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第三〇譚 ろくでもなく素晴らしいこの世界

 

 

 当然だが、表があれば裏もある。

 そして光が強く輝けば、闇もその分深みを増す。

 そこは、寂れつつもネオン煌びやかな夜の駅前の繁華街だった。

 行き交うのは会社帰りのサラリーマン風中年男たち。髪型をバッチリ決めている少年に少女、ホストと思われるアイドル顔負けの男や、一目で水商売だと分かる格好の女たちも忘れてはいけない。皆々揃ってアルコールが入っているらしく、馬鹿みたいに大きな笑い声がそこら中で沸き上がっている。少年たちも同様で、アルコールの有無は判別しがたいけれども大声を張り上げて徒党を組み、ゲームセンターやらカラオケボックスやらにフェードアウトしていく。

「ひ、」

 そんな『向こう』から伸びている一本の路地。

 雑居ビルとビルとの谷間に出来た細く薄汚れた路地に、女の嗚咽混じりの悲鳴が響いた。けれどその声は『向こう』の喧騒に掻き消され、誰一人として気付いた者はいない。『向こう』を歩く連中に女のSOSが届くことは残念ながらなかった。いつだってそうだ。弱者の声は他人に届くことはない。歴史が声高々に証明している通りだ。

「ひぎ、あぁ……」

 両足を真っ赤に染めて、その女の逃げ様はあまりにも無様だ。芋虫のようである。

 彼女が動いた道筋は一目で分かる。女が蠢く度に、まるで絵の具が足りない絵筆で幼稚園児が描くような川でも描いているようなタッチで薄汚れた硬質な地面を染めていくから。

「待ってよ」

 追う、銀の刃。

 持ち主は必死に地を這う女と対照的に淡々とした表情だった。逆にそのあまりに淡泊なリアクションは恐怖すら抱いてしまう。

「あ、い、痛いッ、熱い! いやぁ!」

 続く悲鳴。

 両足ばかりではなく、右腕を斬ったのだ。恐らく、利き手を。

「『世界』は貴方の存在を知らないんだ」

 小刻みに悲鳴を上げる女。その女の悲鳴を何とも思っていないのか、淡々と告げた。

「だから、オレは始末する。簡単に言うとね、そう言うこと」

 のたうち回る女に対して、笑みの一つも浮かべずに。

「痛い、痛い、痛い、痛い……」

「うん、分かるよ。死にたくないってことは分かってる」

 次第に小さくなっていく女の悲鳴。まるで神が救われない哀れな子羊に理解を示したような荘厳な口ぶり。反吐が出る。他でもない、その銀の持ち主に。

「でもね、残念なことに貴方は『世界』に記されてないし、どうやら生き残るために必要な切符を持っていないんだ」

 激痛で意識が朦朧としてきたのか、女は虚ろな目でこちらを睨んでくるけれど、そんな虚ろな目で睨まれても幼児一人ビビらすことは出来ない。寧ろ、尻込みするどころか近くに行って『大丈夫ですか?』とか『救急車今来ますからね』とか言ってやりたくなる。

「ぃ、……や」

 絶望なのだろう。

 以前自分も味わったことのある『この手の絶望』は、殺されるかもしれないという本能に反する絶対的な恐怖は、そう簡単に拭い去れるような甘いものではない。何度も何度も、しつこく、大挙して襲い掛かってくる恐怖は発狂するか、逆に自暴自棄になるか、そのどちらかでしかない。

「―――こ、なぃ、でぇ」

 弱々しく、刀の持ち主を睨み付ける視線。

 彼は刀を女の首元に当て、

「どうやら、貴女は切符持ってないみたいだね。すぐに楽にしてあげるよ」

 少年は、嘆息。

「今まで無駄にいたぶってゴメンナサイ。―――さようなら。良い夢を」

 最後まで一貫して平淡な口調に平淡な表情。

 刹那、彼は女の首を刎ねた。

 

 

     ◇◆

 

 

「以上。これが『追捕使』のお仕事だよ」

 流れるような鮮麗された動作で少年は血糊を払うのも早々に、腰元の鞘に銀の刃を収めた。

「でね、ここで注意点が一つ。殺すときはね、出来るだけ酷たらしい殺し方をすること。一昔前の拷問みたいな感じでね。……理由は分かる?」

「分かりたくもない」

 忌々しそうに、楓は言う。

「理由はね、楓ちゃんが一番よく分かってると思うけどな?」

「―――、」

「楓ちゃんがそうだったように、アカシックレコードに記されていない『異常因子』の中には『紫衣』を纏える逸材がいるんだ。その逸材は『追捕使』になる資格を持っているんだよね。丁度今の楓ちゃんみたいにさ」

