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第二六譚 抗う羊

 

 

「北沢。お前、これからどうするつもりなんだ?」

 何かと思えば、そんなことだった。

 一週間も経てば、例の倉庫事件はという話題は吹き飛んでいた。

 ちなみに吹き飛ばしたのは地方の講演会で厚生相の発した人権を侵害するような一言、つまり『不適切な発言』である。なお、発言に激怒した人権団体が揃って猛抗議、同時にここぞとばかりに野党が辞任しろとの大合唱ラヴ・コール。どうやら首相の助勢も虚しく、発言後に急落した内閣支持率の観点からも更迭は免れないようである。

「……これからって?」

 そんなニュースキャスターとコメンテイターの遣り取りを傍視していると、久方ぶりに家の電話が鳴った。

「今後のことだ。先生はまだ何も訊いてないんだよ。お前の進路とかな」

 連絡してきたのは楓の担任教師で、曰く、今後のことでいろいろ話したいことがあるから、授業を受けなくても構わないからとにかく顔を見せろ、とのことだった。

 正直言って、物凄く気が進まなかったが、担任はしつこかった。どうしても直接顔を合わせて話がしたかったらしい。仕方がないから楓は久しぶり(日時に換算すれば三週間程度である)に制服を身に纏って、登校し、職員室に顔を出したのである。ちなみに担任教師の『ご厚意』に甘えて授業に出る気は(寧ろクラスに顔を出す気は)毛頭ない。用が済めばさっさと帰るつもりである。

 何だかんだで美術室に放置してある描きかけの絵が気になる。回収しようかとも思う。あのまま放置していて、心ないクソヤロウに悪戯されたら堪ったものじゃない。

「お前の進路をまだ聞いてなかったからな。具体的にはどうするつもりなんだ?」

「進路、ですか?」

「あと四ヶ月で三年になる。受験なんだぞ?」

 受験と言われても。

 どうでもいいのだ。

 結局。

 だから、

「進路は考えてます、一応」

 適当に答えることにした。

(まあ、嘘じゃないし)

 事実であることには変わりない。理解されることは、まずないだろうが。

「そうか」

 意味深な声色に楓は思った。

(学校に来いって?)

「ところで、家で何してる?」

(……はずれ)

 自虐的に心中で呟く。

「いえ、とくには……」

「やっぱり調子悪いのか?」

「……まあ」

「学校嫌なのか?」

 少なくとも好きではない。絶対に。

「このままだとな、授業に追い付けなくなるってことはもう分かるな?」

 頷いた。

「明日、終業式があるから、来れたら来い」

 担任はこういったパターンには慣れてないのだろう。

 担任教師は動揺しきった声で、けれども単刀直入に言う。だが、担任教師のキャリアを考えてみれば妥当な反応かも知れないし、若い彼に落第点を与えるのは酷なのかも知れない。そう適当に楓は担任教師を評価しつつ、

「努力します」

 上っ面だけの返答を返した。

 無論、上っ面だけの返答であるからして、

(明日は一〇時まで寝てられるな)

 

 

     ◇◆

 

 

「良かった」

 思わず楓の口から安堵の声が漏れた。

 担任から美術室の鍵を借り受け、自分の絵を探してみれば三週間前と変わらぬ姿でそこに置かれていた。尤もうっすらと埃が被って汚れていたわけで、多少不快感があるが、人為的に絵が汚された形跡は見当たらなかった。悪戯で汚されると言うことよりも遙かにマシである。埃は丁寧に払えばいいのだ。

(……っと)

 さて、どうやって絵を運び出そうか、楓は考えてみる。

(抱えていく? ……汚れそうだし、人に見せられるような物じゃないし、何か包む物があれば……)

 そう考えたところで、楓は美術室を見渡してみた。

(―――ない)

 ざっと眺めてみただけでしかなかったけれど、この絵を包めそうな袋の類は見当たらなかった。

(んんん……)

 今持って帰らない、という選択肢もある。

 だが、出来れば悪戯の標的にならないうちに撤収させたい楓である。叶うことなら今すぐにでも持って帰りたい気分なのだが、大切な絵を保護するための袋もなければ(美術室のクセに)包装紙代わりになりそうな紙すら見当たらない。

