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その後、私は本当に、村を出なくてはいけない事になりました。
しばらく特別な施設に入ることになり、そこから一歩も外に出ることを許されず、その中で勉強を教わったり、運動したり、時々担当医の問診を受けたりしました。
そして妄想や虚言の癖を直され、外の世界で、同じ年ごろの子供たちと上手くやって行かれるように、法務教官から常識と道徳というものを繰り返し学びました。
そのうち身元引受人になってくれるという人が現れて、やっと施設を出ることができました。
その人の家族と共に暮らし、高校へも通わせてもらえました。
そんなふうに、ようやく温かい人達の中で繋がりというものを感じながら、あっという間に時は経ち、私は成人し、仕事に就き、その家を出て一人で自立して暮らせるようになったのです。
それからかなり経ってから、育ての小父から、古い日記を渡されました。
それは鶴婆ちゃんの日記でした。
お婆ちゃんが死んだ時、幸子おばさんから小父の元に届けられた物らしいのですが、小父と小母で相談し、私の生活が本当に落ち着いた頃に手渡そうと、今まで預かっていたそうです。
私はそれを、夢中になって読みました。
茶色く干乾びたページを繰るたびに、読んだ端から消えてしまいそうな気がしましたが、そこにはお婆ちゃんが、あの村にお嫁に来た時の奇異な生活と苦労が、ありありと記されていました。
それから、若いうちに自殺してしまった大切な娘と、その娘の残した二人の孫娘。つまり幸子おばさんと私の母のこと。
読み終えて、私はたくさん泣きました。そして再び、あの村を訪れてみることにしたのです。
結果的には、あの村だった町を訪れた、ということになりました。
行って驚きました。何もかもが変わっていたのです。
駅舎は近代的に建て替えられ、駅前に広がっていた田んぼは、跡形も無く埋め立てられていました。
森もほぼ伐採され、形だけ残された丘は上の方まで造成され、個性のない建て売り住宅が、その斜面を覆い尽くしています。
記憶を頼りに鶴婆ちゃんの家を探そうにも、地名から道路から、何もかもが以前とは違っています。
幸子おばさんの家も、当然、見つけられませんでした。
仕方なく、私はその住宅地の舗装道路を宛ても無く歩きました。
そのうち緩やかな下り坂に差しかかりました。
行き交う車の、排気ガスの混じった風が、長い髪とスカートを揺らします。
それを手で押さえ、乱れた髪を掻き上げると、私の耳に、ふと聞き覚えのある音が運ばれてきました。
そしてその先の小さな十字路の傍らに、あの懐かしいお地蔵さんの列と、赤いかざぐるまを見つけたのです。
私は何だか嬉しくなりました。
歩道に寄せ集められたお地蔵さんの数は、全部で十六体ありました。けれど、その十字路の先を見ても、ただ真っ直ぐな道路と、箱のようなつまらない家が並んでいるだけで、美しい水留女の棲んでいた沼は、影も形もありませんでした。
そう、彼女は水留女というのです。
この土地の、昔の名前と同じです。鶴婆ちゃんの日記にも書いてありました。
沼に棲む白ヘビで、どんなに日照り続きの時でも、風に乗る水の匂いを嗅ぎわけ、どこからともなく水を運んで来るので、沼は決して干上がる事がなく、村人達の暮らしをずっと護って来たそうです。
けれど水留女は寂しがりで、時おり村人を誘うのです。
その人が一番会いたい人の姿を借り、沼の中へと誘うのです。
だから特に小さな村の子供たちは、心を惑わされないよう、暗い森の中を歩くときは、必ず大勢できちんと列になって歩き、その真ん中に一番幼い子を挟み、水留女がその子の気を引こうとしないよう、祈りの唄を歌いながら歩いたそうです。
それがあの、お手玉唄の元だそうです。
ところで私は、この話を人に話すのは今日が初めてなのですが、話しながらどうやらまた、悪い癖が出てしまったようです。
記憶のすり替え。これだけは、治ったようでもなかなか難しいのです。
そうやってしか、幼い頃の暗い思い出から、逃れることが出来なかったものですから。
けれど優しいあなたのことですから、私の嘘に気づいていても、不思議な話だね、とそっと流してくれるのでしょう。
おや、もう東の空が明るくなってきました。
長い話ではないと言いながら、ずいぶん時間をかけてしまいましたね。
つまらない話にお付き合いさせてしまって申し訳なく思います。
どうかこの話は、誰にも内緒にしておいて下さいね。
ー完ー




