一
それは、私がまだ小学四年生の頃の話です。
どういう事情があったのか、その当時はあまり考えないようにしていましたが、私は母と離れ、上野から電車を乗り継ぎ二時間ほどの母の実家で、鶴という名の曽祖母と一緒に暮らすことになりました。
その日、年老いた鶴の代わりに、同じ村に住む幸子という名の叔母が、私を駅まで迎えに来てくれることになっていました。
私はこの村には三歳の頃、曾祖父の葬儀で一度、母と共に訪れた事があるだけでした。そして叔母の幸子にもその時、会っていたはずでしたが、私はその顔を全く覚えていませんでした。
なので、三両編成の赤いローカル電車の座席に一人揺られながら、背丈の割には大き過ぎる、婦人用の旅行カバンを膝に載せ、その上に広げた母の手紙を何度も読み返しながら一生懸命、記憶の糸を辿っていましたが、なぜか甦るのは、棺の中で白い化粧を施され、目を閉じた曾祖父の、干からびてしまった顔なのでした。
そうしているうちに、電車は崖に挟まれた細長い駅に着き、私は一人、そこで降りました。
降りた目の前に、錆びかけた大きな駅名表が立っていて、そこに『水留女』と書いてあるのを確認しました。
母が手紙に記していたとおりの名前でしたが、東京とは全く違う、改札口が一つしかない寂れた雰囲気の無人駅に驚きを隠せず、崖の間に不気味に響き渡る蝉の声に、急に不安が込み上げて、思わず走り去って行く赤い電車のあとを追いかけようとした時、
「凛ちゃん」
と、後ろから大きな声で呼びかけられました。
振り向いた先に、小太りで人の良さそうな笑みを浮かべた女の人が立っていました。
それが「幸子おばさん」だということをすぐに悟り、ああ、そう言えば、葬儀にこんな人がいたかもしれない、と思いながら、その後ろにクレヨンで雑に描いた、へのへのもへじのような無表情で背の高い男の人が、手紙に「俊之」と書かれていた、20過ぎの従兄であることを理解しました。
そしてその対照的な叔母と従兄の表情の、どちらに自分を合わせて良いのか分からないまま、
「凛ちゃん、遠い所、良く来たねぇ」
と言ってしゃがみ込み、抱きしめてくる叔母の肩越しに、俊之が嫌な目つきで私を見て、それからプイとそっぽを向いた横顔を、私は蝉しぐれの音と共に、今でもはっきり思い出してしまうのです。
赤い円柱ポストの横に停めてある、鉄色に光る車の後部座席に乗り、俊之の運転に揺られながら、どこまでも広がる田んぼと、低いなだらかな丘に沿った田舎道を走って行きます。
田んぼは一面緑に見えましたが、良く見るともう稲穂を付け始めていて、少し黄ばんできています。そしてその上をすいすい飛んでいるのはトンボだということが、街の中で育った私にもすぐ分かり、少し嬉しくなりました。
助手席から幸子おばさんは気さくに話しかけてくれます。
けれどおばさんには悪いなと思いながら、私はむっつりとした顔でハンドルを握っている俊之のことが気になって、快活にしゃべることが出来ませんでした。
おばさんが私に何か質問を投げかけると、俊之もこちらをバックミラーでチラリと見るのですが、その度に何かヒヤリとするものを感じるのです。私はおばさんのシートの陰に隠れながら、横からそっと俊之を観察しました。
運転する姿は猫背で、痩せた首から飛び出た喉仏が、時折上下に動くのが気味悪く、そして何より表情の掴めない、開いたままのような大きな目が私は怖かったのです。
ぎこちない空気のまま、車は大きな門構えの、いかにも農家という茅葺屋根の家の敷地に入って行き、開け放された玄関の格子戸の前に停車して、私達はそこで車を降りました。
相変わらず仏頂面の俊之が、重たいカバンを私からひったくるように取り上げ、運んでくれましたが、親切のつもりなのか分かりにくく、いちいち心臓がヒヤヒヤします。
着いたのは、広い土間のある大きな家でした。
ぐるりと見渡してみても、やはりほとんど覚えていません。
私が玄関をくぐろうとすると、幸子おばさんが「敷居を踏まないようにね」と優しく注意したので、私は改めて足元をみて、両開きの格子戸のはまった木枠の、地面から一段高くなった部分を、おばさんのするように気を付けてまたぎました。
「親の顔だからな」
と、後ろから俊之の声がして、振り向くと、俊之が私の後ろから頭を低くして玄関をくぐり、そのついでに履いていたゴム草履の先で、『親の顔』と言った敷居を、軽く小突くのが目に入りました。
私は見てはいけないものを見てしまったようで、すぐに視線を逸らしました。
土間に立つと、外の暑さが嘘のように涼しく感じられます。そこで運動靴を脱いでから、一段高くなった墓石みたいな灰色の踏み石に一度足を乗せ、それから黒光りする年季の入った板間に上がりました。
その六畳ほどの板間には、神棚が祭ってあるのが見えました。白木で出来た、小さな神社を模したものが置いてあり、その両脇には榊の青々とした葉が活けてあります。
私がそれをぼんやりと見上げていると、幸子おばさんから、
「今度からあれは凛ちゃんのお仕事だからね」
と耳打ちされ、何の事かと訊こうと思った時、奥の座敷からゆっくりと、腰の曲がった曽祖母が、捻じれた片足の先を畳に摺るようにして出てきました。
そして私を見るなり、皺の寄った顔をさらに皺だらけにし、泣き笑いのような表情を浮かべると、私の頭を撫でながら何度も何度も同じ事を言うのですが、訛りのせいで言っている事がよく聞きとれず、どう答えて良いか分かりませんでした。
それでとにかく、母に最後に念を押された通り、
「鶴婆ちゃん、これから長くお世話になります」
とだけ言うと、深く頭を下げました。
そうです。私はもう、母に会う事はないのです。
それは、私の決意の言葉でもありました。