(気付かない私がバカだった)

 自分の無計画さに呆れてしまう。

 自己嫌悪に陥りつつも、絵が傷付くことを承知で強引に持って帰るか、それとも後日万全の体制を整えて改めて回収に赴くか、二つの案を天秤に掛け、しばらくして楓は決断した。

(今日は辞めて、また後でにしよ)

 

 

     ◇◆

 

 

「良かった」

 思わず楓の目が点になった。

 美術室の鍵を閉めて、職員室に鍵を返しに行こうとした矢先だった。

「もう帰ったかと思ったけど、幼馴染みの勘は伊達じゃねぇな」

 ニッカリと笑う神田裕太が、廊下に寄っ掛かっていた。

「久しぶりじゃん。元気?」

「……まあ」

 美術室の鍵を手の中で弄びながら楓は平淡に言ってみせた。

 だが、頬が熱い。身体中がほてって仕方が無かった。薄暗い校舎が本当に有り難い。

「部活?」

「―――絵、悪戯されてないか見に来ただけ」

 冷静を、普段通りを装って楓は答えるも、心が慌ただしく揺れ動いていた。何だかくらくらして来た。風邪でも引いたかも知れない。そう、わざと無粋でデタラメで酷くありがちな感想を抱いてみる。ちょっとは気が紛れるかと思っての考えだったのだが、効果はないようで楓は本格的に困った。

「で?」

「?」

「イタズラされてた?」

「大丈夫みたい」

「で?」

「?」

 神田のイントネーションは明らかに疑問系だったが、何を疑問に思っているのか楓は理解できなかった。そのまま何をすべきか見当も付かずにただぼんやりとしていれば、

「今度の土曜、ヒマ?」

「へ?」

 思わず間抜けな声が出てしまった。

 会話の流れからして、少し違和感を覚える。誰が絵の話から休日の話にシフトさせることを予測できようか、いや出来ない。

 支離滅裂とまではいかないものの、やっぱり理不尽に楓は感じてしまう。少なくとも自分にはこの展開を読むことは無理だ。一応神田とは幼馴染みの間柄であって、かなり気心の知れた中(とだけ言っておく)だ。けれども『指示語のみで膨大な本の中から少年が欲しい本を一冊選び出せる主人公の少女』的なお約束な展開は無理がある。

「土曜日?」

 単純に考えて、今日が木曜日であるからして三日後だった。

 ちなみに、明日が終業式。つまり冬休みに入るのだ。

「土曜日?」

 もう一度楓は訊ねる。

「そ。土曜日」

 予定はない。

 少なくとも、現段階では。

「ないけど?」

「じゃあさ、どっか行こ?」

「誰と?」

「俺と」

「後は?」

 それは反射的な一言だった。

 何も考えず、突発的に出た一言。

「いいや。二人だけで」

 直後。

 爆弾が炸裂したような気がした。

 

 

     ◇◆

 

 

 夕焼けが眩しい。

 そんな中、楓は何とはなしに思う。

(病気かも知れない)

 だが病気じゃないということくらい、当の楓はしっかりと理解していた。矛盾していることくらいは分かっている。充分すぎるくらいに。

 楓は何故だかむっとしながらも、帰り道を急ぐ。

 未だに胸が潰れそうに緊張している。気を抜いてしまえばへなへなと倒れ込んでしまいそうな気さえしてきた。

 今度の土曜日。

 やられた。

 よく考えてみれば、今度の土曜日は一二月二四日、つまりクリスマスイヴだった。

 クリスマスイヴ。

 二人で出掛ける。

 自然と『デート』という単語を連想してしまう。

(むぅ……)

 経緯はどうあれ、そういった形で顔を会わせるんだと思っただけで、何だか妙に心配になってくる。何故だか分からないけれど、今度神田に会ったりしたら、死んでしまいそうだ。

(何か……)

 と、既視感。

 このような展開を、昔何処かで見たような気がしてきた。

(何だっけ)

