なんでもなくて、どうしようもない
楽屋の外の廊下は、スタッフの証である緑色のキャップを被っている人たちがせわしく往来していた。
そんな中、立ち尽くしているのはなんだか空気を読めていないような気がして、空気を読むのを大事にしている日本人らしく釘貫睦と笹竹猫は、小走りで廊下を抜けていた。
そんな二人の後ろを、つまらなそうな表情で苗切白里はキイキイとなる車イスを動かしながらついてきている。
楽屋で十乃のノドを奪うチャンスを釘貫がつくらなかったそんな表情をしているのだろう。
本来、存在しないはずの彼女に明確な表情のイメージなんてものはありはしないのだけど。多分、そんな表情をしているのだろうと釘貫が勝手に思っているだけだ。
唯一彼女を視認できる彼が思っているだけだ。
存在しない彼女が車イスに乗っているのも『足がない人間が歩けるはずがないから、移動には車イスを使っているかもしれない』という釘貫のイメージが反映されている可能性もある。
まあ、それがどうしたという話ではあるが。
存在しない彼女のことを視認できないスタッフたちが彼女の体を通り抜けるようにつっきっている姿は、ちょっとおもしろかったりはするけれど。
「なあ」
小走りで移動しながら、釘貫は笹竹に話しかけた。
笹竹は移動する足を止めることなく、なんだか嫌そうな表情を植木に向けた。
ゴキブリを見るような目だった。このまま白い煙でも焚きそうな状態である。
「話しかけてくんなって言ったでしょ」
「楽屋では話してたくせによ」
「能登の手前、仲良くしておかないといけないと思っただけ。あんたと話すなんて、ホントは絶対イヤ」
「へーへー……」
こんなに嫌われるようなことを何かしたっけか。と釘貫は右上を見ながら考え込んだが、答えはでてこなかった。
仕方なしに話すのは切り上げることにした。
「十乃は結局、親に来てほしかったのかね」
「話しかけてくんなって言ったでしょ」
「独り言だ」
「質問系な独り言があってたまるかって」
機嫌悪そうに笹竹は突っ込む。
はあ、と息をはく。
「来てほしかったに決まってるでしょ。そうじゃなかったらチケットだって用意しないし、自分のところに来るようにしたりしない」
「だよなあ……」
釘貫に、ではなく。
両親に、である。
自分は、その代理に過ぎない。ゴミ箱に捨てられる予定だったものを、ゴミ箱代わりに受け取ったに変わりない。
釘貫のポケットの中には、本来両親のどちらかに渡されるはずだったチケットの片方が入っている。
それを考えると、なんだか悪い気もするし、どうして自分がここにいるのだろうか。という考えも頭によぎる。
もしも目玉を手に入れていなかったら。
もしも喉を手に入れていなかったら。
釘貫はここにいなかったし。
十乃も、多分、ここにはいなかっただろう。
――いや。
――それはないか。
釘貫は自分の考えを否定する。
彼女は自分と違って、前向きであり、実力があって、夢がある。
そんな彼女が喉がなかっただけでこの舞台に立てていないとは考えづらい。というか考えたくはない。
時間は今以上にかかっただろうけれど、彼女はこの舞台に立てていた。
ただし、そこには自分は存在しない。
今だって、存在していないと同義である。いようがいまいが、彼女の物語にはなんにも干渉しない。
そう、苗切白里と自分はなにも変わらない。
この世に存在していようがいないようが関係ない。そんな存在。
そりゃあ、進路調査票も真っ白になる。
どうでもいいのだから。
「……あんたさ」
「なんだよ」
自分で自分を切り捨てて、若干ダウナーになっていた釘貫は笹竹に話しかけられて思考を止めた。
話しかけてくるな、と言ってきた相手が話しかけてくるなんて不思議なことにあったのだから、思考も止まってしまう。
ただ、その先を聞くことはなかった。
なぜなら。
ズキン。と。
目が痛んだのだから。
ズキズキズキ。
目が痛む。
まるで眼窩の中で、眼球が暴れまわっているかのように。
「――っ!!」
釘貫は目を手のひらで覆うようにおさえながら、うずくまろうとしている体をどうにかおさえる。
この感覚には覚えがあった。ありすぎると言ってもいい。
苗切白里と会った時にもあったし。
初鹿戸室と会った時にもあったし。
能登甘飴と会った時にもあった。
共振。
苗切白里の体のパーツ――”化物の断片”同士が近くにいる相手を求めて、暴れまわるそれ。
