気持ちよくって、後が恐い。
初鹿戸室はいわゆるイジメられっ子である。
クラスの上位勢に殴られるし蹴られるし金を取られるしで、散々な毎日を送っていた。
そんな自分の境遇に、彼はいつも嫌気が差していたし、やり返す勇気のない自分にやきもきしていた。
その日もまた、彼はいつものように殴られたり蹴られたり金を取られたりしていた。
彼の財布の中はすっからかんだったし、体の生傷はそれに反比例するように増えていっていた。
よろりとよろめいたところで、背中を蹴られ、初鹿の体は茂みの中にゴールイン。
背後からは聞くだけで気分が滅入る笑い声。
それも変わらない。
しかし。
その先は少しだけ違っていた。
茂みの中には『髪』が落ちていた。
長い長い黒色の髪を折りたたんで、白色の紙の帯で束ねられている。
それがどうして、そこに落ちていたのかは誰にも分からない。誰も知らない。
それが自身の体であるはずの彼女にだって、知る由はない。
しかし確実に言えることは。
そこに髪の束は落ちていて。
茂みに蹴飛ばされた初鹿の指は、髪の束に触れていた。
髪を束ねていた髪の帯はやぶけた。
束ねられていた髪ははじけ、触れていた初鹿の指に、さながら芋虫のように這いより、絡みつく。
その全てが指の皮膚をつきぬけ、体内に侵入する。
体内を虫が這い回っているようだった。
その筆舌にし難い痛みは二度と味わいたくない。
痛くて痛くて痛くて――。
気づいた時には短めに切りそろえられていたはずの髪は、辺りの木々や茂みにひっかかり、蜘蛛の巣みたく張り巡らされる程度には伸びていて。
初鹿をイジメていたいじめっ子たちは、彼の足元でのびていた。
いじめっ子を撃退した。
コケにしていた奴らをコケにできた。
それは初鹿に凄まじい高揚感を与え。
同時に、あまり優れない気分を彼に与えた。
なぜなら、彼は報復を恐れたからだ。
仕返しが恐かったからだ。
気持ちよかったけど、その後が恐かった。
故に彼は頭に響く声に従うことにした。
すなわち、化物の断片の蒐集に。
***
人通りのない道のど真ん中に、初鹿戸室は立っている。
人通りがないとはいえ、車の一台や二台通りそうな道ではあるけれど、不思議なことに今まで一台もここを車は通っていない。
それも当然。
なぜなら今、ここら一帯には結界が張られているのだから。
現在、初鹿を中心に半径百メートル以内には、初鹿の髪が張り巡らされている。
その細さは普通の髪の何十分の一で、凝視しようともまず視認できないし、それが切れる感覚は空気に触れるよりも軽い。
このエリアに侵入しようとも、結界の一番外側には頑丈な髪がロープのように張り巡らされていて、中に入ることも、外に出ることも、不可能だ。
ゆえに、この百メートルの中には現在釘貫睦と初鹿戸室以外存在しない。
だから初鹿は安心して頭に伝わる感覚に集中していてのだが……。
「……?」
初鹿は頭に伝わってくる感覚に首を傾げる。
どうもおかしい。
変だ。
張り巡らせている髪の細さは尋常ではない。
まず、視認することも叶わないはずだ。
少なくとも気づけるものではない。
それなのに――感覚が妙にまちまちなのだ。
全てに引っかからない。
避けられそうなものだけ避けて、避けられなさそうなものだけ反応がある。
一度、小さな子供の頭ほどの高さまで飛んだらしい反応があった時は釘貫の運動神経に驚いたりしたけれど(または脚なのだろうかと考えた)、ここまで――まるで見えているかのような行動を取られると、疑問は確信に変わる。
――目、か。
初鹿はがっくりと肩を落とす。
彼が欲しいのは自分のことをコケにしていた人間をコケにするための力、または自衛のための力。
どちらにせよ『力』が欲しいのだ。
