三
次の日、いつものように午前中に洗濯や布団干しを済ませ、それから庭の納屋の横に勝手に生えているミョウガと三つ葉を摘み、お昼はそれを薬味にして鶴婆ちゃんと一緒に縁側で素麺を食べました。
この家に住むようになるまでは、私は薬味というのは全く好きではなくて、そば屋で添えられて出てくるネギなどは、匂いを嗅いだだけで気持ちが悪くなってしまい、手を付けたことがありませんでした。
薬味に限らず野菜全般が苦手で、トマトもキュウリも人参も食べられなかったのです。
けれどこの村に来て、毎日、幸子おばさんが籠に入れて持ってきてくれる野菜はつやつやと色どりの良いゼリーのように光っていて、手に取ると太陽の光を含んでほのかに温かく、思わず口にしてみたくなるのです。
それに実際、冷蔵庫で冷たく萎びれた元気の無い野菜と違って瑞々しく、とても美味しく感じられました。
そして鶴婆ちゃんが、庭のどこそこにこんな形の葉っぱがあるから取ってきて、と言われた物を探して、半信半疑で摘んでザルに入れ、それを縁側に腰かけたお婆ちゃんに見せに行くと、しわだらけの顔をほころばせ、私の不揃いな短い髪を撫でながら褒めてくれるので、私は薬味の材料探しが大好きになりましたし、そうして自分で見つけて収穫したものは、クセがあって多少口に合わないとしても、なんだか嬉しくて食べられるようになったのです。
母が知ったらきっと驚いただろうと思います。
私は鶴婆ちゃんが好きでした。
東京に住んでいたころは、近所にお年寄りはいなかったので『おばあちゃん』という存在がどういうものかよくわかりませんでしたし、ましてや一緒の家に住むという事が、どんな感じのものなのか全く見当もつきませんでした。
けれど実際、寝起きを共にするようになってみると、鶴ばあちゃんのゆっくりとしたペースは、のんびり屋の私にはぴったりしていて、かつては母に急かされ、どきどきと胸が破れるような思いをすることが度々ありましたが、そういった事は無くなりました。
それにおばあちゃんは、私がちょっとした身の回りの事を助けてあげるだけでも、ありがたいありがたいと、いつも拝むように手を合わせて呟きます。
すると何だか、自分がとても存在価値のある子になった気がするのです。
だからお婆ちゃんがトイレが間に合わなくて粗相をしても、お味噌汁をこぼしてしまっても、もちろん今までそういうお世話は経験の無いことで困りはしましたが、まるで自分に妹か、もっと言えば言葉の通じない赤ちゃんができたかのように思え、嫌な気分になるどころか、面倒を見てあげるという事に幸せを見出せました。
鶴婆ちゃんに尽くしていると、胸の痛みと共に湧いてくる母のいない淋しさや、言う通りの事が出来なくて叱られた時の悲しさを、消し去ることができるのです。
それは今思えば、経験のすり替えのようなものだった気もします。
素麺を食べた後、お婆ちゃんが昼寝を始めたのを見計らって、私は例によって散歩に出かけることにしました。
門を出ると田んぼには、青い稲がそよぐ中、白鷺のすっきりと細長い首が、所どころ旗のようにのぞいているだけで、いつもはちらほら動いている村人達の麦わら帽子は全く見当たりませんでした。
これは珍しいことでした。
もしかしたらあまりに暑いので、みんなも食後、長い昼休憩をとっているのかもしれません。
私は寛いだ気分になり、普段からあまり笑う事はありませんが、自然に笑みが浮かんでいるのが頬の感じで分かりました。
そして誰にも気兼ね無く大きな伸びをして、今日はどこを散歩しようかと辺りを見渡しました。
右の道へ行くと脇道がいくつかあり、そのうちの一つの緩やかな坂を登って行くと、森を通り抜け、村を一望できる見晴らしの良い丘に着きます。
そちらの方はもう大分あちこち歩き周り、栗やブナの森なども見つけました。
そして左の道は、平坦な舗装道路がだらだらと続くだけで、道端にシロツメクサやアザミなんかの野の花はたくさん咲いていますが、適当な脇道を見つけて進んで行っても、結局行き止まりに誰かの家があって、犬にやかましく吠えられるだけで面白い事はありません。
他に行ったことの無い道と言えば、すぐに思いつくのは幸子おばさんちのすぐ横の、細道だけです。
それは下りながら、生け垣に囲まれたおばさんの家の大きな敷地の裏へと続いているようなのですが、そこで終わりなのかその先があるのか、実際どうなっているのかは分かりません。
なので前から興味はありました。
けれど、おばさんの家の近くに行くと、あの不吉な顔の俊之に会ってしまいそうな気がして、今まで足が向かなかったのでした。
おばさんのような朗らかな人に、何故あんな陰気な息子がいるのか本当に不思議でしたが、どうやらそれは叔父の影響のようであることを私は薄々気づいていました。
