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 私は鶴婆ちゃんに、沼に行った事はもちろん話しませんでした。

 晩のおかずを運んできた幸子おばさんは、瑞々しい大きな瓜を持ってきてくれて、

「四つに割って、種を綺麗に取り除いて、蜂蜜を掛けて食べさせてあげてね」

 と言い残し、ニコニコと帰って行きました。

 なので、俊之は約束通り、私が沼に行った事も、かざぐるまを盗って壊した事もおばさんに告げ口しないでくれたようです。

 帰宅するとすぐに、私は汚れた服も体もすっかり洗ってしまったので、誰も私が沼に行った事には気付いていないはずです。

 少し安心しました。けれど心の中は重いのです。


 あれから俊之は、私を車の後部座席に押し込めると、自分も横に乗ってきて、怖い顔をして言いました。

「あの沼に近づくのは村の(おきて)を破ることだ。わざわざバラ線で囲ってあるのに、それをおまえはくぐって入った。これがみんなに知れたらどういうことになるか分かるか。よそ者だからって許される事じゃないんだぞ」

 そんな事を言われても、私は沼の存在自体を知らなかったし、そんな掟があるなんて、なおさら知るわけがありません。

 私がその事を言って許しを請うと、俊之は大きな目を見開いて、汚いニキビ顔を近づけて意地悪く言いました。

「じゃあかざぐるまはどうなんだ。俺は見たぞ、おまえがあれを引っこ抜いて挙句の果てに壊したのを」

 私は何も言えなくなってしまいました。

 そして俯き、ただひたすら泣き続けました。

 そんな私を俊之は鼻で笑い「今回だけは黙っててやる」と偉そうに言いました。

 それを聞いて、私が疑わしそうに俊之のにやけた顔を上目づかいで見ると「その代わりこっちに来い」と優しげな声で言い、私の腕を掴んで引き寄せ、自分の膝の上に座らせようとしました。

 べっとりと汗ばんだその手の感触にゾッとして、私が強く抵抗すると、いきなり豹変したように「うちのババアに告げ口するぞ!」と怒鳴り、右手を振り上げました。

 私は叩かれると思い、反射的に身を縮めて頭を両手で隠しました。

 ババアとは幸子おばさんのことです。

 自分のお母さんのことをそんな風に言うなんて、やはりろくでもない男なのです。

 怯える私を見ると、俊之はまたころりと声音を変えて、

「別に何もしない。ただじっとしてろ」

 と言って、向かい合わせで私を俊之の腿に跨がるように座らせると、そのまま服の上から私の体をモゾモゾと撫でまわし始めました。俊之の鼻息が荒くなり、それが私の頭にかかるのが気持ち悪く、跨いだ脚の間に当たる何か硬い物に違和感を感じながら、それでも叩かれるよりはましと思い、目を閉じてじっと我慢していました。

 そんなことをしばらくしているうちに、向かい側から車が来たようで、俊之は慌てて私をシートに突き倒すと「顔を上げるな」と言い付けて、素早くズボンの前を直して外に出て運転席に戻り、乱暴に車を発進させました。

 そしてそのまま幸子おばさんの家の裏辺りまで来ると、俊之は私に車から降りて先に行くよう命令し、それに従い停車した車の前をとぼとぼと歩き始めた私の背中に向かって、

「今日俺に会った事、おまえも絶対、誰にも言うなよ。約束だからな。約束を破ったら、俺も全部ばらすからな」

 と言いました。

 私は返事もしないまま、鶴婆ちゃんの家に一目散に走って帰りました。


 瓜を食べた後、お婆ちゃんの布団を敷いて食器を片付けながら、私は沼の事を考えていました。

 あの沼をもう一度見たいと思っていたのです。

 あそこで子供が何人も死んでいる、と俊之は言っていました。

 だから鉄条網で囲って、入れないようにしてあると。

 あの沼に行くのは良くない事だというのは分かります。

 けれどそれでも、なぜだかどうしても沼の事が気になり、布団に入って目を閉じても、いよいよまぶたに浮かぶのは、深い緑色のあの沼と、赤い蓮の花のようなかざぐるまがくるくる回り、それが誰かに引き込まれるようにふつりと沈んだ瞬間なのです。

 その光景は子どもの私にでさえ、何か禁断の美しさを秘めているように感じられ、どうしても頭から消すことができないのです。

 そして音が聞えてくるのです。

 しゃらしゃらしゃらしゃらという、風の音とも、水の音とも、お手玉の音ともつかない不思議な音が、闇の中から響いてきて、私は俊之と秘密の交換をしてしまった事を後悔しながら、何度も寝返りを打ち、眠れない夜を過ごしました。







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