字に結ばれたままでした。
水に映り、不思議そうに目をしばたかせているのは確かに私です。
けれどじっと見ているうちに、その輪郭がだんだんと揺らぎ始め、下から、見覚えのある女の人の顔が重なって、こちらを逆に覗いているような気がしたのです。
私は思わず息を飲み、踏み板に両手を付いて身を乗り出し、水面に顔を近づけました。
けれどその拍子にポシェットが前にずれ、中から青磁色のお手玉が転がり出し、沼の中に落ちたのです。
ぽちゃん、という音と共に、水に映った不思議な顔は波紋に消され、お手玉はじんわりと水を吸い込み、慌てて伸ばした手よりも先に、静かに静かに沈んで行きます。
そしてくすんだ青磁色は、すぐに沼の色に溶け込んで、小さな泡の列だけ残して見えなくなりました。
私が口を開いたまま、今、起きたことに茫然としていると、滑らかさを取り戻した水の奥で、何か白く長いものがゆらめきはじめました。
それがゆっくり、くねるように、こちらに向かって伸びて来るのです。
私は目を見張りました。
それは手なのです。
ふやけたような白い手が、沼の底から浮かんで来たのです。
その手は、百合のつぼみのように緩く閉じられ、水面にすうっと現れました。
そして細い指が一本ずつ、花びらのようにゆっくりと開いて行き、その手の中に、青磁色のお手玉がありました。
家に帰ってから、私は鶴婆ちゃんの前で三つ玉のお手玉の技を披露しました。
お婆ちゃんは「あれまあ」と言って驚き、とても褒めてくれました。
そしてその晩、お婆ちゃんは珍しく遅くまで起きていて、私に色々な昔話を聞かせてくれました。
けれど私は良く遊んですっかりくたびれていたので、お婆ちゃんの訛りの混ざる小さな声を聞いているうちに、すぐに眠くなってしまいました。
その夜は、写真の中の女の人が、ひと際、優しげに笑っているように見えました。