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第三二譚 There's still a chance.

There's still a chance.(≒まだ間に合う)

 

 

 一体どこでどう道を踏み外せばこんな奇怪な展開になるのだろう。

 試着ブースの中で、楓は大まじめに考えるが、

「北沢っ! 何もたもたしてんの?」

 カーテン一枚挟んだ所に仁王立ちしている尾藤から発せられた無言のプレッシャーが普通に恐い。けれど怖いなんてなんて言えるわけもなく、楓は手渡された淡い青のワンピースを見る。

 デザインはシンプルだが、それはそれで可愛い。可愛いと思うのだが、

「センセー。やっぱり似合わないんじゃ……」

「着なさい」

 やるときは細かいところまで徹底的にやる。芸術家タイプだ。少なくとも、めんどくさがり屋で飽きっぽく、直ぐに妥協してしまう自分よりはよっぽど芸術家だ。流石は美術部顧問だけあると妙に納得してしまった。

(ぬぅ……)

 試着室でワンピース片手に、内心楓は呻りながら考える。

 尾藤曰く、デートは出征と同義らしい。

 元々当日に特にめかし込んで出掛けるなんて予定はなかった。ただあり合わせなものを適当に選んで待ち合わせ場所に行くはずだったのに、その胸を尾藤に口走ってしまったのが運の尽きだった。告げた瞬間に表情が一転した尾藤の顔は多分一生忘れることがないだろう。急かすように楓を半ば強引に学校から連れ出し、そしてこのブティックに引っ張ってきたのだ。曰く、男はデート時の女の服には敏感らしい。

 諦め半分に、制服を脱いでワンピースを着てみると、鏡の前には見慣れない自分がいた。

(やっぱり、何か……)

 普段、ジーンズで済ませて滅多にワンピースとかスカートとか女の子らしい(と思う)格好をしない楓だったから、何だか場違いな感じだった。妙に似合わないような気がして堪らない。

「どー、着た?」

 もう諦めた。

 カーテンを開ける。

 多分、表情は硬くて引きつっていると思う。

「…………、」

 何も言わず、腕を組んで尾藤は楓を上から下までゆっくりと見渡す。

「えっとですね……」

「…………、」

「一応、着てみたんですけどね」

「…………、」

「やっぱりさ―――」

「…………、」

「―――人には向き不向きがあってさ」

 段々声が小さくなっていき、

 

 

 

 

「……いいじゃない」

 

 

 

 

 楓が尾藤の発した言葉の真意を問うまもなく、尾藤の手が伸び、楓を引っ張った。

「いいじゃん〜。普段からこんな感じの格好してればいいのに」

「へ?」

「後はそのワンピに合うコートとブーツね。いや、ヒール……」

「え?」

「コートはやっぱり、白かな」

「あの〜」

「―――北沢。アンタ何か良いバック持ってる?」

 事態把握すら満足に出来ない楓だったが、そんな楓に構ってられないのか気付いていないのか、物凄く楽しそうに尾藤はぶつぶつ独り言を呟いていた。

 

 

     ◇◆

 

 

 溜め息ものだ。

 楓の手には大きな紙袋が握られている。先程のブティックの名前が流れるような筆記体でプリントされ、それは何だかズッシリと重い。

 中身は尾藤蘭に半ば強制的に見繕って貰った(費用はやっぱり楓持ち)『デート一式』である。余談ではあるが、この紙袋のサイズならばあの美術室に放置したままの絵はすっぽりと入るだろう。もしかしたらお釣りが来るかも知れない。何というか、一度の機会に二つも手に入ってしまった。皮肉のような気がしてならない。

 もう日は完全に落ちた。

 ブティックでの着せ替え人形体験はかなりハードだった。

 と言うか、血眼になって店内を探し回るのはどうかと思う。洋服や小物ならを尾藤が蹂躙していたとき、女の店員さんが何も言えずに呆然としていたのは絶対に楓の見間違えなんかじゃないだろう。まさにアレは嵐だった。ちょっとだけ罪悪感だ。

(はあ……)

 足取りが重い。

 家に帰ったら直ぐにでも寝ようと思う。寝て、少しでも体力を回復しないと深夜の『レッスン』に堪えられない。それに最近の『レッスン』は殆ど『殺し合い』に近いレベルだ。万全の体制を整えなければ、コチラの命まで危うくなる。家族の仇討ちも果たせず、神田との約束まで果たせないなんてシャレにもならない。笑えない。絶対に。

 でもまあ、尾藤には感謝している。

 強制イベントで酷く体力を消耗したけれど、それなりに楽しかった。それに人の情らしき情を味わったのも久しぶりだった。突如として天涯孤独となり、楓の世界が一人の『追捕使』によって滅茶滅茶に叩き壊された翌日からの日々は本当に殺伐としていた。だから受ける『情』は『人情』ではなく『非情』であったし、特に麻薬取引を叩き潰した一件から、邪気を孕んだ感情を向けたり向けられたりだ。

(せっかくだし。ありがたく使わせてもらいますか……)

 尾藤に感謝しつつ、足早に路地を曲がり通学路にも使用している交差点を横断して左に曲がれば自宅正面が見えてくる。そのまま真っ直ぐ敷地内に入り、鍵穴に鍵を突っ込み、

 