つまり、誰か化物の断片を持っているやつが近くにいるということ。
最初は能登甘飴かと思った。しかし、彼女からの共振は前々からずっと感じていたし、微々たるものであった。
それではない。不意をうってくるようにきた共振――強振。
能登甘飴ではなく、もちろん初鹿戸室でもない。
とすると。
「街に来ていたやつが、ここにまで近づいてきたようじゃのう」
同じように共振を感じているであろう苗切は、嬉しそうに顔を歪めた。のだろう。
やっぱり。
敵である。
あれからというもの共振がなかったから油断していた。
こちらが相手が近くにいると認識できるのなら、相手だってできることはしっかり理解していたつもりだったのに。
この強さだと、案外近くにいるかもしれない。
そう思うと、床を踏みしめる足に力が入る。
ここで共振の痛みでかがみこんでしまえば、自分が”化物の断片”を持っているのだと自白するようなものだ。
近くにいるのは分かるが、誰が持っているのかは相手にだって分からないはずである。
ここは耐えなければならない。
じっとりと溢れる脂汗をぬぐう。
覆う手のひらの間から、周りをうかがう。
見えないものが視える目ならば、”化物の断片”を視ることも可能なのだが、近くには持っているものの姿はなかった。
壁の向こうも視る。
壁の向こうでは、ライブの会場に入るために観客たちが列をなしていた。
列に並んでいる人を、順々に見ていく。
――え?
その中に、釘貫は気になる人を発見した。
決して、化物の断片を持っているとか、そういうわけではない。
そこにいた二人は、普通の人間だった。
ただ、その心が――。
「釘貫!」
笹竹が叫んだ。
釘貫は壁の向こうを視るのをやめて、笹竹の方を向いた。
笹竹は、釘貫がさっきまで視ていた方向とは逆の方向を見て、驚愕の表情を浮かべていた。
後ろか!
釘貫は急いで――けれど、できるだけ自然に振り返った。
そこにいたのは、緑色のキャップを被った男だった。
ライブの運営スタッフだろうか。
キャップを目深に被っていて、顔を隠している。
その男は十乃の楽屋の前に立っていた。
周りがせわしく動いているのに、その男だけは動くことをしなかった。
釘貫は男を視る。
どろどろとした黒い内面が視えて、釘貫は思わず顔をしかめる。
男の顔を注視する。
まるで、アゴが外れているかのように視えた。
あいつだ。
あいつが、断片持ちだ。
釘貫は顔をしかめる。
その瞬間だった。
断片持ちの男が、上半身を屈めたのは。
頭の位置は、丁度楽屋のドアノブぐらいの高さだった。あまりにも不自然な行動に、釘貫は眉をひそめる。
周りを小走りで移動している緑色のキャップを被ったスタッフは、断片持ちの男の行動を不審に思ったのか、一瞬動きをとめたものの、すぐに自分の仕事に戻っていった。
釘貫もその行動の意味不明さに、体が硬直して動くことができなくなっていた。
答えは、すぐに分かった。
がぱあ、と。断片持ちの男が大口を開いたのだ。
彼が持っている断片はアゴ。それが意味するのは。
ガリ。
ガリガリガリ。
ガリガリガリガリガリガリ。
まるで、氷を噛み砕いているかのような音だった。
コップに残った氷を噛んで、ノドを潤している時のような。
しかし相手が噛んでいるのは、氷ではない。
ドアノブ――である。
金属製のそれを、まるで作り物のものであるかのように噛み砕いていく。
バキン、とドアノブは噛み砕かれた。
鍵がかかっているとか、かかっていないとか、もはやそういうことは関係なくなっていた。
ギギイ、とドアが開かれる。
終わりが、ドアを開く。
「お、おお、おおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
それを見てからの、釘貫の行動ははやかった。
本人が自分が動きだしていたことに気づいたのは、ドアノブを噛み砕いてドアを開けようとしている断片持ちの男に飛びかかって、男を床に叩きつけてからだった。
男の口から、噛み砕かれてボロボロになったドアノブがコロコロと転がる。
「ちょっ、釘貫!?」
「おお、ようやく闘うつもりになったか、ほら、さっさとどちらか気絶せんか」
笹竹は釘貫の突然の行動に驚き、苗切は喜んでいるようだった。
緑色のキャップは男の頭から外れて、男の顔があらわになる。
三白眼の男である。
小さな黒が広い白の中を動いて、釘貫の顔を見据える。
なんのようだ。と目だけで語っていた。
――なんのようだ?
