ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ
時間は誰に対しても優しくない。
特に、決断に迷っている人間には、優しくない。
誰も彼も、渡された時間は平等だけれども、それに納得できる人は、ひとりもいない。
短い。と感じることもあるし。
長い。と感じることもある。
十乃天のここ最近の数日はとても短くて、けれどとても長かった。
悩むには短い時間だったし。
悩んでいるせいで、とてもとても長く感じた。
けれど、それは彼女自身の時間の話であって、誰も彼もに与えられた時間は平等に進行する。
短い時間は過ぎた。
または、長い時間が過ぎた。
今日は、十乃天のライブの日である。
街にある一番大きなライブ会場――田舎とは言えず、しかし都会とも言えないような中途半端な街である。大きいとは言っても、中規模か、それより小さいぐらいである――の楽屋にて、十乃天はパイプ椅子に体を預けながら、憂いの表情を見せていた。
憂いというか、儚げというか。
彼女が自分の体を包んでいるパスカルで原色まみれな、まず日常生活では一度として着ることはないであろう服とは、真逆の表情であった。
ふと、十乃は楽屋に設置されている鏡を見た。
その鏡の周りには大きな電球が何個も設置されている。
今となってはあまり見ないその装飾に、この会場がいかに古いかを見せられているようだった。
鏡にうつっている自分は、まるで虚構の人物のようだった。
いつもはしない化粧に、いつもはしない服装。
そして私の名前ではない十乃天。
芸名を名乗ることにしたのは理由がある。
それはついうっかり、両親が私の名前を聞いてしまわないようにするためだ。
今のようにトップアイドルになれていない頃に、両親が私がアイドルをしていて、しかもうがつがあがっていないことを知って悲しんでしまわないようにするためだ。
――いや。
――それは言い訳か。
だって、今のようにスポットライト浴びるトップに上り詰めても、家のインターホンひとつ押すことができないのだから。
結局彼女は、後ろめたくて、幻想の姿で自らを隠しているだけなのだ。
十乃はため息をついた。
その時。
ガチャガチャ、と鍵がかかっているドアノブが捻られた。
「あれー? 天ちゃん、もしかして鍵かけてる?」
ドアの向こうから聞こえたのはマネージャーの市史原継手の声だ。
十乃はドアのほうに視線を向ける。
顔をごしごしと拭おうとして――自分がいま、化粧をしていることを思いだして、手を止めた。
いつも通り、幻想で己を隠す。
「あ、ごめん市史原さん。今開ける」
十乃はドアの鍵を開いて、ドアを開く。
すると一人の女子が部屋の中に飛び込んできた。
「のーーーーとーーーー!!」
背の高い女子だった。
肩甲骨まで伸びた髪を後頭部で二つの団子にして纏めている。
名前は笹竹猫。
十乃天の友達である。
ドアが開いた瞬間、ぴょーんと飛び込んできた笹竹を十乃はひょいっと避けた。
「わっ、びっくりした! どうしたのいきなり」
「お前からもらったチケットを見せたら、ここに案内されたんだよ」
市史原の後ろから姿を現したのは、背丈の低い少年だった。
短めの髪をつんと立てた少年である。
釘貫睦。
つい先日出会った、十乃と同じく"化物の断片”を持っている少年である。
確か部位は眼球。
釘貫のセリフで、十乃は思いだす。
自分で用意したそのチケットを見せた相手が現れたらここに案内して欲しい、と市史原に頼んでいたのだ。
本来ならば両親が呼ばれるはずだったのだが、両親に渡せなかった今釘貫がやってきた。ということだろうか。
となると、笹竹も同じ理由だろうか。
渡したチケットの数は二枚。
余った一枚を渡してもらったのだろう。
「なるほどなるほど、いやゴメンゴメン。その必要は無くなったって伝えるのを忘れてたよ」
「でもラッキーだった。そのおかげで能登とまた会えたんだし」
「ちょっと前にも会ったじゃん」
「何度会っても嬉しいものなのさ」
「一理ある」
にかっと笑う親友に十乃はくすり、と笑いかえした。
まったく、いい親友に出会えたものだ。
だからその直後「はにかんだ能登かわいいよう」とか、ちょっと気持ち悪い声が聞こえたような気がしたけど、まあ気のせいだろう。
そんな笹竹の後ろで釘貫は「能登……?」と首を傾げている。
「ああ、私の本名だよ」
「十乃天は芸名か」
「そりゃあそうだよ。私の本名は能登甘飴。ここら辺りならちょっと有名かな?」
「……えーっとつまりなんだ。僕は今ここら辺りで有名な旧家の娘二人と話してるのか?」
「そうそう、だからさっさと空気読んで帰れ帰れ」
「猫ちゃん、それはないんじゃあないよ」
「冗談冗談」
あははー、と笑いながら手を振る笹竹に、十乃――能登は、「もー」と口を尖らせて腰に手を当てた。
「それで」
笹竹は笑う表情のまま、能登に尋ねる。
「なにか困ったことでもあるの?」
「え?」
能登は素っ頓狂な声をあげる。
びくぅ、と肩を震わせる。
「い」
綺麗な声をあげるはずのノドは震えてちょっとずれた音をだす。
「いや、全然? 困ってなんかないよ?」
「嘘だね」
「……どうしてそう思うの?」
