化物の名前
「なあ、化物」
その日の夜。
家に帰って夕飯を食べて風呂に入り、自室に戻った釘貫は、布団の上に寝そべってからおもむろに呟いた。
少ししてから、キイキイと軋む音がして『彼女』は釘貫の視界に姿を現した。
彼女の眼球を介してしか存在を認知されない彼女は姿を現した。
「なんじゃ」
「化物で反応するんだな、お前」
くくく、と釘貫が笑うと、彼女はむっと顔をしかめた。のだろう。
「ぬしはワシの名前を知らんじゃろう。ならば仕方のないことじゃ。大人なわしが我慢してやろうと、しぶしぶ反応しただけじゃ」
「大人って、お前赤ん坊だろ」
「姿はの、しかし過ごしてきた年数は違う」
「……お前今何歳なんだ?」
「れでぃーに歳をきくでない」
上半身を持ち上げてそんなことを尋ねるも、彼女はふいっと逃げていった。
まあ化物の子だからバラバラにしようなんて風習が当たり前のように行われていた場所だ。
きっとかなり昔か、それかかなり人里離れた場所なのだろう。
いつか行ってみたいものだ。
いや、やっぱり行ってみたくないか。
「苗切白里」
「ん?」
と。
不意に言われたそれに、釘貫は反応することが遅れてしまった。
「なえぎり……しらさと……?」
「それがわしの名じゃ」
いや、どうなんだろうか。
彼女は自慢げに名乗ったけれど、彼女の経歴的に考えると――産まれてすぐバラバラにされて捨てられた経歴から考えると、名前なんて名づけられているはずもない。
ならばこれは、彼女自身が彼女自身につけた名前だということだろうか。
それはなんというか、なんていうか。
――いや。
これ以上勝手に考えるのはよそう。
釘貫はそう判断して。
「なるほど、よろしく苗切」
「うむ」
彼女は少し嬉しそうに頷いた。のだろう。
少なくとも化物と呼ばれている時よりは。
「して、ぬしよ」
「なんだ?」
「なにか言いたいことがあったのではないか?」
「あ」
忘れていた。
すっかり忘れていた。
釘貫はごまかすように笑う。
「いやな、少し気になることがあったんだ」
「気になること?」
「お前が体を集めようとするのはどうしてだ?」
「無論、元の姿に戻りたいからじゃ」
「そうだな」
釘貫は頷く。
「初鹿戸室はいじめっ子から身を守るために力を欲した」
「そうじゃな。ゆえにああして力に惹かれてしまったわけじゃが」
「じゃあどうして、十乃天は力を欲した?」
十乃天は「ノド」を手に入れることで歌がうまくなった。
力に溺れず、他のパーツを奪おうとしないところを視るに、彼女の願いはそこで叶っている。ということになる。
歌が上手くなりたい。という願い。
すると当然、こうした疑問も生じる。
――どうして歌が上手くなりたい?
初鹿戸室の力が欲しい、という願いは彼がいじめられっ子だからであり、いじめっ子を撃退して仕返しから自らの身を防衛するために考えたものだ。
ならば。
十乃天は、一体なにがしたい。
歌が上手くなってなにかを得るためか。
何かを得るために歌を上手くなるのか。
「それが気になる」
「ふむ」
苗切はどうでもよさそうに頷いた。のだろう。
実際、彼女にはどうでもいい話である。
しかし釘貫にとってそれは、気になる話である。
釘貫くんはその目でなにかやりたいことをやったりした?
なんて言われてしまった釘貫には。
「まあ」
釘貫は起こしていた上半身を倒した。
「そこのところは明日聞いてみるか」
「寝るのか?」
「寝る」
電気を消す。
暗くなった部屋の中で、釘貫はゆっくり目を閉じた。
***
草木もねむり、あたりから音が消え去った頃、あいまいな存在、苗切白里は考える。
観測相手の消えた彼女は考える。
彼女はとある村で生まれた化け物である。
百年に一度、化物が生まれるとされていた集落の千年目の正直。
バラバラにされようとも生きていられるその生命力は圧巻の一言ではあるけれど、しかし残念なことにバラバラにされてしまったせいで力を多大に失っている。
少なくとも、人間よりも弱い。
ゆえに相手が気絶などしていない限り、自らの体のパーツを取り返すことすらできない。
「……」
苗切は視線をおとす。
自らの足元――車輪元には釘貫睦が眠っている。
閉じている目の奥――眼窩には苗切の眼がおさまっている。
――今ならば。
――眠っている今ならば、取り返すこともできるのではないか?
考えついたときには苗切の体は動いていた。
釘貫の枕元に息、だらしない寝顔を見下ろす。
後はその上に降りて奪えば終わりだ。
晴れて彼女は日の光を視る生活を送れるわけだ。
しかし。
彼女はこの状態のまま、もう数十も固まっている。
動けないでいる。
――躊躇しておるのか、わしは。
どうして躊躇するのだろう。
分からない。分からない。分からない。
「……ふん」
苗切は車椅子の車輪を動かして釘貫の枕元から離れた。
「よくよく考えてみれば、こやつがおらぬとわしは他のパーツを集められないではないか」
そんな事を口にしながら。




