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第六譚 悲劇のヒロイン

 

 

「ただいま……」

 玄関で靴を脱ぎながら、ゾッとした。

 今の声は何だ。自分は果たしてこんなに貧弱な声だっただろうか。こんなに弱った声を出す人間だっただろうか。

「おかえりなさい。お父さんは?」

「……さあ」

 フラフラと覚束ない足取りでリビングに入る。と、母・佳子が台所で夕食の支度をしていた。今日は肉料理らしい。

 北沢家は何の変哲もない中流家庭だった。穏和なサラリーマンである父に礼節に厳しい専業主婦の母。家は楓が通っている高校学校まで徒歩十五分程度の距離にあり、一般的な二階建て住宅。家庭内には(娘としての見解であるのだが)特に目立った問題らしい問題はなく、父と母との関係も上手くいっているようだ。

「どうしたの? 顔色悪いけど?」

 真剣な顔をした母の顔が視界に映る。

「何でもない……」

 取り繕うことも余裕もなかった。蚊の泣くような声で答えると階段を上がる。

「ちょっと、もうご飯よ? 着替えるんだったらさっさとしてよね」

 怒ったような母の声が聞こえたけれど構うことなく階段を登っていく。リビングや洗面所、客間など共同スペースである一階に対して、二階は楓の部屋と両親の寝室、物置部屋となってしまった父の書斎など、個人個人のスペースになっている。

 楓はのたのたと自室に入ると、ドアを閉めた。それから適当に鞄を放り投げ、制服のままでベッドに倒れ込む。顔に跳ね返ってくる柔らかい感触が伝わってくる。だが、どこか感触がおかしい。触覚が狂ってしまっているのだろうか。安堵感はなく、何だか不安が煽られている気さえする。

(……アカシック、レコードだっけ)

 森羅万象、全て記されたアカシックレコード。

(何で、信じてるんだろ……)

 楓は、信じていた。

 つい数分前の出来事だ。しかも内容は突拍子もない。意味不明だ。

 しかし楓は信じていた。

 自分でもおかしいと思う。有り得ないと思う。

 だが、

 太陽が東から昇って西に沈む。

 自分の中には血液が流れている。

 パソコンは電気がなければ動かない。

 そんな当たり前の事実と、アカシックレコードなる物は楓の中で肩を並べているのだ。

 あの少年の口ぶりが脳裏に甦る。

(宇宙や人類とか、何もかも記してあるデータバンク―――だっけ、か……)

 誰が何時何処で生まれ、そして何をして死に、どう生まれ変わるか。森羅万象という演劇がどう進行し、どうやって滅亡するか記されている世界の脚本シナリオ。そんな物が存在しているらしい。そして、

(私は、シナリオから、)

 ―――欠落している。

(だから……)

 処分されなければならない。殺さなければならない。欠落している『異常因子きたざわかえで』は例外なくアカシックレコードに悪影響を及ぼす厄災なのだから。思考が、それ以上動いてくれなかった。

 フラッシュバックする恐怖、そして絶望。

 夢で、あって欲しかった。

 夢ならば、何れ醒める。醒めてくれる。

 またいつも通り、アカシックレコードとか『異常因子』だとか。そんな無情で非情な事実は夢だったと笑い散らせる。

 寧ろ、そうなることを望んでいた。

 否、望まずにはいられなかった。

(何で、私が……)

 一階から母の呼ぶ声が聞こえる。そうだ。この母の声だって夢であって欲しい。気が付いたら授業中で、目の前には古典の教師がいて、友人たちからは嘲笑されても構わないから。モルモットが自分を踏みつぶして高笑いしている、そんな世界であってもいいから。再度、僅かに苛立ちを含んだ母の声が聞こえてきた。

(夢で、……お願い、神様)

 それが、その思考、行動全てが現実逃避だと分かっていても。

(今までやった悪いこととか全部謝るから)

 北沢楓は願い、祈り続けた。

 例え、その祈りも願いも懺悔が意味のない行為だとしても。

 北沢楓は願い、祈る。

 母の声が、一際大きくなった。



     ◇◆



 楓はすっかり寝坊した。

 母親に叩き起こされ、時計を見たときには既に始業時間まで三〇分を切っていた。いくら楓の家から学校まで走って一五分程度だとしても、これはキツイ。十五分で身だしなみを整え、朝食を食べて学校に向かわなければならないのだ。楓は鈍足だ。運動会という運動会は全て四位とか五位というブービー賞的なポジションしか取ったことしかない。

 大慌てで制服に着替え、階段を下り、顔を洗い、必死になって髪を解かし、寝癖を隠すために見苦しくない程度に結い上げ、滑り込むようにテーブルに着き、朝食を流し込み、玄関を駆け抜けた。

 玄関を出ると、携帯を見る。時間は、始業時間までは残り一七分程度。なかなかハードな展開だったがとりあえず学校までは『それ相応のスピードで歩いて』一五分程度なのだ。余裕が出てきたが、通学路の途中に厄介な交差点と信号が待っている。急いでも損はない。長年の学校生活で培ってきた勘がそう告げている。いつもより歩くペースを上げた。

(一時間目は……、確か現国だったっけ)

 現国ならば、宿題はない。とりあえず、現国の教師にどうこう言われる可能性は限りなく低い。

 そんなことを思いながら楓は、





 ―――角を曲がったその瞬間。





 闇。

 少年。

 縁石。

 日本刀。

 大鎌。

 恐怖。

 絶望。





 ―――アカシックレコード。





(ッ!)

