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第三五譚 イツカオワルユメ

 

 

 今晩は月が見えない。

 その代わり、ちらつく雪が幻想的だった。

 前回の豪華客船が繋留されていた港とは根本的に場所が違うから当然風景も異なる。楓の一キロぐらい先に広がっているのはおおよそ三キロ四方にわたる石油化学コンビナートで、夜と言うことで全体像を掴むのは難しいけれども巨大な潰れた円筒形の石油タンクがいくつも並んでいたり、長い煙突が突き出ていたりする。

 楓が今立っているのはそんなコンビナート近くのタンカーやコンテナ船が着岸するための波止場で、倉庫が点在しているだけで他には何もない少し開けたところだった。少し前方には薄高くコンテナを搭載しているが輸送船が繋留されていて、その脇に聳え立っているクレーン共々迫力満点だ。

(さて、)

 人の気配はない。

 波の音が聞こえるだけだ。至って静かと言えるし、静かならば気配を探ることも容易になる。

 携帯を出し、時計を見る。ぼんやりと楓の顔が照らされた。

 一一時五八分。

 もうすぐ聖なるクリスマスだ。

(ったく、人を呼び付けといて待たせる気?)

 そろそろ本格的に寒くなってきた。一応コートを羽織ってきているけれど、着ているのはワンピースだ。普段楓の私服はジーンズばっかりだったから余計に寒く感じるのかも知れない。着替えてくれば良かったかも、そう楓は惟っていたが、

 

 

 

 

「良く来た。北沢楓」

 

 

 

 

 ズッシリと、胸にのしかかるような重苦しい、声。

 この声には聞き覚えがあった。

 ―――家の、玄関先で。

(―――ッ!!)

 油断はしなかった。

 最後まで索敵を怠ることなんてなかったのに。

 なのに、どうして背後から声が聞こえるのか。

 どうやって自分の背後に回り込んだのか。

 疑問が、溢れて止まらない。

「……誰?」

 方々から湧いてくる疑問を押さえながら、楓は問いかける。

「余は『押領使』」

 威圧感が、半端じゃない。

 胸が苦しく、呼吸が乱される。

「オウリョウ、シ?」

「余は『押領使』。アカシックレコードの体現者にして『追捕使』を管理、監督する者」

 金縛りにあったように動けない。

 辛うじて動きに自由が利くのは首から上だけだ。

「機は熟した」

 かつん。

 第三者の足音が聞こえる。

 風が吹き抜ける。

 ―――血の臭いが、した。

「貴様はまだ奴から聞かされていないだろうが、ただ『紫衣』を纏えれば『追捕使』に成れるというわけではないのだ。二つ、条件を満たした者のみに『追捕使』として生きる権利が与えられる」

 かつん。

 その血の臭いを伴い、足音は確実にこちらに向かってくる。

「一つ。『アカシックレコード』に記されていない『異常因子』であり、尚かつ『紫衣』を纏える者」

 かつん。

 その足音は耳に覚えがある。

 かつん。

「あ〜あ。こんな夜更けに何かと思ったらぶち壊しだよ」

 漆黒に溶けるようにして、楓の右方から『追捕使しょうねん』の姿。

 そして。

 背後の『押領使』は告げた。

 

 

 

 

「二つ。現行の『追捕使』をその手で殺めた者であること」

 

 

 

 

 

 

     ◇◆

 

 

 雪は次第に重みを帯びていた。

「楓ちゃん。そのカッコ似合ってるよ」

 黒衣の少年は微笑む。

「アンタ……」

 嫌な予感に、

(なに、この、……)

 一ヶ月と数日。

 少年と過ごしてきた時間だ。

 しかし楓は一度たりとも『あんな少年の気配』を見たことはなかった。それは猛烈な違和感となって楓を襲う。不安が、増幅する。

「アンタ、ちょっと―――」

 そこまで声を発して、楓は気付く。

「どういう事か説明してよ、『押領使』。これじゃオレのプランが台無しじゃないか」

 少年の矛先は楓に向いてない。

 矛先は、楓の後方にある。

「余は頃合いだと判断した」

「だから、その必要はないんだって」

「余の存在意義は『追捕使』を管理、監督することこそ本分」

 状況が把握できないのは勿論のこと。だが楓は断片でも分かる部分だけを引き出し、頭の中で繋げ、いくつかの可能性を構築していく。

「北沢楓」

 唐突に背後からの声に話を振られ、楓は驚く。

「貴様はこやつを殺したがっていたな」

「え―――」

「一族皆殺しにしたこやつが憎いだろう?」

 ずっしりと、声が響く。

「今し方余が告げた話を覚えておるな?」

 プレッシャーに押し潰されそうだ。

「―――『追捕使』に、なる、……条件のこと?」

 必死に耐えて楓は言葉を紡ぎ出す。

「そうだ。機は熟した。余は貴様を『追捕使』を継承する資格を持つ者として認めよう」

 震えるように湧き出してくる興奮を押さえつけながら、楓は頭を今一度整理する。

『追捕使』となるためには二つの条件がいる。

 一つ。アカシックレコードに記されていない『異常因子』であり、尚かつ『紫衣』を纏える者。

 二つ。現行の『追捕使』をその手で殺めた者であること。

(殺す? あの『追捕使しょうねん』を?)