 少しでも気を紛らわせようと楓は集中する。

 だが、元々『紛らわそうとしている物事』から派生したお話だから、紛らわすなんて無理なのだ。だが、例えそうだと分かっていたとしても、楓は必死になって(もしかしたらムキになってかもしれないがとにかく)紛らわせようと努力していた。

(昔買った文庫本……、こんな展開があったような)

 アレは確か『楓詩カエデウタ』という小説だったはずだ。

 何気に自分の名前と同じ漢字のタイトルに引かれて、行き付けの書店で衝動買いしてしまった恋愛小説。ストーリーは平安時代、父親が左大臣であるプレイボーイの有力貴族の三男坊が、偶然通りかかった七条に小さな屋敷を構えていた身分違いにも程がある国司の姫君・楓に恋をすると言う話だった。主人公が恋する姫君の名前が自分と一緒だったから、割と記憶に残っている一作の一つだ。

(何度も主人公が楓の屋敷に文を送り続けて、だけど楓はちゃらちゃらした主人公が嫌いなんだけど)

 熱心に口説き落とされ、知らず知らずのうちに芽生えていた恋心に楓が気付き、十五夜の日に会う約束をするが、

(だけれど主人公の父親が婚姻に猛反対)

 主人公は父親を説得しようと画策するけれど、父親は聞く気を持たず、主人公を屋敷に閉じこめるが、

(十五夜の日、主人公は楓との約束を果たすために昔からの従者の手を借りて屋敷から抜け出して)

 二人は何日かぶりの再会を果たし、幸福を噛み締めていたその時、

(主人公の脱出を察知した父親が兵を連れて楓の屋敷に押しかけるんだけど)

 二人の美しいまでの強い絆に心撃たれた父親は遂に二人の婚約を承認し、

(ハッピーエンドでめでたしめでたし)

 という話だった。

 内容としては、多少ご都合主義な感じは否めなかったが、それでも何だか魔力的な面白さがあった。確かベストセラーだったような気がする。

(はぁ。なんで思い出したんだろ)

 全く、現在の境遇と小説の内容は似ても似つかない。強いて共通点を上げるならばヒロインのお姫様の名前が自分と同じということ程度。なのにどうして唐突にこの話が頭に浮かんだのだろうか。楓自身、無意識にハッピーエンドの結末を期待しているとでも言うのだろうか。

 当たり前だと思っていた自身の存在を根本的に否定され、深く少年が口にした言葉を考察せず、その結果、両親ばかりか一族諸共を少年に殺され、異常な力を手に入れ、そして人を殺めた人間が、人でなしの自分にハッピーエンドが訪れるわけがあるだろうか。常識的に考えて、そんなシンデレラストーリーは核戦争で人類を初め、あらゆる生命が死滅した地球で、瓦礫の下で気絶していたおかげでたった一人生き残ることが出来ました、というくらいの奇跡でも起こらない限り、楓に対して有り得ないレベルだ。どちらかと言えば有り得てはいけない。道徳的に考えれば尚更だ。

(うう……。で、でもな……っ、ち、違う)

 楓は認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。

 認めてしまえば、全てが根本から揺らぎ、歪み、崩れてしまいそうな気がしていた。

 ここで『そんなこと』を考えているヒマなんて楓にはない。一日でも早く、少年を殺せる力を身に着け、家族の復讐を果たさなければならないのだ。楓以外にその仕事を担えるか、と言われればまずいない。

「違う……」

 あんまり馬鹿な想像をしてしまったものだから、心がますます荒れてきたような気がした。

(神田とは……)

 きゅと、楓の胸の辺りが疼いた。

 楓自身、実はこの感情を認めることはそう抵抗はない。

 それどころか、感情に抵抗する方が釈然としないのだ。出来ることならば、叶うことならば、もうずっと、会って、話して、笑っていたかった。何もかも忘却の彼方に吹き飛ばして、うんざりするほどに。それだけで良かった。 

 ―――だけど。

「楓?」

 ふと、自分の名を呼ばれた。

 自然と、楓は声がした自分の背後へと振り返ってみれば、

「―――和美」

 黒城和美が。

 そこに立っていた。

 何故だが、満面の笑みで。

人が人でいる限り、きっとエゴは消えることはないのだ。

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