叔父の名前は確か和之だったと思います。
けれど私は結局その名を口に出す機会がなかったので、もしかしたら記憶違いかもしれません。
この村に来て、幸子おばさんには毎日のように会うのに、和之おじさんには正式に挨拶をした事がありませんでした。
というのも、その時点で私はまだ、幸子おばさんの家にお呼ばれした事が無かったですし、おじさんが私の様子を見に、こちらの家に顔を出すようなこともなかったからです。
この村に、親戚は他にも住んでいたはずです。むしろほとんどが血縁関係のある者ばかりだったはずなのに、優しい幸子おばさんでさえ、私の所に来てはくれますが、他の親戚の家に私を連れて行ってくれるようなことはありませんでした。
考えてみれば不自然な事です。
田んぼで声をかけてくる幸子おばさんの近くには、いつも後ろ向きで作業している男の人がいて、それが和之おじさんだというのは、おばさんが「ほら父ちゃん、凜ちゃんだよ」と母に似た、せっつくような口調で言うので分かりました。
けれどおじさんは聞こえないふりをしていて、決してこちらを見ようとしません。
最初からそんな感じでしたから、私は自分の姿や存在自体に何か問題があるのかと思ってしまいましたが、態度がおかしいのはやはり、おじさん (叔父だけでなく村人もですが)の方だと思いますし、だから俊之があんな感じの悪い青年になったのではないかと考えるようになったのです。
俊之が普段何をしているのか興味もありませんでしたが、私が俊之と出くわすのは、おばさん達のいる田んぼではなく、いつも鉄色の車に乗っている時で、農作業用の服ではなく、襟の付いたシャツを着ているのですが、その趣味の悪い派手な色柄からして、どこかよそに勤めに出ているという感じにも見えませんでした。
夕方よりも早い午後の時間に車でフラフラしているのですから、仕事も家の手伝いもしない、どうしようもない怠け者なのでしょう。
そのように、私は自分より十歳以上も年上の従兄を心の中で馬鹿にして、嫌っていました。
幸子おばさんちの綺麗に刈り込まれた槙の生垣に沿い、私はそろそろと足を忍ばせ歩いて行きました。
見上げるほどに高い石門柱の陰から敷地の中を覗くと、白い軽トラックも鉄色の乗用車も、母屋の脇のトタン貼りの車庫に停まっているのが見えます。
それを確認すると、私は素早く門の前を通り過ぎ、長い生垣に沿って左に曲がり、そこから一目散に駆け出しました。
転びそうなほど前のめりになって駆けて行くと、道は少しずつ下りながら緩やかな弧を描いて続いています。
道は行き止まりではなく、まだずっと先まで行かれそうです。
息切れしながら後ろを振り返ってみると、田んぼもおばさんちの高い生垣もとっくに見えなくなっていました。
そこでようやく足を止め、私は万歳するように両手を挙げ、大きく深呼吸してから、今度はゆっくり歩き始めました。
道は、土の上にただアスファルトを流して延ばしただけのようで、路肩はきちんと固めていないし、側溝もありません。
轍も酷く、所どころ陥没してひび割れ、そこからしぶとい雑草が生えています。
田んぼに面した家の前の明るい道路とは全く様子が違い、何か秘密の匂いを感じながら、私はその荒れた道に従いどんどん下って行きました。
道幅は更に狭くなり、車が一台ようやく通れるくらいになってしまいました。
名前も知らない、細く高い雑木が次第に道の両脇から覆い被さるように空を遮り、木漏れ日さえ届かない薄暗い森の中を、時折、枝のざわめきと共に涼しい風が吹いて行きます。
捻じれたような木の枝には、蔓が絡まり、まだ緑色の烏瓜が所々にぶら下がっています。
私は道の右に寄り、腰くらいの高さの雑草の先に付いた、小さなタンポポのような綿毛のかたまりを、片手で気まぐれに散らして歩き、たまに草と同じ色をした大きなバッタが、キチキチと音を立てて飛び出してくるのに驚かされました。
そして、手のひらほどもある黒い蝶が不意に現れ、それがひらひらと飛んでいくのを目で追うと、いつの間にか道の左側だけに、森を隔てるように、錆付いた鉄条網が二本、だらしなく張られていているのに気が付きました。
私は何を思うでもなく、なんとなく道の右端から左に寄って、その痛そうな赤茶けたトゲに指を触れ、それから軽く弾いてみました。
枯れた茨のような鋼線がぎこちなく揺れ、それを横に目で辿って行くと、その先に頼りない木の杭が地面に打ってあり、茨は杭に絡められて更に長く伸び、また木の杭があり、それが同じように十メートル間隔位でずっと先まで続いています。
そして更にその先に目を凝らすと、道の左端に、何か石の塊りが列をなし、赤いものがちらちらしているのが見えました。
私は目を細め、訝りながらゆっくりと、そちらの方へ歩いて行きました。