それなのに、ただよく見えるだけの『目』なんてもの、優先度は最下位以外なにものでもない。
――なんだよ、見えるだけの目とかいらねえよ。もっと力になるものを持ってろよ。
心中で愚痴ってみるも、それでなにかが変わるわけではない。
ただ、ここで『欲しいものではないから逃がす』を選択するほど、彼は愚かではない。
力でなくとも力であるのは変わりない。
一応、貰っておくこととしよう。
初鹿はそう考える。
眼球を体内にいれる。
それはつまり、またあの痛みを味わうということだろうか。
それは、イヤだなあ。
と。
初鹿が顔をしかめた時、彼のいる道に誰かが姿を現した。
少しほっそりとした体躯。髪は短く、天に向けてつんつんとたっている。
眉間にはいつも顔をしかめているからか、少しシワが入っている。
クラスでは一度も話したことのない相手だけれども、名前を覚えていないだなんて最低なことはない。
釘貫睦。
今も少し不機嫌そうに眉をひそめ、真正面からの登場である。
場所は分かっていたから驚きはしなかったけれどしかし、無謀日極まりない行動である。
練る作戦がなかったのだろうか。
はたまたこれが作戦だったりするのだろうか。
余りにも無防備な行動に、初鹿は少し警戒を強める。
「不意をうってくるとでも思ってたか?」
「……まあな」
まさか話しかけてくるとは思っていなかった初鹿は少し反応が遅れてしまう。
「最初はそのつもりだったんだけどな。こうも周りに髪が張り巡らされているのを視ちゃあな」
へらり、と釘貫は笑う。
――やっぱり、見えている。
初鹿が再確認をしたその瞬間。
釘貫は、走りだした。
まっすぐ、一直線に。
その余りにも愚直な行動に、初鹿の反応はかすかに遅れた。
「う、おおおおっ!」
初鹿はそれが一瞬罠ではないかと躊躇したが、すぐに伸ばした髪を一本にまとめ槍の形にして、繰り出した。
横に振るでも縦に振るでもなく、前に振る――刺突。
右足を踏み込んで、体を前に振る。
その槍先を、釘貫の目に向けて。
釘貫の持つ、化物の眼球に向けて――。
「やっぱり、狙ってくるよな」
と、釘貫は呟いた。
呟いて――その槍先をくるっと回転するようにかわして、自身の間合いにまで、初鹿に接近した。
「……は?」
初鹿は唖然とした声を上げる。
そして気づく。
目を狙うことを誘われていたことに。
わざと『眼球』を持っていることを匂わせて、目を狙わせていたことに。
気づいたものの、もう遅い。
分かっていれば簡単に避けれるそれを避けた釘貫は、自身の目の前まで迫っている。
「くはっ」
しかし。
初鹿の内心は意地悪くほくそ笑んでいた。
彼が仕掛けたのは髪の槍だけではないからだ。
現在彼の前には、髪で編んだ網が超急行で仕立て上げられている。
初めから仕掛けていたら釘貫の目に捉えられる可能性もあるため、今、仕立て上げる。
髪の細さはこの近辺に張り巡らせた髪と変わらず、しかしその強度はダンプカーが衝突しようとも切れることはない。
――正直力でも何でもない目ん玉なんてあまり欲しくはないが、それでも力であることは変わりねえからな。今からもっとがんじがらめにしてから……!?
内心ほくそ笑んで、接近する釘貫が網にかかるのを待っていた。
突如。
釘貫の姿が、消えた。
初鹿の視界から、消えた。
「っこに!?」
初鹿は焦ったように辺りを見回すが見つからない。
どこにいった?
どこにいった?
ふと、初鹿は足元を見た。
足元に影ができていた。自分のものとは違う影ができていた。
「っさか!」
初鹿は見上げる。
靴の裏が見えた。
「悪いな、僕の目は内心も視えるんだ」
そんな声が聞こえるか聞こえないかぐらいかで、初鹿の意識は途切れた。