「能登はいつも困るとそんな表情をするから」
本人も気づいてないのは困りものだよねー。と笹竹は言う。
能登は楽屋にある鏡をみた。
眉が下がっていた。
口は薄笑いを浮かべていた。
目は少し疲れているようにも見える。
少なくともアイドルがするべき表情でもないし。
なるほど確かに。これは困っているとしか形容しようがない表情だ。
「困ってるなら相談にのるよ? 釘貫くんだって好きに……適当に利用したっていいから」
「僕の意見は聞かないのな」
「守れって言ったでしょ?」
「言われたな」
「あはは……」
産まれた時からの友達。
ちょっと前に話しただけの友達。
そんな二人を前にして能登は疲れを露骨にみせるように笑った。
別に狙ってそんな風に笑った訳ではない。素で笑ったら、そうなっただけだ。
うん、確かに疲れている。困っている。
「インターホンをね、押せなかったんだ」
「インターホン?」
「うん」
能登はうなづく。
「私さ、家を家出同然にでていったんだ。アイドルになりたいから、絶対売れてやるって」
「笹竹に聞いたよ」
「猫ちゃーん?」
「あ、あはは……」
能登は笹竹を睨んだ。
笹竹は苦笑いを浮かべながら釘貫をじろりと睨む。
それに気づかず――否、気づいてるけど無視して話を続ける。
「僕がもらったチケットは家族に渡す予定だったやつなんだろ?」
「……うん、けど恐くなっちゃってさ結局渡せずじまいでさ」
「それを僕がもらった。なんか悪いな」
「いいよいいよ気にしないで。私の気の弱さが悪いんだからさ」
能登はうーん、と背を伸ばしてからおもむろにその場で一回転してみせた。
ふわふわとしたスカートが円形に広がる。
「私は家出して、こうしてアイドルになりました。今や国民的アイドルとまで呼ばれています」
「自分で言うか」
「事実ですから。否定するより認めたほうが好感度高いと思うよ?」
「謙遜もだいじだ」
「捻くれものの癖に正論吐くんだ」
「お前が謙遜が大事だと言ったら否定してたよ」
「性格わるー」
能登は少し寂しそうに笑う。
「けど、ここまで来てもまだ、私は家族に会う勇気がでない。インターホンを押してチケットを渡すことさえ出来ない。そんな弱虫なんだよ」
「……」
「……」
能登の吐露に、釘貫も笹竹も黙り込んだ。
そんな時にどう言葉を言えばいいかなんて、二人にはさっぱり分からなかった。
心が視えているからといって、答えが分かるわけではないのだ。
「さて、十乃ちゃん」
少しの沈黙。
それを破ったのはマネージャーの市史原だった。
腕時計を見ながら言う。
それは言外に「そろそろ時間」と語っているようだった。
釘貫のように捻くれ者ではない能登はこくりとうなづく。
「ごめん、二人とも。そろそろ時間みたい」
「あ、ごめんね。急に来ちゃって」
「気にしないで。二人と話せてむしろ元気もらえちゃったぐらいだから」
能登は嘘偽りのない笑みを浮かべた。
笹竹と釘貫はそれに少し安堵しながら楽屋を後にした。
能登はドアの鍵を閉める。
「そこまで気にしなくてもいいんじゃない? 不審者なんてここまで来ないよ」
「あはは、そうかもしれませんね」
しかし油断はしない方がいいだろう。
ドアの向こうからは去っていく二人の足音が聞こえてくる。
ふと思う。
あの二人ならインターホンを押せただろうか。
家族と向き合うことができただろうか。
――きっと、できるんだろうな。
産まれた時からの付き合いである笹竹だけでなく、つい先日会ったばかりの釘貫でさえ、それは断言できた。
それは決して、二人が強いからではない。
いや、確かに二人は強い。
笹竹は語るまでもなく、釘貫は今の状態に当たり前のように適応している。
命が狙われる可能性もある、こんな状況に、対応して適応している。
そんな少年だ。きっと、後ろめたさなどなにひとつ感じたりしないのだろう。
だからきっと、これは二人が強いからではない。
能登甘飴が弱いからだ。
弱虫だからだ。
あと一歩が踏みだせない。
家出なんてできたのに、国民的アイドルにまで登りつめたのに、それでも恐いなんてなんて様だ。
それこそ、笑える話だ。
「十乃さん、準備はいい?」
「あ。はい」
能登は鏡の前に移動してパチン、と両手で挟みこむように頬を叩いた。
弱気な能登甘飴から、国民的アイドルの十乃天に。
スイッチする。
と。
そこで。
ガチャリ、と。
ドアノブが回された。
ガチャリ、ガチャリ。
ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!
「ひっ!?」
十乃は声を引きつらせて、思わず後ずさった。
異常だった。
異常事態だった。
ドアに鍵がかかっているのだから、普通はここで止めてもいいはずなのに。
尋ねるわけでもなく、必死に開こうとしている。
おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。
「し、市史原さん……!」
「わ、分かってる。すぐに警備員の人に連絡を」
市史原が電話を取りだした時だった。
メコォ、とドアノブがまるで潰れた空き缶のようにひしゃげた。
鍵が壊れた。
終わりが、扉を開いた。