 ―――思考がフリーズしていく様子が手に取るように分かった。

(あの『追捕使ばけもの』を?)

 先日、少年が見せた圧倒的な力がフラッシュバックする。

(私が?)

 血塗られた刀。

(どうやって?)

 銃声、血飛沫。

(殺す?)

 響き渡る阿鼻叫喚。

(―――私が?)

 無理だ。

 そんなことは無理だ。

 殺せない。殺せるわけがない。返り討ちに遭うのが関の山だ。

 絶対的な『畏れ』が障壁となって立ちはだかっている。

 怖い。死ぬのが、怖い。

 あの刃がこの身に埋まるという事実が怖い。

 以前ならば、闇雲に少年に立ち向かうことが出来た。

 だが『なまじ力を付けたために』少年の『殺しの一手』が見えるようになってきてしまった。そして見せつけられた『あの光景』―――ッ!!

「楓ちゃんがオレを殺せるわけないって」

 突然、核心を少年によって射抜かれる。

 動揺しながら楓は少年を見遣れば、笑顔の少年がそこにいた。

 だが、あくまでその笑顔は楓には向けられていなかった。

「『押領使』だって見てたでしょ?」

 少年は楓を通り越し、声色に軽蔑と自信を込めて告げた。

「もう古くさい仕来りはお終いだよ。これからオレは楓ちゃんと二人で生きていく。『追捕使』として、悠久の世を流離うんだ」

 楓は愕然とする。

 少年の声が、あまりに自信に溢れたものだったから。

 少年の心が、あまりに北沢楓に向けられていなかったから。

「楓ちゃん。あのね、『追捕使』になるにはね、現行の『追捕使』を殺さなきゃいけないんだ。つまりね、楓ちゃんが『追捕使』になるためにはオレを殺して『追捕使』の座を奪い取らなきゃいけないってこと」

「―――だから?」

 悪寒でしかなかった。

「一緒に行こうよ、楓ちゃん。愛し合う同士」

 ぽつ。

 楓の頬に一筋の雨。

「愛し合う、同士?」

「そ。オレは楓ちゃんが好き。愛してるんだ。楓ちゃんもオレが好きだしね。断る理由なんてないだろ?」

「そんなこと、一言も言ってないけど」

「そうだね。だけど『オレには分かる』」

 途端に楓は吐き気のような嫌悪感に襲われた。

 少年の言葉に込められた人の心の負の部分。腐った蜜柑のようにじゅくじゅくと、どろどろな感情が楓の心に流れ込む。

 仮にもその感情を向けられた者として、楓は理解していた。

 少年が抱いているのはまさに狂信的な妄想であり、愛し愛されたいという真っ直ぐで純粋な気持ちでもあるということを。けれどそれが正反対のベクトルを持った、根本的から崩壊した論理でしかない。

(あ、そっか)

 気が付けば楓は理解していた。

 全ての元凶。

 今までの道筋、そして少年の行動つぶさに。

 最初から全てが狂っていたのだ。

 だって、綺麗すぎる。

 まるで予めセットされたシナリオに沿っているかの如く、身に降り懸かってきた華麗すぎる悲劇模様。

 悟った。

 元凶を。

 悟り、そして思う。

 狂っている。

 気持ち、悪い―――。

「さあ、行こう。永遠に、永久に。オレと一緒にさ」

 震える足に力を込める。

 ぐらりと視界が揺らぐも、関係ない。

 この少年は、生かしておけない。

 わたしを、壊したのだ。

「その前に、一つ良い?」

 一つ、どうしても確かめたかった。

 いつしか金縛りは解けていた。

 楓は、頑と告げる。

「人、殺したでしょ?」

 血の臭いが、鼻を突く。

「うん。さっき、三〇分くらい前かな。どうして分かったの?」

 あっさりと。

 訊ねた楓が愕然とするほどあっさりと少年は言い放った。

「血の臭いがする」

 楓が指摘すれば、途端に少年は表情を歪めて、

「ゴメンゴメン。あの野郎がさ、せっかくオレが苦痛もなしに斬ってあげようって好意を台無しにしちゃったんだよね。ったくさ、素人のクセに下手に太刀筋を避けるから、死ぬ間際凄い苦痛だったと思うよ。おかげでちょっと裾に汚い血が付いちゃったし」

 侮蔑的な言辞だった。

 少年は続ける。

 雪は、既に雨へと変わっていた。

「でもまあ、値打ちがありそうな指輪持ってたからさ、許してあげないこともないけどね」

 次の瞬間。

 思考が停止する。

 今自分が立っているのか座っているのか、分からなくなってしまった。

「これ純銀みたいだね」

 それは―――

「にしてもアイツ女装の趣味でもあったのかな、これ女物なんだよね」

 血に濡れた、それは―――

「まあ別にどうでもいいけどさ」

 ここからの事は良く覚えていない。

 焼き切れてしまいそうな凄まじい熱が脳内で弾け、少年の対する憎しみが溢れ出し、激しく、味わったことのないような絶望が楓全身を隈無く支配して。

 ぱらつき始めた雨の中、気が付けば大鎌を少年目掛けて振り下ろしていた。 

入り口も出口も皆同じ。誰しも『彼』のオモチャに過ぎず、誰しもその事すら長い時を過ごす中で忘れてしまうのだ。

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