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第四譚 壊れた時計に鋭い刃

 

 

「は?」

 風が吹き抜け、前を止めていない少年の夜より黒い外套が風に靡く。

 まるで時間が止まったかのような静寂が楓を包み、身体を硬直していく。

「オレ、『追捕使ついぶし』の大野繁信オオノシゲノブ

 風にユラユラと揺れる外套の中に少年は黒い革手袋をした左手をゆっくりと腰元へと持って行く。

「北沢、楓……さん、だよね?」

 その声色は子供のよう。だが本来そこにあるはずである特定の感情はなかった。

 少年は左手で漆黒の外套を払う。

 露わになった腰元の左、そこには漆黒の日本刀が差してあった。

「当然で本当にごめん」

 左手を軽く鯉口に添え、ゆっくりと少年は刀の柄を握った。

「けどさ、『世界』は貴女を知らない」

 この瞬間、全てが止まっていた。

 恐怖する余裕もない。

 声を出す力もない。

 事態を飲み込む術もない。

 時間も、世界も、人も、感情も、思考も。

 何もかもが止まっていた。

「オレとしては殺したくないんだけどさ」

 実にゆったりとした、思わず見惚れてしまうような優雅な動きで鞘から刀身を走らせ、銀色の刀身を曝す。

「キミに恨みはないけど死んで貰う、なんてね」

 抜き払われた刀身が、街灯の光を反射した。

 瞬間。

 楓は理解した。

 殺される。

 あれは人殺しの道具。

 脳裏に自分の肉が引き裂かれる映像が過ぎる。

 ―――びちゃびちゃと飛び散る血。

 ―――ねちゃねちゃした自分の肉。

 そして。

 息絶えてアスファルトに横たわる自分自身―――。

「さようなら。良い夢を」

 感情が大きく暴れた。

(あ、ぁあああ……)

 暴れた感情に恐怖が合い重なって、分かった。

 これ以上この少年を近づければ自身の生存に関わる、取り返しの付かない絶望的で壊滅的な『事態』に陥ってしまう、と。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 それは確かに子供のような声色。しかし同時に底冷えのするような特定の感情が載らない機械的で事務的な声色でもあった。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 漆黒のロングコートを揺らして少年は一歩、また一歩。楓に歩み寄る。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 揺れるロングコートを抑えることもなく、

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 切っ先をアスファルトに引き摺るように、

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 助けを呼べ。もしくは逃げろ。

 断続的な警鐘が鳴り響く。

 危険だと分かっていた。

 本能的な警告も作用している。

 だが。

 警告も命令も意志も何もかもが拒絶される。

 動かない自分自身。

 身体と心が分離しているような、妙な感覚が楓をドロドロと犯していく。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 凍てつく視線を楓に向けて、

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 黒い少年は迷うことなく確実に一歩を刻んでいく。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 世界は、この瞬間確かに止まっていた。

 動いているのは、この日本刀の少年と、楓の生存本能。

 全てが止まっている。

 それ少年と楓以外、何もかも。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 怖い。

 少年が放つ貫禄に、恐怖に、向寒な表情に、縫いつけられたように身体は動いてくれない。

「あ、ぁ……」

 絶叫したかった。

 いっそ叫んでしまえば人が来る。人が来れば自分は助かるかも知れない。

 この黒尽くめの通り魔から救ってくれるかもしれない。

 いや、何もしないよりは遙かにマシ。

 けれども声は出ず。

 首を僅かに振って、拒絶の意志を、助命を請うことしか叶わない。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 死にたくない。

 嫌、嫌だ。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 身体は一向に言うことを聞かない。

 まるで脳と筋肉を繋ぐ神経が潰されてしまったように。

 分離してしまったような妙な感覚。

 絶対的、圧倒的な恐怖と絶望の中で全てが壊れた。

 手も足も、身体の動かし方も、呼吸の仕方も、声の出し方も。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 身体の力が抜けた。

 地面にへたり込む。

 けれど本来伝わってくるはずのアスファルト独特の凍えるような冷たさがない。

 それどころか自分が座っているという感覚すらない。

 そもそも本当に『へたり込んだ』のか、そこすらよく分からない。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 トン。

 ただ単純に純粋に、恐怖と嫌悪が蝕んでいく。

 トン。

 怖い。怖い。怖い、恐い。死ぬ、死にたくない。

 トン。

 嫌だ。ダメ、恐い。恐い。嫌、私を取らないで。

 トン。

 死ぬ。イヤ。死ぬ、死、死、死……。

 トン。

「貴女はこの『世界』に存在してはならない」

 

 

 

 

 トン。

 

 

 

 

 ―――瞬間、何とも言えない、変な何かが急激に飛び散った。

 

 

 

 

 

 

     ◇◆



「ああああああああああああああああああああああああああ―――ッ!」

 爆発、炸裂。粉々。

 吹き飛んだ。

 舞った。踊った、消えた。

 何が吹き飛んだか分からない?

 吹き飛ぶって何のこと?

 眼前が、壊れる。

 コワレル、こわれる?

 壊れる―――って何?

 燃えた、痛めた、鬱した?

 何が壊れたのか分からない。

 貴女、誰。

 この、何の歌?

 海?

 船?

 ―――走馬灯?

 殺し合い、刀に両手に鎌……。

 ぶつかり合う。

 カグヤヒメ、願え。

 波止場、……こんびなーと。

 鎌、刃。

 コウサ。

 アイシテル?

 ひとでな―――。

 オヒメサマ。

 手に感触、―――感触って?