 フラッシュバックした。

 壊され、無惨に横倒しになっている街灯を目の当たりにして、頭を打ち抜かれた。

 そうだった。

 そうだったのだ。

 ―――夢では、なかった。

 思い出した。

(いや、だ)

 嫌味なほど眩しくて爽快な日光が楓を照らす。

 そして、感じ、思い出した。

『一日。月並みだけど一日待ってあげる。明日のこの時間、返事を聞かせてね』

 少年の言葉。

 そして、今日、この日、ほんの数十時間後に全てを決めなければならない。

 一日。

 アカシックレコードという永久不変のシナリオ。しかしアカシックレコードには北沢楓という存在は記載されていない。だから処分しなければならない。そして『紫衣』と呼ばれる大鎌を出す能力。最後に少年と同様の存在『追捕使』になること、つまり『駆られる』対象から『駆る』対象へにならないか、拒否すれば殺す、という爆弾のような誘い。

 脳裏を昨日の光景が余すことなく強引に駆け抜けていく。それを、あと数時間の内に『北沢楓』という『異常因子』の運命を決めなければならなかった。もし『異常因子』が『紫衣』を纏えるなら特例が認められる、と。確かに漆黒の少年は言った。

 しかしそれは『紫衣』を纏える『異常因子』が、あの少年のような『異常因子』を駆逐する『追捕使』になることを承認すれば命は助かる、と。脳裏で、反響し、全身へと染み渡る。生きる資格がある。それは天使の救いなのか、悪魔の囁きなのか。

 一日。猶予は一日ある。このまま処分されるか、それとも生き残るか。

 決断するには、一日という時間は余りに短すぎる。

 


     ◇◆



 教室に入ると、いつも通りの光景だった。

 結局、葛藤していた時間が思ったよりも登校スケジュールに大きく影響して、学校まで全力で走らざるを得なかった。結果的には始業時間には間に合ったものの、ダメだ。疲れた。授業を居眠りなしに受けられるほど楓に体力はない。もう少し身体を鍛えた方が良いかも知れない。もしくは小さい頃から運動部に所属しておけば良かったと、自身の人生を少し悔やみつつも窓側最後列の自分の席へと座る。

(はあ……)

 少し周囲を見渡すと、世間話が、笑い声が飛び交っている。教室は呑気な物だった。いや、これがいつも通りなのだ。たまたま今日楓が『呑気』でないだけ。

(これも、シナリオ通りなのかな)

 アカシックレコード。彼らが交わす言葉、足先から、風に揺れる髪の毛一本の動きに至まで、全て予定通りに進んでいるのだろうか。

(完璧な脚本、か)

 アカシックレコードは時に狂いが生じる。生じた狂いは、アカシックレコードに記されていない『モノ』の出現となって世界に影響を及ぼし始める。その『モノ』は『異常因子』と呼ばれ、『追捕使』によって情け容赦なく粛正されていくのだが、もし『異常因子』の中で『紫衣』を纏えれば話は別。特例として『追捕使』になることを条件に粛正を免れられる。

(……私には)

 恐怖と絶望の中で、突如として握っていた漆黒の大鎌。

(その資格がある……)

 あの漆黒の少年は、北沢楓にそう告げた。果たして、こんな自分に生きる資格などあるのか。

「―――やめた」

 自分にすら届くか届かないくらいの小さな声で、呟き、溜め息を付く。生き残りたかったら、少年の誘いに乗ればいい。死にたかったら、少年の誘いを断ればいい。たったそれだけ、その二択だけだ。

(私は、……)

 死にたくない。死ぬなんて真っ平だ。せっかく『特例』が認められるのならば、使わない手はない。自分に限らず、誰だってそう思うだろう。もしそう思わないのであれば、きっときちがいか聖人なんだろう。

「ウッ〜ス」

 ハッとして顔を上げると、神田裕太がゆったりと座っていた。思わず楓はムッとした。こちらは生きるか死ぬかの決断を迫られているのに、何故この男はここまで気安く話しかけてくるのだろうか。それが身勝手な八つ当たりだと重々承知しているが、そう思わずにはいられなかった。

「眠そうじゃん? どーせエロゲーでもやってたんでしょ?」

 昨日の仕返しも込めて、楓は嫌みったらしく吐き捨てた。けれどそんな楓を尻目に神田は大あくびをして、

「この俺様がエロゲーなんてするわけねぇだろ? 本気を出せば、女なんて簡単に落ちるんだよ、姫」

 身も蓋もない、そう思って呆れた。楓はそのまま苛立ちに身を任せて、割と本気で神田の背中に一発見舞う。勿論、グーで。

「変態」

「ばーか」

 特に痛がる素振りも見せず、楓に背中を向けたまま神田は言う。

「―――ばか」

 予鈴が鳴った。

タクトが振るわれ、そして歌手は歌った。答えるように、はたまた抗うように。

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