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第二七譚 嗤う狼

 

 

「楓」

 ふっと、楓の後ろで黒城和美は笑っていた。

「……和美」

 正直な感想を言わせて貰えば、今現在最も会いたくなかった人間の一人だ。

 楓はどう和美に接したらいいのか分からない。

 あの会話を聞いてしまったのだ。

 例えそれがデタラメかも知れない。あの会話の信憑性を証明できる確かな根拠なんてどこにもない。そう判断するのが妥当と言える。

 が。

 信じてしまったのもまた事実だ。

「今日学校来てたの? 来てたんなら教室来れば良かったのに」

 和美は楓の傍らに寄り笑った。和美は懐疑的になっている楓を知ってから知らずか、はたまた故意なのか恣意なのか、いまいち判別が付かない。

「……ゴメン、増川に呼び出されてたから」

「災難だったじゃん」

 会話が、途切れた。

 確実に空気が冷えていき、周囲から音が消える。

 外にいるクセに、車の音一つ聞こえてこない。

 まるで世界中で自分と和美二人だけが置いてけぼりになってしまったような感覚。

 こうなってしまった以上、楓はこの沈黙を破る勇気なんてなかった。

 この雰囲気を壊すということは、きっと想像よりもずっと勇気のいる行動なのだ。

「楓」

 そんな楓の思考を断ち切るように、和美は平然と口を開いた。

「楓はさ」

 その声は深刻その物で、和美の視線は真っ直ぐ楓を射抜いていた。

 そんな和美の行動に、僅かながらも楓は確かに動揺した。嫌な予感がする。不安で堪らない。けれどもなけなしのプライドが許さなかった。黙って、動揺しているのを見抜かれないように虚勢を張って、和美に負けじと真っ直ぐ見返す。

「楓はさ、神田のこと、好きなの?」

 頭が、一瞬にして真っ白になった。

「楓はデートの誘い、受けるの?」

 真っ白になっている頭なのに、矛盾して和美の問いかけは綺麗に吸い込まれていく。

「なんで、そのこと……」

 意図して紡いだ言葉ではなかった。

 気が付けば、口からそんな言葉が零れていた。

「神田から相談受けてたの、私だから」

 和美の毅然とした態度が、怖い。

 思わず、楓は一歩下がった。

「……そう、だん?」

「そ。今までずっとクラス一緒になってから今までずっとずっと。キューピットだったの、私」

 和美は僅かに痛みを受けたような顔をした。

「神田はね、幼馴染みの壁が厚いって言ってた。今までも充分なのに、それでもその先を求めれば取り返しの付かないことになるかも知れないから怖いって。だからいろいろ教えてあげたの。幼馴染みから恋人に楓と神田のポジションを変えられるような、良い方法をね」

 真っ白になった頭の中がさらに真っ白になる。

 衝撃的な和美の暴露に、もう自分が戸惑っているのかすら、分からない。

「でもさ、私は楓が神田のこと好きだって知ってた」

 どうして。

 楓がそう呟くと和美は微笑んでいた。

「あんた意外と単純なんだよ。ポーカーフェイス気取ってるクセに考えてること見ようと努力すればすぐ分かる。だから、楓が一人ぼっちになっちゃったって聞いたとき、チャンスだと思った。だって思ってた以上にへこんでたんだもん。無理ないと思うけどさ」

 表情は笑っていた。

 けれど、口調は女子高生の物とは思えない程、冷めた声だった。

 ゾッとした。それは和美の冷めた声だけではなくて、雰囲気全体に。

 もし毎晩のように行われている『レッスン』がなかったら、ただ恐怖に震えているだけだっただろう。確実に背筋を凍らせて何も考えられなくなっていただろう。和美を中心にして広がっている雰囲気はそんな物だ。

「楓を何処か安心出来るような所へ連れて行くことを提案したのも私。さすがは幼馴染みだけ会って楓の好みを理解してるよ、神田は。後ね、楓から目を離さない方が良いって言ったかな」

 大方、楓は理解し始めていた。

 神田が楓をあの古びた喫茶店に連れて行ったのは和美のアドバイスを受けていたから。

 神田がサボっている楓の様子をわざわざ屋上まで見に来ていたのは和美のアドバイスを受けていたから。

「で、満を持して楓をデートに誘えばって昨日言ったの」

「和美……」

「そしたらすぐにメールが返ってきた。誘えたって」

 嬉しかった。素直に。

 歓喜が満ちて心が震えた。不安で堪らなかったのに、全てが綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。楓はこみ上げる喜びを抑えきれない。

「それでね、楓。楓にお願いがあるの」

「お願い?」

 風が一瞬凪ぐ。まるで時が止まったかのように楓は感じた。

 和美を見れば、その表情は凛としていて、同性でも見惚れてしまいそうなほど凛々しかった。

「神田のことなんだけれどね」

「うん」

 楓は頷く。

 和美は楓が頷いてからワンテンポ置いて、

 

 

 

 