 面白い、絶望に嘲笑が円を描いた……。

 それを、振るう。

 貴方、誰?

 ―――煙突?

 何、それって何?

 分からない。

 解らない。

 判ら

 

 

 

 

「あ、?」

 

 

 

 

 それは唐突だった。

 激情と混乱が一手に消え失せ、同時、楓は状況全てを理解するに至った。

 自分、アスファルトで舗装された地面に座り込んでいる。涙で頬が濡れて冷たい。

 眼前一メートルほど先。

 刀を握る漆黒の少年が愕然としていた。

 理由、理由なんて分からなかった。

「……?」

 手、にある、妙な、触感。

 正体、異物の正体、それは―――

「鎌?」

 西洋の童話で死に神が携えているような、楓の身長よりも大きい漆黒の大鎌だった。

 楓は手の中にある異物を呆然と見つめる。

 鎌、巨大な黒い鎌。

 教会や神殿のレリーフのような豪華絢爛な装飾が柄から刃まで流れるように施されているこの鎌は、今この瞬間初めて見、触ったというのに何十年も愛用した絵筆を握っているような、不気味なくらいシックリと自分の手に馴染んだ。

(な―――に、これ?)

 世界にたった一人、取り残されたように、時間が止っていた。

(でも)

 分かる。

(これは)

 そう。

(殺す……)

 人を、

(殺す)

 道具。

(なら)

 この少年は、

(刀、―――持ってる)

 つまり、

(私を)

 殺す気。

(つまり)

 私は、

「うあああああああああああああああああああああああああああ―――ッ」

 

 

 

 

 ―――自分のこの身を守れねばならない。

 

 

 

 

 がむしゃらに振り上げる。

 軽い。

「あああああああああ―――ッ!」

 振り下ろす。

 ズガンと、手に来る感触。

 アスファルトが砕け散った。

「ああああああああ―――ッ!」

 避けられた。

 薙ぐ。

 黒い影を追って、薙ぎ払う。

 ギシャッと、痺れるような感覚、街灯を斬り捨てた。

「ああああああああああ―――ッ!」

 追う。

 華麗な跳躍を見せる漆黒を追うが、掠りもしない。

 顔を上げる。

 影を探して、

 

 

 

 

 見失った。

 

 

 

 

 刹那、後頭部に衝撃が走り、視界がグニャリと歪んだ。



     ◇◆



 妙な、夢を見ていた気がする。

(……星だ)

 目を開いて、真っ先に抱いた感想は、そんな呑気な物だった。

(………………星?)

 ようやく楓は『自分が仰向けに倒れている』という状況を理解し、驚いて飛び起きた。

「ぃたっ」

 ズキンッと。

 立ち眩みのような気持ち悪さと共に、一瞬だけブラックアウトする。

「大丈夫?」

 その平淡な声に楓は凍り付く。

 止まっていたと感じた実際の時間に換算するとほんの一瞬、一呼吸置く暇もないほどの刹那だろうが、それは永遠のように感じられた。

「あ、」

 嘘だ、と思った。

 嘘だと信じたかった。

「―――いや、」

 そこには、黒尽くめの少年が縁石に座っていた。

 風に靡いて漆黒の外套が揺れ、そこから腰に差してある刀が楓の目に飛び込んでくる。

「来ないで」

 何で、自分は声を出しているのだろうか。

 声を出す意志なんてないのに。

「立てる?」

 明確な拒絶を露わにする楓に対し、少年は立ち上がった。

「ッ」

 殺される。

 素直に、何の疑いもなく、そう思った。

(いや)

 絶対的な恐怖に犯され、本能的に何か武器になるような物を手探りで探す。が、手には冷たいアスファルトの感触だけが返ってくる。小石一つ見つからない。

(あ、)

 思い出した。

 ―――大鎌。

 あの漆黒の鎌は、アレは立派な人殺しの道具。

 とにかく、アレさえあれば助かる。

 必死に楓はあの時確かに振り回していた大鎌を手探りで探し―――

「ぁ、」

 漏れた、声。

「ぁあ……」

 少年が、楓を見下ろすように立っている。

「いや……」

 鎌を探すことはもう楓の頭の中にはない。

 楓の思考は逃避一色に染まり、身体は反抗するように動いてくれない。

 逃げようとも、逃げられない。

「いや、こ、こない、で……」

 弱々しく、呟くことしかできない。

 元から、それしかできなかったのかもしれない、そんな無茶苦茶な意志に犯されながら、楓は必死になって爪の指をアスファルトに食い込ませ、少年から離れようと懸命に藻掻く。

 が。

 無情にも少年は左手を鯉口に添え、楓と目線を合わせるようにしゃがみ込むと。

 

 

 

 

「深呼吸だよ」

 

 

 

 

 少年は断言した。

「深呼吸してさ、とりあえず落ち着こうよ」

 脅えるだけで精一杯の楓に、断る余裕なんて一切無い。

 言うとおりにすれば、もしかしたら命だけは助けてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、楓は素直に少年の指示に従った。

「吸って」

「すー」

「吐いて」

「はー」

「吸って」

「すー」

「吐いて」

「はー」

「吸って」

「すー」

「吐いて」

「はー」

「―――どう? 少しは落ち着いた?」

 落ち着きを取り戻したのか未だ混乱しているのだろうか。

 自分の感情すら分からぬまま、気が付けば頷いている自分がいた。

羊の心臓が始まったとき、全てが始まる。栄枯盛衰、全てが始まり、やがて全てが終わる。だがそれすらも否定しようというのか。否定された後に何が残るというのか。

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