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第一七譚 そこは暖かくて

 

 

 神田とはしばらく屋上で他愛のない話をしていたが、三校時終了のチャイムと同時に神田は授業に戻るらしく、屋上を降りていた。

 楓はこれからどうすべきか少し悩んだ。

 今から授業に出るのも煩わしいだろう。昼休みの喧騒に紛れて帰ることにした。誰も文句は言うまい。本当にサボりが板に付いてきたなと思う。せっせと授業を受けていたころの自分が馬鹿みたいに思えて仕方ない。

 それにしても、眠い。

 やはり連日深夜の『鬼ごっこ』が祟っているのだろう。何気に限界だったからもう一眠りすることにして、

 

 

 

 

 ―――次に気が付いたら既に昼休みだった。

 

 

 

 

 喧騒が聞こえる。

 一伸びして思う。

 帰るんだったら今だろう。

 階段を飛ぶように下りて、足早に昇降口へと足を進める。擦れ違う人たちの怪訝な顔は気にしない。どうでもいい。さっさと通り過ぎてしまえば良いだけのこと。

 と。

 楓は眼を細めた。

 見知った顔が、正面の雑踏に紛れて一つある事に気付いた。

 その顔は楓に気付くと楽しそうに駆け寄ってくる。

 ―――仕方なかった。

 無視するわけにも気付かないフリをするわけにもいかなかった。楓は出来るだけ笑顔を作って、

「和美」

「久しぶり」

「久しぶり? 久しぶりって昨日会ったじゃん?」

「それでも久しぶりは久しぶりでしょ?」

 まさか廊下でばったり黒城和美と出会うなんて想定外だった。

(帰りたかったのに……)

 和美にばれないように溜め息を付いて、

(あっ、そうだった。この廊下は学食への近道だったんだ……)

 しばらく学食を利用してなかったからすっかり見落としていた。和美が購買派ではなくて学食派だったのだ。ある意味致命的な失念かもしれない。

 まあ、忘れた自分が悪いのだ。

 本当に最近まで、それこそ『あの事件』が起こる直前まで一緒にこの廊下を通って昼は学食で取っていたのに。そんなことすら忘れてしまっていた自分に何だか嫌気が差してくる。理由は、よく分からないけれども。

「ね、今から学食?」

「ん、ああ、うん」

 咄嗟に嘘で取り繕って、さり気なく持っていた学生鞄を背中へと隠す。どうやら和美は楓が学生鞄を持っていたことに気付いていなかったらしい。

「じゃあ、久しぶりに今から二人で行かない?」

 和美にそう言われて断るわけにもいかず。

 楓は素直に頷くことにした。

 

 

     ◇◆

 

 

「むう、混んでるね」

「確かに」

 半ば圧倒されたように、学食の食券販売スペースで、食券を調達しながら楓と和美はやや呆然と学食を見渡す。

 昼休み真っ直中のこの時間、やっぱりと言うか楓たちの想像を超えて学食は賑やかで混み合っていた。窓側の一角でどっと笑いが起こったと思えば、中央のテーブルではふざけ合って馬鹿みたいに言い合っている姿が見られる。楓が現在ぶち当たっている事態に比べれば、何とまあ本当に平和な一時だなと思う。

(そう言えば『昔』はいつもさっさと来てさっさと帰ってたっけ)

 何だか遠い過去の出来事だったように感じる。

「いこ?」

「あ、うん」

 空席でも見つけたのだろうか、少し急ぎ足で和美は喧騒の中を進んでいく。彼女に従って進めば、最も調理場から離れている壁際のテーブルがまるで穴場のようにぽつんと二席空いていた。

「楓と昼食べるの久しぶり」

 和美の正面に座った楓に対して、まるで自分自身に言い聞かせるように呟く。

「うん。ゴメンね、いろいろあったからさ」

「ダイジョウブ、ダイジョウブ。無理しないで良いよ。それよりさ、勉強とか大丈夫なの?」

「うん。何とかね」

 流石は優等生と言うべきか。

 楓だったらとてもじゃないが勉強関連の話題を切り出すことは出来ないだろう。昨夜のバラエティー番組の話題を切り出すのが関の山だ。

「家は?」

「とりあえず一人暮らし」

「淋しくない?」

「ちょっと、幼稚園児じゃないんだから!」

「あははははは!」

「笑うな」

「ゴメンゴメン。で、食事とか、どうしてんの?」

「食事?」

「コンビニ?」

「食事はいつも適当にちゃちゃっと。昔ね、ちょっと料理教わったことあるから何とかなってる」

「なーんだ。コンビニ弁当じゃないんだ」

「そんなことしたらすぐ破産しちゃうって。コンビニ弁当よりも自炊した方がよっぽど安上がりなの。今は何とかお金出してくれてる人が居るから大丈夫だけど、いつそれが止まるかも分からないし。貯金はやっぱり大事」