「神田のこと、諦めて欲しいの」

 

 

 

 

 急転直下。

 あまりの一言に言葉を失った。

 

 

     ◇◆

 

 

「神田のこと、諦めて欲しいの」

 分かっていたはずなのに、改めて楓は衝撃を受けた。

「私ね、相談受けてるうちにおかしくなっちゃったの」

 呆然とする楓に構わず、和美は告げた。

「いつの間にか、相談受けてることが楽しくなっちゃったの。どうしてって言われれば、よく分からないし困っちゃうけど。良く分からないうちに、神田がどんどんどんどん私の心に入ってきちゃった。今でもそうだよ? 神田のことを考えると、胸が苦しい。だけどね、苦しいのに、嬉しくなるの。分かるでしょ、楓。自分でもどうしてそうなっちゃったのか分かんないけど、これはきっと恋ってヤツ」

 楓はもう何も言えなかった。

 さも当たり前のように続ける和美。役者が一枚も二枚も上だと思い知らせる。

「か、……ずみ―――」

 まともに答えられなかった。

「最初はね、こんな事言うつもりなんてなかった。だけどね、イライラしてきた。だって自分が好きな人が『楓なんか』に恋してるんだもん」

 胸が締め付けられた。

 胸が、痛い。

 ―――イタイ。

「楓、神田のこと諦めて。私は楓の何百倍もの立派な人間なの。女としても、人間一個体としてもね。だから神田が願うこと全部叶えてあげられるの。そしたら神田は幸せになれし、私だって幸せになれる」

 自信たっぷりに、和美は続けた。

「だけど、楓なんかと神田が付き合っちゃえば神田は幸せになれないのは目に見えてる。だったら私に神田を譲って。神田のこと、さっさと諦めてよ。楓はさ、神田のこと好きなんでしょ? なら神田の幸せ考えて私に譲るべきだよ。楓は身を引いて」

 雑音が聞こえてくる。

 聞きたくもない罵詈雑言がノイズに変換されて意識に押し寄せる。

「そもそもさ、アンタみたいなどうでも良い存在は私みたいな立派な人が付いてなきゃダメなの。私みたいな立派な人が居て、初めて存在を認めて貰えるの。私の庇護がなきゃアンタなんて誰も見てくれない。楓、アンタはどうでもいい存在なの。だいたいさ、考えてよ。誰が納得すると思ってんの? 私が、この私の好きな人が、せっかく巡り会えた『恋できた人』を楓なんかに取られたなんて。誰も認めないよ、そんなこと。そんな不条理が起こっちゃ行けない。有り得ない。そんなことあっちゃいけないの」

 もう、一ヶ月近く前のことだ。

 自分は存在してはいけない存在だと知らされた。

 殺される道、生き残れる道。少年によって示されたたった二つの選択肢、生き残る道を選択したけれど、その代償はあまりにも多く、あまりにも絶大なもので。

 復讐を誓った。他でもない。家族を殺めたその少年に。

 やがて、やがて力を付けた。流石に仇でしかない少年のようにまでとは言わないけれど、格段であって確実に。今ではもうあの少年に不意討ちの一撃を喰らわすことさえ出来るようになった。

 そして、人を殺した。初めて、一人の人間から全てを奪い去った。他でもない。力で。状況からして、法的には正当防衛だと言い訳できるかも知れないけれども、殺した。殺めたことには変わりない。それは絶対的な事実だ。

「私は神田のことが好きで堪らない。大好きなの。愛してるの。神田だってね、私が神田のこと好きだって気付けばすぐに私を好きになってくれる。そうなったらさ、楓は傷付くでしょ? だからよ。私は楓のことを考えて忠告してあげてるの。だから楓、神田のことは諦めて。デートの日に会った瞬間に『私は神田裕太のことが嫌いです。さようなら』って言って。言って。絶対言って。今まで面倒見て貰っていた私のために、神田のために。せっかく守ってあげたんだからさ、せめて恩返しくらいはしてよね」

 爪が掌に食い込んでいく。

 頭が、炸裂した。

 ここが道路の真ん中で人目に付きやすいとか、人を殺してはいけませんとか、ここは冷静に話し合うべきだとか、そう言った綺麗事が纏めて全部木っ端微塵に吹き飛んだ。

 楓は一歩前に踏み出す。

 もう、どうでもいい。

 迷う気持ちさえ、とっくの昔に消え失せている。

 今までキリキリと握り締めていた利き手をやんわりと解き、振り下ろした。

 目の前で和美が固まっているが、気にしない。

 否、気にしてやる義理もない。もはや。

 握り締めた大鎌を、楓は大袈裟に振り上げた。

 目標は、首。

 嘗て振り上げていた『不殺論』なんて忘却の彼方に吹き飛ばされている。

 それを自覚して尚、

 

 

 

 

 殺す。

 

 

 

 

 もはや楓の頭にはそれだけしかなった。

後悔なんてなかった。ただ殺したかった。ただ許せなかった。本当に、それだけだ。

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