――なんで僕はこいつにのりかかった?
のりかかってから自分のした行動に気づいた釘貫は、それに対してどう返すのが正しいのかさっぱり分からず、少しの間だんまりを決め込んだ。
さっき男が屈み込んだ時には一瞬足を止めた程度だったスタッフたちが、男と釘貫の周りに集まってきた。
「こいつのファンか?」
男は釘貫を睨めつけながら言う。釘貫は、男の三白眼を見返す。
近くからドアが開く音がした。ドアノブが噛み砕かれた、楽屋のドアだ。
釘貫は男から目を外して、音のした方を向く。
能登――十乃天と、市史原綱手が楽屋の中から倒れている男と、その上にのしかかっている釘貫を、不思議そうな顔で見ていた。
十乃を見た瞬間、男はニヤァと口元を歪めた。
やはり、十乃が断片を持っていることをこいつは知っている。
「ドアノブをずっとガチャガチャしていたのは、あなた達?」
十乃はなにも言わず、代わりに市史原が言った。
釘貫は、無言のまま頷いた。
「帰る時に、ドアノブのたてつけが気になってさ。ちょっと確認したんだよ」
なあ、と釘貫は男に言った。男は釘貫の言う嘘に、眉をひそめる。
市史原は不審さを覚えたようだった。
「それで、どうしてそんな状態になったの?」
そんな状態、とは今の釘貫と男の状態のことを言っているのだろう。それに疑問を覚えるのはまあ、おかしくはない。
釘貫は男を見る。
話をあわせろと、言外に語る。
男はどうして俺が、と言わんばかりに目を細める。
釘貫は男の顔に少しだけ自分の顔を近づけて、男にだけ聞こえるようにささやく。
「僕も、化物の断片を、持っている」
男の小さな黒目が、さらに小さくなった。
口が、限界まで歪む。
「僕がチェックをしてたらドアノブが外れちゃってさ、どうしようかと思ってこいつに尋ねたんだ。そしたら急に倒れてさ。支えようとしたら、こうなった」
「ああ、すまないな。最近働きすぎで体の調子がよくなかったんだ。助かった」
「……そう」
不審そうな目はなおさないまま、市史原は釘貫と男から目を離した。
周りに集まっていた緑色のキャップを被ったスタッフたちを一瞥して、二回両手を叩いた。
「はいはい、みんなはやく持ち場に戻って。ライブ開始までもう時間がないんだから!」
市史原の声にあわせて、集まっていたスタッフたちは各々の持ち場へと戻り、小走りで移動を開始する。
市史原はもう一度、釘貫に視線をあわせる。
不審げな視線は、変わらない。
「その人、救護室に運んであげてもらえる?」
「分かった」
「救護室はあっち」
市史原が指さした方を見てから、釘貫は男に肩をかした。
男は釘貫の肩をかりて、近くによってくる。
「本当だろうな」
「ホントだよ。邪魔にならない場所に移動するぞ」
「ふふふ、ええのう。ええのう。これでわしの体も一つ、いや運がよければ二つ手に入るということか」
男を支えるように移動する。後ろで苗切が嬉しそうになにかをほざいていた。
「あ、そうだ」
釘貫は、十乃の方を見た。
十乃は今の状況をあまりよく理解できていないようで、きょとんとした表情を浮かべたままだった。楽屋での悩んでいる表情よりはまだいい表情だ。
「よくさ、アイドルとかロックバンドのボーカルとかが、全員の顔が見えてるっていうけど、ホントなのか?」
「そりゃあ本人の視力にもよるだろうけど、これぐらいの広さの会場なら、私は全員の顔が見えるよ」
「そっか。じゃあ、観客全員の顔を見てやれよ」
「言われなくても、見るけど」
「さすがプロ」
釘貫は笑って、男を外へと連れだすべく、市史原が指さした方へと歩きだした。




