第三三譚 DARLING, if that ever happens...
DARLING, if that ever happens...(≒ねえ、もし、そうなった時は……)
デートと言えば、やっぱり遊園地らしい。
クリスマスイヴだったから人混みは半端じゃない。でも神田について回るようにして何時間も待ってジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったり、コーヒーカップに乗ったりと。些か定番過ぎるような気もしないわけでもなかったけれど、それなりに楽しかった。相手が腐れ縁の神田だったからか、変に気を遣うことなく―――と言うか、お互いにお互いのことを充分過ぎるほど知っているわけで今さら気を遣うことなんてなかった。我が儘も言い放題だ。
午後七時ごろからパレードが始まるらしい。
せっかくだから見ていこうと提案したのは楓だった。
場所取りしてない、そう神田は言うが、別に場所取りしてまでパレードを見たいわけではなかった。ただ、帰りたくなかった。この夢のような世界に出来るだけ長く浸かっていたかっただけだ。一種の現実逃避と言っても良い。神田は呆れたように溜め息を付くと、楓の提案に意外にも神田はすんなりと了解してくれた。嬉しかった。そんな些細な事が本当に嬉しかった。
◇◆
アトラクション巡りも一段落すると小腹が空いたので、園内のバカ高いファーストフード店で軽食を取ることにした。
「なあ、何でパレードなんて見たいんだ?」
楓の目の前に座っている神田はハンバーガーを食べる手を止めて言う。
「さあね」
「あ〜あ、そうですかそうですか」
気怠そうにそう言って、神田はハンバーガーを頬張る。
「それ何個目?」
「三個目」
「食べ過ぎじゃない?」
「育ち盛りなんだよ」
「太るよ?」
「それ男に言うセリフか?」
神田は口を尖らせて言う。
「ってかさ、姫こそ食えよ」
「これ以上食べたら太っちゃうよ」
神田は言われて一瞬目を丸くし、そのまま楓の全身を上から下まで見る。何だか品定めされているようで本気で恥ずかしい。
「いいじゃん。別に太ったって俺は気にしねぇし。今だって折れそうな身体してんじゃねぇかよ」
「そう、かな」
火照った顔を冷ます効果の程は知らないが、とりあえず楓はドリンクを飲むが、
「変に食事制限して減らなくていいとこまで減ったらどーすんだよ?」
神田に言い切られて、思わず手が止まってしまった。
「……ねぇ」
「ん?」
「それ、物凄いセクハラだと思うんだけど?」
ジトッと神田を睨む。
「そうか?」
「あのね、女の子は凄くデリケートなの。そんなデリカシーのないこと言ったら嫌われるよ?」
誰に、とは言わない。
「……そうかい」
「?」
「なんでもね」
不愉快とは違う。
怒りとも違う。
言うなれば、言い淀んだ感じか。
「ま、精々頑張ってくれよ」
「その誤魔化し方、酷くない?」
「酷くない酷くない〜」
何でもない、こんな会話が楽しかった。
邪気のないこの関係が心地よかった。
だから。
思わず零してしまった。
「昔は楽しかった」
気が赴くまま、楓は紡ぐ。
突如として溢れ出した感情を止められない。止める術を知らない。
「何も考えずに遊んで、怒られて、怪我して。楽しかった」
心の奥底に押し込められていた感情が決壊した。
「……確かにな」
ハンバーガーを飲み込み、神田はポテトを漁る。
「汚らしいエゴとか、そこには何もなくてさ、純粋にただやりたいことをやって、笑えてた」
「あ?」
神田の手が止まった。
「―――何処で間違ったんだろ」
泣きたく、なってきた。
「……姫?」
神田の声が哀愁を帯びる。
「いろんなこと、した。それが……、唯一の道だから。けど」
もう全てをぶちまけたかった。
自分はこの世界に存在してはならない存在だと言うこと。
家族が夜逃げしたのではなく、一人の少年によって殺されたこと。
自分は異様な能力を持つ化け物だということ。
自分という人格の基本は、冷徹で残酷で、本当の姿は人でなしだと言うこと。
人を、殺めた経験があること。
