あいまいな彼女は車イス
保健室に向かい、頭痛がすると保険医に伝えると『熱をはかってみて?』と言われた。
七度九分。
熱があった。
保険医は釘貫に早退を勧めた。
釘貫もそうすることにして、早退をすることにした。
教室に荷物をとりに向かい、そのまま学校を後にする。
その時には調子が戻っていることを願っていたが、調子が戻ったりすることはなく、むしろ学校から離れるほど目の痛みは増していた。
いや、違う。
学校から離れるほど――ではなく、何かに近づくほど、か。
その事実に釘貫自身は気づくことなく、通学路を歩き、丁度、眼球を拾った場所にさしかかった。
また眼球が落ちていないかと釘貫はドキドキしたりしたけれど、さすがにそれはなかった。
眼球は落ちていなかった。
その代わり、人がいた。
人――なのだろう。
動く度にキィキィと車輪が軋むおんぼろ車イスに乗っている。
それを見て、釘貫は思わずドキリとする。
なぜなら車イスに乗っている誰かは、あまりにもあやふやだったからだ。
あやふやで、あいまい。
不確定で不明瞭。
誰かは人として見るには、体のパーツがあまりにも足りていなかった。
ないパーツを数えるよりも、あるパーツを数える方がはやく終わりそうだ。
それでもその誰かを釘貫は視認できている。
見えないものが見えるようになる目で視認できている。
ともすれば、この誰かは見えないものなのだろう。
この目をもってしても、存在があやふやであいまいなのがいい証拠だ。
まるでぼかしでもかかっているように、輪郭さえ、はっきりしない。
「……」
ズキリ、と目が痛む。
ここから逃げろと脳みそがアラートをかき鳴らす。
釘貫はそのアラートに従ってゆっくりと後ずさる。
そのままこの場から逃げ出そうとしたのだが。
「そこの。少しいいかのう?」
呼び止められてしまった。
しゃがれた声だった。喉が潰れているような声だった。
釘貫は逃げに向かっていた足を止める。
「少し探し物をしておるんじゃが、知らんか?」
「……探し物?」
「そうじゃそうじゃ、探し物探し物」
振り返った釘貫がそう言うと、車いすに座った彼女はニタリと笑った。のだろう。
そもそも彼女に口があるかどうかも怪しい。
彼女が足りないものに満ち溢れていることは分かるけれど、それが一体どこなのかは『眼球』の補正のせいでよく分からない。
否、一つだけ。
一つだけ分かる。
「目玉をな――探しとるんじゃ」
彼女の眼窩には、眼球がおさまっていない。
***
眼球の落し物。
それに心当たりがありすぎた釘貫の額に冷や汗がたれる。
「め、目玉……?」
それでもどうにか反応を示せた。
この動揺が目玉というワードに驚いてだと勘違いすることを切に願いながら。
「そう。目玉じゃ」
「い、いや。知らないな。全く知らない。そんなもの見ていたら絶対に覚えてるよ、インパクトがありすぎる」
嘘をついた。
インパクトのありすぎるそれのことはしっかりと覚えている。
しかし本当のことを言ったら面倒なことになる、と思ったからだ。
言ったらきっと、なにかに巻き込まれる。
既に巻き込まれているような気もしないでもないが。
それでもまだ片足だ。まだ引き返せる。
「そ、そもそも目玉っていうのはなんだ。目玉模様のボールか?」
「いいや。目玉は目玉じゃ。物を見る目ん玉」
「じ、じゃあやっぱり知らないな。ゴメンな、力になれなくて」
釘貫は再び嘘をつく。
物を見る目ん玉を落とした。
考えてみると、なかなかどうして、物騒な話である。
彼女は残念そうにため息をついた。
「そうか、知らぬか」
「あ、ああ」
「ふむ。しかし、とするとおかしいのう」
キィ、と車イスの車輪が軋む。
車イスが釘貫に近づく音だ。
釘貫は思わず二、三歩後ずさる。
背中が壁にぶつかる。
「知らぬなら、どうしてわしの姿が見えておるのじゃ?」
釘貫はギクリとした。
それが答えだった。
車イスの車輪はさらに回転する。
「わしの目玉、持っておるな……?」
「い、いや。確かに持ってはいるけど返せない状態にあるというか……!」
「わしの目玉を返せえええぇっ!!」
「うおおおっ!?」
彼女は車イスの車輪を回し、釘貫の顔に腕を伸ばす。
釘貫は思わず声を荒げる。
伸びてくる輪郭のあやふやな腕を首を動かして避けて、ほとんど無意識に、カウンター気味に彼自身も腕を伸ばした。
果たして――指を開いて伸ばした腕は、偶然にも彼女の顔を捉えた。
彼女の顔は柔らかく、大人の男ではないことを確信させた。
彼女の顔はかなり小さく、大人ではないことを確信させた。
同世代でもないことも、はっきりした。
そう。
その大きさはまるで――。
「あぶっ!?」
あやふやであいまいな彼女は体を大きくのけぞらせながら(?)釘貫の脇を抜けて、車イスごと壁に激突した。
「あ、頭はあるからやはり、痛いのう……」
頭はあるらしい。
その声色はどこか嬉しげでもあった。
そんな情報は釘貫の頭に入ることなく、ぎぎぎと油の切れたロボットのように彼女の方を向いた。
「お前……赤ん坊なのかっ!?」




