アイドルの変装
意識してみると、街中は十乃天に満ちていた。
どの看板でも十乃天が愛想のいい笑顔で映っていて、どのCMでも彼女の声が聞こえてくる。
CDショップの店頭には彼女のニューシングルが並べられていて、客足も上々といった感じだ。
「タイトルは……『ふぇいくフェイス』か」
CDジャケットには、十乃天の顔がアップで写されていて、笑みを浮かべた口の部分には、チャックのついた口が貼りつかれている。
そんなCDを手にとった釘貫は、レジの列に並んだ。
「なんじゃ、しーでぃーを買うのか?」
きいきいと車イスを軋ませながら、彼女は近づいてきた。
その手は未だに髪をいじっていて、人を避ける様子もない。
否、避ける必要はない。
レジの列に並ぼうとしている人がたまに彼女にぶつかるのだが、衝突することなくすうう、とまるでホログラムであるかのように通り抜けてしまう。
まるで幽鬼のような光景を視る度に、彼女の全身像は彼女の目――今の釘貫の目がつくりだした幻であることを再認識させられる。
彼女はそこにいないのだ。
いないけど、そこにいる。
ように見える。
だから存在があいまいで、あやふやなのだ。
「……CDとかは知ってるのな」
「なんじゃ。知らぬと思っておったのか?」
「なんとなくだが、新しいものは知らないイメージがあった」
えっとな、と釘貫は言う。
「単純に良い曲だなーって思ったからっていうのもあるけどさ、それ以上に少し気になることがあってな」
「気になること、とな?」
「十乃天の曲を聞くと、目が痛む」
彼女は黙りこくった。
釘貫はその隙に、CDを買う。
特典がつくらしいからついでに貰っておいた。
笹竹が持っていたブロマイドだった。
ただ、少しだけポーズが違っていた。
「それはつまり、どういうことじゃ?」
「十乃天が化物の断片を持っている可能性がある」
釘貫はポケットの中からスマホを取りだした。
「彼女がMMA96に所属したのが三年前。こうして流行りだしたのは、半年前だ」
その要因はテレビのカラオケ企画らしい。
人生なにが起こるか分からないものだ。
「それまでもソロで歌を披露する機会は二、三度あったらしいんだが、全部話題にすらなっていない」
つまり、と釘貫は結論を言う。
「十乃天はつい最近、急にうまくなった」
「それと目の痛みから判断したわけじゃな」
「まだ推測に過ぎないけどな。知っておいて損はないだろ、と思ってな」
「わしとしては出会って潰し合ってほしいものじゃがのう。パーツが奪える」
「やなこった」
傍から見れば、会話帳の独り言をしているようにしか見えない釘貫は店の外に出た。
外に出た。ところで。
ズキリ、と。
眼球が痛んだ。
「ぐ、うううぅ……っ!?」
かなり近くにいるのだろうか。
痛みは激しく、不意にやってきたこともあってか、釘貫はぐらりとバランスを崩してしまった。
コンクリートの地面に肩から倒れ、持っていた袋からCDは飛びだして、カラカラと滑っていく。
周りを歩いていた人たちはそのCDと倒れた釘貫を避けるようにしながら歩いていく。
冷たい社会である。
否。
一人だけ。
釘貫が落としたCDを拾ってくれた人がいた。
男でも女でもなく、人、と言ったのは、それの性別を判断するのが困難だったからだ。
決して『彼女』のように姿があいまいだとか、そういうわけではない。
その人はマスクをつけていた。
鼻からあごにかけてすっぽりと覆う大きなマスクだ。
さらにこめかみまで隠しそうな大きなグラサンに、頭の形を隠す帽子。体のラインを隠すようなぶかぶかの上着と、絵に描いたような不審者像だ。
もしも小学生が相手ならば、無条件で防犯ブザーを鳴らしてしまいそうないでたちだ。
しかし高校生であり、防犯ブザーを持っておらず、代わりに『見えないものを見える目』を持っている釘貫は、そのサングラスとマスクの向こうを視た。
その人は女性だった。
茶髪の髪を耳より少し下ぐらいで短く切りそろえていて、ぱっちりとした目は快活としたイメージがある。
キレイよりはカワイイが似合うような感じだ。
――というか、どっかで見たことがあるような……。
「大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
澄んだ声だった。
ズキズキと痛む目をおさえながら、釘貫は立ちあがる。
不審者の彼女の方も、風邪でもひいているのか軽く咳こんでいた。
「頭でも痛いの?」
「いや、頭というよりは目が……」
と。
そこでようやく、釘貫は気づいた。
差し出されたCDをみて気づいた。
――いや。
――いやいやいや。
――いやいやまさかまさか!?
驚愕が頭を支配するも、もう一度不審者の顔を視て、それは確信に変わる。
「あ、あんた……」
「ん?」
プルプルと震える指で、釘貫は不審者の顔を指さした。
「あんた、十乃天か!?」
***
釘貫の発した声は、一瞬にしてCDショップの店頭に騒ぎを引き起こした。
声を聞いた彼らはワーワーキャーキャーと店頭に押しかけ、釘貫と十乃をもみくちゃにする。
「どこ、ねえどこ!?」
「いったい! どこ触ってんのよ!」
「お前ちゃんと前見ろ!」
一箇所に集まろうとした彼らは互いにぶつかりあって、罵詈雑言を飛ばす。
そろそろ怪我人の一人でてもおかしくない。そんな時だった。
十乃がマスクを外した。
鼻からあごにかけて大きく覆ってあったそれを外し、桜色の唇を露出させる。
そしてすうっと、息を吸った。
「静かに!」
それは決して、大きな声ではなかった。
この喧騒の中、紛れて消えてしまいそうなぐらいだった。
しかしその不純物が一つも存在しない澄んだ声は、辺りに不思議と届き、彼らはその動きを止めた。
聞き覚えのある声だったから、かもしれない。
彼らはその声に反応して、動くのをやめた。
十乃はふう、とため息をついてから手を二回叩く。
「はいみんな、解散。これ以上集まっていたらお店の人に迷惑でしょ。何かを買うならともかく」
それぐらいで帰るものなのかと思われたが、十乃の声を聞いた彼らは、それだけでその場から去っていった。
いや、若干数名ほど、わざわざCDを買ってサインをねだったりもしたけれど。
それに十乃はきちんと対応した。
律儀な人である。
ホクホク顔で去っていくファンを十乃は手を振りながら見送って、「よし」と頷く。
振り向く。先の騒動の渦中にいた釘貫をみた。
「さて、どうして私が十乃天だと分かったの……?」
言葉半分に、十乃は首を傾げた。
なぜなら釘貫が耳をふさいでいたからだ。
耳の穴に人差し指をいれて、完全防音だった。
「……終わったか?」
釘貫はつむっていた目を開く。
「なんで……?」
十乃はサングラスを外しながら驚嘆の声をもらす。
サングラスとマスクが外され、隠すものがなくなった彼女の顔は、確かにジャケットに写る顔と同じだった。
「ちょっと待って。どういうこと? 私の変装を看破したのもそうだけど、耳を塞ぐって……」
「僕も同じだから」
釘貫はズキズキと痛む目をおさえながら。
十乃は咳き込むのどをおさえながら。
互いに互いを見やう。
「体のパーツ、化物の断片を拾ってる」