黒城和美が殺されたのは楓に原因があること。
何もかも口外したかった。
口外して、楽になりたかった。例え警察にお世話になることがあろうと、神田が十字架を背負うことになっても、それでも。利己的な考えだと解っていても、それでも。
「どうして、かな」
何か、おかしかった。
そう。何かが根本的に絶対的におかしい。
存在を否定され、両親が殺され、妙な力に目覚め、家族の復讐を誓い、自分の心の奥底に眠る『人でなし』に気付いて、関係ない人を殺した。殺さなくても良かった人を、殺してしまった。それが直接だろうと間接だろうと関係ない。そうやって、自分という存在はいるだけで人を不幸にしてしまうのだ。死を振りまく存在に為りつつある―――いや、もうそうなっているのかも知れない。
あの少年は、楓に何を求めているんだろう。
―――わからない。
何を思っているのだろう。
―――わからない。
第一、どうしてこんな役回りが自分に回ってきたのだろう。
―――わからない。
疑問は山のように浮かんだ。
「もう、―――いやだ……」
何か、おかしかった。
何か間違ってる、と思った。
何かがおかしい、と考えた。
何か狂ってる、と気付いた。
「こんな……」
こんなはずじゃなかった。
震える唇で楓は呟いた。
言葉は最後まで続かない。
昔々。
ある少女がいた。
少女は明るく、少しめんどくさがり屋だったけれども、両親のおかげで真っ直ぐに育った。
そんな少女には思いを寄せる少年がいた。
少年とは俗に言う幼馴染みという関係で、いつも一緒だった。
近くの森林に秘密基地を造ったり、神秘的な溜め池を見に行ったり、とても無邪気で充実した日々を送っていた。
そんな少年があるとき言った。
少女の髪が綺麗だ、と。
それから少女は髪の手入れを怠らなくなった。
「私は……」
私はもう耐えられない。
震える唇で楓は呟いた。
言葉は最後まで続かない。
家族の復讐のために全てを捧げ、全身全霊で『殺人技術』の習得に励み、そして人を殺した。
家族を、全てを奪い去った『追捕使』が憎い。
その気持ちは今でも変わらない。
その憎しみを晴らすため、はたまた癒すためなら何をやっても構わない、本気でそう思っていた。
だが。
もしも、だ。
もしも『復讐が叶わない』としたら、一体どうなるだろうか。
今まで『復讐が叶うなら』なんでもやって良いと思っていた。
しかし、もし『復讐が叶わない』のならば、一体今までの努力は何だったのだろうか。
全ての源に等しかった『復讐が叶う』という希望的観測を取っ払ってしまえば、そこには一体何が残るというのだろう。何のために人を殺めたのだろう。少年への憎しみが麻酔となって倫理観を麻痺させていたのだ。
だが、麻痺した感覚は少年の圧倒的な『暴力』によって醒めた。
楓の中で『勝てる』が『勝てない』に、『殺せる』が『殺せない』に変わったとき。
今まで麻痺していて存在すら認知できなかった様々な罪悪感が悲鳴となって押し寄せてきた。
喚き、叫ぶ。心を掻き毟る。恐れ、傷つき、哀しみ、怒り。感情という感情が心を引っ掻いていく。
「もう、……いやだ」
一体全体、今自分は何をしたいのだろう。
何に、何処に救いを求めているのだろうか。
この苦しみからの解放を願っているのだろうか。
―――違う。
単純に、ただ助けて欲しかった。
手を差し伸べて欲しかった。
一瞬でも良い。贅沢は言わない。
一瞬で良いから、誰でも良いから―――。
「……たす、けてよ」
けれども、手を差し伸べてくれる人はいない。
助けてくれる人なんて、誰一人としていないのだ。
存在自体を永久に否定されたこの苦しみと哀しみを理解してくれる人など現れるわけがない。
無意味なのだ。
あの苦しみは自分にしか解らない。
あの苦しみは自分以外に解るはずがない。
そもそも、楓自身が人でなしだ。
周囲はそんな自分の苦しみを理解しようとも思わない。因果応報、自業自得―――
「オイコラ」
慌てて視線を上げ、潤んだ視界に映ったのは怖い顔をした神田だった。
今がずっと今であって欲しい。そう願わずにはいられなかった。