 さっきまで恐怖すら覚えてしまうほど無表情で冷酷非道だったのに、何でこんなに感情豊かに語れるのだろう。楓は冗談を抜きにしてそう思う。

「楓ちゃんはさ、オレに教えられる前に自分が『異常因子』だって気付いてた?」

「気付たわけないでしょ」

 即答する。

 当たり前だ。そんなこと事前に把握していたら、まともに生きていけない。他の人がどうかなんて楓には分からないけれど、少なくとも楓だったら普通に振る舞うことは無理だ。

「オレみたいな『追捕使』に言われなければ『異常因子』は自分の存在が異常だなんて思ってないんだよ。当たり前だけど『紫衣』のことなんて知ってるわけもないんだ。……基本的にはね」

「―――基本的には?」

「うん。ま、その話は追い追いって事で」

 釈然としない楓だったが、

「とにかく教えて上げなきゃいけないんだよね。『あなたはこの世界に存在してはならない存在「異常因子」です。だから世界の安定と崩壊を防ぐために死んでください』って。さ、ここで問題です。『紫衣』を纏うために最も必要な物ってなんでしょうか?」

 無駄にクイズ形式だった。さっさと教えろよ、と心荒れる楓だったが、ここでこの少年のご機嫌を損ねると更にめんどくさいことが起きそうな気がしたから、とりあえず苛立ちは奥底に押さえつける。

「……感情、でしょ?」

「正解。『紫衣』を纏うに必要なのはその人個人が抱いている最も強烈な感情なんだよね。そんな感情はやっぱり死ぬ、って言うか殺される直前に沸き上がるんだよね。今まで押さえられていたとか、隠されていた感情が一気に溢れ出して、心を満たす。楓ちゃんも心当たりあるでしょ?」

 認めたくなかったけれど、実際少年が告げたことは楓にも当てはまる。

 楓の場合は『哀れみ』だ。

(それも、……自分へのね)

 自虐的に笑う。

「だから殺す瞬間に試験するんだよ。絶望と恐怖をその『異常因子』にぶつけて、その『異常因子』が『紫衣』を纏えるのか纏えないのか。もし纏えるようなら、死ぬって道以外に『追捕使』になる道を示すんだ。楓ちゃんがそうだったでしょ? あ、ちなみに拒んだら処分するんだ。やる気のない者に任せられるような役目じゃないしね。時期が来たらもう少し詳しく教えて上げるよ」

 足下の惨殺された女の亡き骸に目を呉れることもなく、

「こんな感じで『追捕使』は世界を守るってわけ。これが『追捕使』のお仕事なんだよ」

 少年は白い歯を見せた。

 

 

     ◇◆

 

 

 啜り泣く声が聞こえる。

 久しぶりに入った教室は、あまりに重苦しい空気が立ち込めていて息が詰まりそうだった。

 楓は誰に挨拶することもなく、悲しみに暮れる周囲に構うこともなく教室の中を進む。周囲も久しぶりに教室に姿を見せた楓に声を掛けるわけでもなく、誰一人として楓に注目しようとしない。そんな周囲の反応にも特段ショックを受けるわけでもなく、久しぶりだなと適当に思いながら、窓際最後列の席へと座った。

 楓が登校した理由は一つだ。

 先日『不運にも路上で強盗に襲われ、金品と共にその尊い命を奪われた一人の女子高生』の一件で全校集会が行われるらしく、登校拒否の不登校児となっている楓も例外なく召集されたというわけだ。何でも、校長が直々に事件経過や捜査状況を全校生徒や保護者各位に説明するらしい。当然の対応と言えば当然の対応だろう。

(悲劇の少女、か)

 だが、悲劇には程遠い。

 別に何でもないのだ。

(和美は知らなくて良い世界を知っちゃっただけ。この世の中には知らなくて良いことだってある、って話よ、結局)

 花束が置かれている隣の席を横目で流しながら、楓は思う。

(原因は、私だけど……)

 黒城和美は死んだ。

 死んだが、自業自得だ。

 死んで当然だと思っているし、後悔もしていない。

 一応、黒城和美と楓は友人関係にあった。お互いその関係性にどんな感情を抱いていたのか、今となってはもはや懸案事項ではない。

 自分でもとんでもなく利己的だと思う。

 でも殺意は確かに湧いた。呆気なく、拍子抜けしてしまうほど簡単に。

 啜り泣く声がいい加減鬱陶しくなって、楓は溜め息を付いた。

(警察の手はこっちまで届かないだろうな)

 あくまで自己保身を前提に打算を働かせていく。

(来たら来たでアイツが手を打つだろうし)

 そんなこんな、ダラダラと考えていると、

「―――姫?」

 振り向いた先にいたのは、

「神田……」

 だった。

罪悪感はない。だって死んで当然だったのだから。

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