第三七譚 ラストダンス〈2〉
「アンタは、私を壊したの。アンタはね、たくさん、私を壊したの」
脇腹を抉られたが、楓はそれでも抑揚のない声で告げた。
「お母さん、お父さん。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、伯父さんも伯母さんも……。みんな大好きだった。全部全部、私に必要なピースだった。私を構成するピースだった」
楓の眼前には左腕をまるまる一本失っている少年。
「何度自分を責めたか分からない。だって自分のせいで死ななくて良かった家族が殺されたんだもん。あの時から、ずっと絶望だった。和美の本心も知っちゃったし、ろくなことがなかった。けど、てゆーか、私もさっきまでは自覚してなかったんだけどね、まだ余裕はあった。たった『一ピース』だけね。その唯一残った『一ピース』が私を支えていた。その『一ピース』が私の生きる原動力だった」
けれど。
「アンタは最後の最後で私の『一ピース』を壊した」
だから。
「私は」
壊れた。
「アンタが壊した」
大鎌を振り上げ、
「アンタは私から全てを奪ったッ!!」
怒鳴り、振り下ろす。
「私の大切なモノを何もかもッ!!」
強烈な一撃。甲高い金属音。少年は刀で大鎌を受け止める。
「何で、何でアンタは神田を殺したのッ!?」
激昂。
「何で、何で、何でアンタが、神田は殺されるべき存在じゃなかったッ!! そうでしょッ!?」
金槌で釘を打つように、何度も何度も大鎌を振り下ろす。
「答えなさいよ、答えろッ!!」
渾身の力を込めて振り下ろした。
が。
少年は楓の一撃を受けなかった。
大鎌が地面にめり込み、地面が揺れる。
「―――楓ちゃん」
軽いテンポで少年は下がり、
「オレは楓ちゃんを守ったんだよ」
信じられない返答だった。
「アン、タ……」
激昂が憎しみへと変わる。
そして不思議と憎しみは僅かに楓に冷静さを与えてくれた。
「この期に及んで、……!!」
「だってさ、楓ちゃんを愛せるのはオレだけなんだもん。あんな普通の人間が楓ちゃんの素晴らしさに気付くわけがない」
少年は刀を構えない。
「きっとさ、神田だっけ? アイツは楓ちゃんの事なんて想ってなんかいないよ。楓ちゃんのことを想ってるのは世界中でオレだけ。楓ちゃんのことを想って良いのは世界中でオレだけなんだ。楓ちゃんはオレのことだけを想ってくれればいいし、オレも楓ちゃんしか想わない。昔からそうだったじゃん?」
朗々と少年は紡ぐ。
「いっしょに行こうよ? 怖いのは分かってる。だけどさ、三〇〇年前そうしようとしてくれた。オレが気付かなかっただけでさ」
楓は何も言えなかった。
何を言っていいのか、分からない。
ただ、怒りが収まることはなかった。
仮に、少年の言葉が楓に向けられていたのなら話は別だったかも知れない。
しかし、少年は楓を見ていないのだ。
少年の目に映っているのは恐らく北沢楓だろう。
だが、少年の心は北沢楓にはない。楓を通り越し、もっと楓の先にいる誰かにある。北沢楓を媒体にした誰かに呼びかけているようにしか見えなかった。
怒りが、収まらない。
屈辱的だった。
大鎌を振り上げる。砂利が宙を舞う。
瞬間的に大型観光バスサイズほどに展開させた大鎌をがむしゃらに薙ぎ払った。少年が飛び退いたのが視線に映る。粉塵が周囲を覆う。瓦礫が更に砕け、潰れ、叩かれ、破壊され。その上停泊していた船舶の側面が切り裂かれ、火の手が上がる。楓は同時進行で大きく展開させた大鎌を身の丈ほどに元に戻す。身体を動かす度、斬られた二の腕、抉られた脇腹が痛む。痛い。
「楓ちゃん」
あちこちで火の手が上がっている。
「オレを、愛してないの?」
粉塵が降雨によって晴れ、正面に少年のシルエット。
「オレはこんなにも愛しているのに」
歯を食いしばり、少年に大鎌を振るう。
「なんで?」
少年はあろう事か右腕楓の一振りを止め、押し退けた。