 

 

 

 次の瞬間。思考は停止した。

 

 

 

 

「北沢、楓だな」

 コツンと。

 背中に冷たい、感触。

 ぞわりと身体が震えた。

「……誰?」

「さあな」

 男の声だった。その声は酷く落ち着き払っている。

 そして不思議なことに、気配が感じられなかった。声の主がどこにいるのか分からない。声は後ろから聞こえてくるのに、それでもだった。まるで幽霊と会話ようだ。

「だから、誰?」

「いずれだ。まだ知るべきではない」

「意味、分かんないから……」

 恐怖心を出来るだけ悟られないように、精一杯の虚勢を張って楓は応じる。

「一二月二五日午前〇時。横浜港で待っている」

 楓は反論しようとした。

 が。

 反論しようとも、既に背中に突き付けられていた冷たい感触はなかった。

 

 

     ◇◆

 

 

「家、荒らさないでよね」

 楓は玄関で慣れないブーツに手間取りながらも、突っぱねるようにリビングに向けて声を放った。

「荒らさないよ。楓ちゃんはそんなにおめかししてどこいくの?」

 少し考え、

「デートよ、デート」

「へ〜。相手はオレ?」

「何バカなこと言ってんの。アンタとは今度付き合ってあげるから」

「うん。楽しみにしてるね〜」

 冗談も程々に、玄関を出る。

 空は快晴。

 準備は万端。

 多少気になることもあるけれど、気分は悪くなかった。

 

 

     ◇◆

 

 

「ふう……」

 待ち合わせは街の中心にある中央駅の上り線ホーム。

 楓は改札口を抜け、駅の階段を昇りながら、嘆息とも吐息ともつかない息を漏らす。

(何か……)

 家を出たときはあんなに朗らかだったのに、今は何だか自分の感情がよく分からなくなっていた。気持ちが高ぶって暴走してしまいそうな期待感に、予測不可能な出来事が起こりそうな気がする不安感と緊張感。

 そんな要領の得ない、何とも言い難い感情を抱きながら、階段を昇り切った。

 ホームとホームを繋ぐ連絡橋を楓は歩く。

 楓と同年代と思われる少女の一団が、携帯で会話しながら歩くサラリーマンが、父親と幼子が、近所の中学校のロゴが入った野球のユニフォームを来た二人組の少年が、パンク系の服装に身を包んだ一団が、カップル風の男女が、連絡橋のあちこちでみんな楽しそうに笑っている。流石は冬期休業中だ。圧倒的に平均年齢は低い。

 連絡橋を渡り切って、楓は上り線ホームに降り立った。

 ホームを見渡すけれど、神田らしい人影はない。

 仕方がないから、楓はホームのベンチに腰掛けた。

(…………、)

 心配になってきた。

 もしかしたら、待ち合わせ時間を間違ったかも知れない。

 いや、そもそも待ち合わせ場所を間違ったのかも知れない。

 それともまた、神田との『約束』自体がフェイクで『ドッキリでした〜』というオチかも知れない。

(…………、ぅ)

 いてもたってもいられなかった。

 携帯で連絡を取ろうかと、

「お、早ぇじゃん」

 声がした方向に顔を向ければ、向こうから早足で近付いている一人の少年と目が合った。

 すると、何故だか勝手に笑みが漏れてきた。

 楓は何とか普通の表情に戻そうと努力するけれど、努力すればするほどニヤついた顔が元に戻らない。仕方がないから、少し俯き加減に、表情を隠すことにする。

「遅い」

 どう受け取っても怒ってます、と取れるにするべく意識的にそんな口調で楓は言う。

(何か、ずるい)

 自分だけあたふたしているのが妙にしゃくに障った。

 だから、ちょっとした意地悪だ。神田を困らせてみたかった、という意図もある。

 が、

「悪かったよ」

 そう神田はふて腐れたように言い掛けながら、楓の頭にポンと手を乗せた。

(―――ッ!)

 まるで赤ちゃんをあやすような、はたまた髪の触感を楽しむように。

 楓は動けなかった。

 緊張とも違う、恐怖とも違う。何とも言い難い、不思議な安心感とでも言えば良いのかも知れない。そんな感情が駆け巡り、あたふたしていたことや、困らせてやろうと思ったことが、綺麗サッパリ吹き飛んだ。先程までの強気発言はどこに行ったのだろうと、自分でも不思議に思う。

「ってかさ、五分ぐらい見逃せ」

 そう言いながら、神田は楓の手を離し、楓の隣に座る。

「ん」

 何だか、酷く惨めかもしれない。

 これでは赤ちゃん扱いだ。

 けれど、それで済んでしまう自分も相当だ。もしかしたら人の優しさに弱いのだろうか。それとも単に飢えているだけなのだろうか。

「姫?」

「ん、あ、―――何でもない」

 弁解するも、神田は不思議そうに楓を覗き込む。

「……ぅ」

 視界一面を覆う神田の顔。

 ビックリした。

 普通に心臓に悪い。

 心臓の鼓動が酷くうるさくて、

「どーした?」

「……何でもない」

 まもなく列車到着を告げる機械的なアナウンスがホームに響いた。

どうか私を殺して下さい。

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