「へ〜。何か、主婦みたい」

「もうそんな感じかも。一人暮らしもなかなか気楽でいいよ。―――朝起きるのが辛いだけで」

 茶化し合うようなテンションでお互い笑い合う。

 楽しかった。

 久しぶりに『楽しい』と思えた。本当に、心からそう思える。

 何もなかった昔に戻ったようにポンポンと会話が弾んでいって、いつの間にか雑談に夢中になっていった。両親が『蒸発』して以来、まともに笑った記憶もないし、辛いことや悲しいことをすっかり忘れて会話したのはこれが初めてだった。口が止まらない、というのが正直なところで次から次へと言葉が生まれていく。

「元気そうで良かったよ、ホント」

「元気じゃないとやってけないしね。割り切った方が良いし、下手に気遣いされる方が辛かったりするし」

「へ〜。そんなもん?」

「そんなもん」

「ま、良かった。その様子じゃ上手くいってるみたいだしね」

「?」

「神田」

「…………、」

「楓?」

「なんでそこに神田が出てくんの?」

 恨めしそうに楓が言えば、当の和美はとても楽しそうに、

「知ってる? 意外と人気あるんだよ?」

「だから?」

 そんなことは百も承知だ。

 神田はいつだってクラスの中心だった。そんな神田を放っておくほど周囲は鈍くない。

 中学の頃はとっかえひっかえ付き合っていた。まあ、結局みんな長続きしないですぐ別れたらしいのだが、元々軽く備わっているあのルックスが女を引き寄せていたのだ。天然の女たらしかも知れない。

 確かに、気に食わなかった。

 けれど、所詮それは『見た目』に群がっているだけで、真に神田を理解しているのは自分だという極めて身勝手な自負があったから何とか汚い気持ちを抑えることができた。

 恋敵は、多い。

 結局自分は幼馴染でしかない。

 ハードルは馬鹿みたいに高い。

 どうしてだろうと最近良く思う。

 何でこんなハードルが高くて面倒な人に惹かれてしまったんだろう。

 一応、今のところ神田に一番近いのは自分だ。中学までは女をとっかえひっかえだったが、どうしたことか高校に入学してからは彼女を作らなくなった。だからその座が戻ってきたのだ。かと言って幼馴染みの自分が恋愛対象になったわけではない。基本的に自分は恋愛対象外。所詮は『北沢楓』なのだ。誰が好き好んで影の薄い亡霊女を好きになるだろうか。

 本当に不毛だと楓は深く溜め息を吐いた。

「他の誰かに取られないように応援してるから頑張りなさいってエールなのですよ、楓ちゃん」

「どうでもいいくせに……」

「どーでも良くないって。私にとっても重大な問題なんだから」

「何で?」

「何でもよ」

「?」

 言い淀んだかと思えば、直ぐさま和美は二の句を継げた。

「まあ、タイミングってヤツがあるのよ」

 和美は遠い目をして、静かに告げる。もしかしてそれは和美の実体験かもしれない。

「タイミング?」

「そ。言うタイミング」

「言うタイミングか……」

「じっくり行けばいいじゃん」

 ふと、外を見れば快晴。

 和美の声が心地よく耳を打つ。

 久しぶりの邪気のない会話を楓は存分に味わっていた。

 

 

     ◇◆

 

 

 和美との談笑に触発されたのか、出ないはずの数学の授業に出てしまった。

 神田はサボるだろうと高を括っていたらしい。和美と共に教室に姿を見せた楓に驚いていたけれど、してやったりで悪い気はしなかった。ざまあみろ、という感じである。

 ちなみに、授業内容はさっぱり意味不明だった。

 授業に出ていないから当たり前と言えば当たり前なのだが、少しへこんだ。当てられたらどうしようかと戦々恐々だったけれど、数学教師は楓の事情を少なからず把握していたのか、楓を指名して黒板に問題を解かせる、なんてことはなかった。それはただ授業に出て座っているだけでいい、そんな教師の無言のメッセージのように受け取れなくもなかったけれど、まあ楓にはどうでも良かった。



     ◇◆



 放課後。

「じゃあ部活くからね」

「うん。じゃあ」

 簡単な挨拶をすれば、和美は慌ただしく教室を出て行った。

 三年生が引退した今、これからは彼女たちが部活を引っ張っていったり、後輩の指導に当たったりと何かと忙しそうだ。

(部活、か)

 部活。

 そのワードに結びついてくるのは描きかけの絵。後少しで完成だというのに、ほっとかれているのは忍びなく思えてきた楓は、久しぶりに美術室へと行こうと思った。

光があるから闇は生まれる。希望があるから絶望が生まれる。表があるから裏が生まれる。真実があるから偽りが生まれる。全ては表裏一体、コインの表裏。そしてそれらを分かつ境界は、非情なまでも淡く、脆いのだ。

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