「三〇〇年ぶりに会えたんだ」
素手で捌かれたことに楓は驚愕しつつも、距離を取って体制を整える。少年は楓のその行動を平然と、追撃する必要もないと語っているのかの如く見過ごした。
「あの時オレがやったことが許せないんだったら謝るよ。だけど、オレが刀を向けたときだって好きって言ってくれたじゃん、ねぇそうだったでしょ、あれは嘘だったの? ねぇ!!」
少年からは殺気も闘志もない。漂ってくるのはただ哀愁、疑問、不安のみ。
少年は隙だらけだった。先程は素手ではね除けられたが、今度はそんなヘマはしない。今、楓が持てる力を全て大鎌に注ぎ込めば、少年の首を刎ねることが可能かも知れない。少なくとも、致命傷は与えることが出来るはずだ。
だが、楓は動けなかった。
それは別に楓が少年に同情しているわけでもなく、構えていない相手に斬り掛かることを封じ手としていているわけでもない。ただ、単純に身体が動かないのだ。少年の気に押され、萎縮してしまったかのように。
「楓ちゃん」
一瞬だった。
「愛してる」
次に少年を捉えたとき、彼は楓の肩口に立っていた。
「う、」
楓は大鎌を―――
「楓ちゃん」
―――動かない。
慌てて見遣れば少年に大鎌の柄が掴まれていて、動かない。
「オレはね、ずっと孤独だったんだ。オレが『追捕使』になって三〇〇年。あの時は気付けなかったけどさ、オレはお師匠様のことが大好きだったんだよ」
少年の吐息が聞こえる。
「だけど、あの時オレはまだ未熟だった。お師匠様の愛に気付かないただのガキだった。だけど、今は違う。お師匠様をこの手で斬ってから二九七年と六ヶ月と二三日。オレはようやく見つけたんだ」
まるで自分に言い聞かせるかのような、独白めいた、告白だった。
「なのに、どうして? あんなにオレのことを懸命に愛してくれたのに、どうしてオレを殺そうとしているの?」
ふんわり、と。
抱きしめられた、そう理解したときはもう身体が動かなかった。
「オレはお師匠様の愛を知ったとき、すごく後悔した。結局さ、オレを理解してくれたのはお師匠様たった一人だったんだよ。親の顔も知らないで盗賊の下っ端として生きていくしかなかったオレを救ってくれたのは紛れもなくお師匠様だったんだ」
屈託なく、少年は笑った。
「もう、同じ間違いはしない。お師匠様を手に掛けたりはしない。三〇〇年探した。三〇〇年待ったよ。オレと一緒にこの世をずっとずっといっしょに生きていくんだ」
笑う。
笑っていた。
けれど。
けれど。
けれど。
少年は確かに笑っている。
が。
決定的だった。
少年は笑っているも、壊れていた。
脆くて儚くて、強がっているようにしか見えない悲しい嗤い方。
力を振るって戦い抜くことに疲れ果てたような、痛々しい横顔。
「さあ、行こう。まだ『押領使』はグダグダ言ってるけどさ、オレが責任持って許可させる。どうせ『押領使』はアカシックレコードが機能すればそれでいいんだ。『追捕使』のことなんて、使い捨てのモルモット程度にしか思ってないだろうし」
何て愚かなのだろう。
何て哀れなのだろう。
楓は少年の腕の中で、必死に嫌悪感を押さえながら思う。
この少年はきっとその『お師匠様』を愛しているのだろう。楓にはその『お師匠様』が誰だかさっぱり分からないが、何となく理解できた。
だが、殺したのだ。
推測するに、少年はその『お師匠様』を殺した。
楓は思わず唇を噛んだ。
「だからね、行こうよ」
少年は優しく嗤っていた。
その嗤い、壊れた笑み。
楓も、気が付けば嗤っていた。
「分かった。だから、一度私を放して」
歓喜。
ピタリ、とまるで映画を一時停止したかのように少年の表情が一瞬だけ止まり、やがて瞬間的に歓喜が彩っていた。少年は何も言わず、ただただ、少年は喜び勇んで楓を解放する。楓はそんな少年に向かって優しく微笑みながら、
大鎌を薙ぎ払った。
詰まるところはモルモットでしかないのかも知れない。