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第一六譚 効かない薬ばかり

 

 

 授業態度はどうであれ、久しぶりに一時間もサボらずに授業を受けたからか、酷く疲れた。

「おかえり。今日は遅かったね」

 リビングに入れば、少年はソファーに埋まるように腰掛けていた。楓は鞄をテーブルの上に置く。

「そろそろ七時だけどさ、夕食はまだ?」

 少年の声がする。

「―――何?」

 疲れたから後にして欲しかった。

「夕食まだ?」

 心の底から殺してやろうかと思った。

「うっさいからちょっと黙ってて」

「ね、お腹すいた」

「……餓死すれば?」

 餓死してくれれば楓が直接手を下すまでもない。

 ある意味、最も効果的な殺し方かも知れない。餓死させると言うことは。

 しかし、楓は驚いていた。

 今、心身共に疲労している状態なのに、不思議と一族の仇である少年を殺す妙案を思い付いたのだ。どんなに疲れていても人殺しの方法だけは思い付く。どんなに疲れていても復讐のことなら思考はキレを取り戻す。これほどまでに北沢楓という人間は腐ってしまったのか。楓はそう思うと冷笑せずにはいられなかった。

 

 

     ◇◆



 深夜。

 今日は月がやけに綺麗だ、自宅の屋根に立っている楓は呑気に空を見上げる。

「良い夜だね。やっぱり夜には月がないと」

「―――今日は何するの?」

「鬼ごっこ」

「は?」

 思わず、目が点になった。

「……鬼ごっこ?」

 口から出た声はビックリするほど気の抜けたもの。

「そ。鬼ごっこ」

「あの、鬼ごっこ?」

「あの鬼ごっこ」

 鬼ごっこ。

 真意が掴めない。

「鬼ごっこって、鬼に捕まらないように逃げるアレ?」

「そ。ルールは簡単だよ」

 少年は人差し指を顔の横で立てて、

「時間無制限。朝でも昼でも関係なし。楓ちゃんの勝利条件はオレにタッチすること。楓ちゃんがオレにタッチできるまで続くから覚悟してね。場所はこの街全域で、とりあえず『紫衣』は禁止で、楓ちゃんの成長次第で『紫衣』を使っても良いことにするから。ね、本当に鬼ごっこでしょ?」

 少年は楽しそうに、

「オレは頑張って楓ちゃんから逃げ続ける。あ、別に隠れたりはしないよ。今まで通り、楓ちゃんの家にいて楓ちゃんが作ってくれたご飯食べるからさ。どんな手段使っても良いからオレに触れれば楓ちゃんの勝ち」

「―――どんな手段使ってもいいの?」

「いーよ」

「寝込み襲っても?」

「うん」

「痺れ毒盛っても?」

「毒を手に入れられればね〜」

 少年は朗らかに笑っていた。

「じゃあそういうことで、世界で最も自由な鬼ごっこの始まり始まり〜」



     ◇◆



 月光がネオンを見下ろす。

 この街ではまだ商業区のみであるが、高層ビルの屋上を鋭いスピードで風もなく移動する影が一つ。

(ッ!)

 フラフラと、見ていて危なっかしく着地したのは高層ビルの屋上、給水タンクの上だった。

(速い……)

 鬼ごっこ(レッスン)が開始されて早一時間。

 ルールは単純明快。互いに『紫衣』の使用は一切禁止。逃げる『追捕使』の少年を全力で楓が追い掛け、彼の身体に触れたら楓の勝ち。そして鬼ごっこは楓が少年を捕まえるまで続く。楓と少年のスピードと戦略のぶつかり合いの勝負と言う構図だ。

 露骨に呼吸を乱しながら、楓は給水タンクの上でもう一つの影を補足しようと目を凝らす。

 が。

(ムカツク)

 凝らすまでもなかった。さっきから挑発するように楓の周囲を動き回っている影。その動きは間違いなく『挑発』だ。

(ちっ)

 楓が比較的自由に『飛べる』ようになってから五日経った。

 初日は確かに怖かった。元々運動はあまり得意ではなかった自分が、ちょっとした意識の変化一つで助走もなく一度の跳躍だけで二階建て住居の屋根まで届くような超人的な身体能力を手に入れてしまったのだ。勿論、最初に『飛べた』ときは空中で激しく動揺して見事に着地に失敗した。

(―――世界の常識は自分が創るモノ、だっけ)

 初めて少年にその言葉を告げられた時、何が何だかサッパリ分からなかったけれど、それはダイレクトに『飛ぶため』のコツだった。

 世界の常識は自分が創るモノ。

 つまり『イメージ』することなのだ。

 ―――私は飛べる。

 ―――絶対に飛べる。

 ―――華麗な着地を決められる。

 と言った具合に、自己暗示とも言える強烈な『イメージ』を脳に焼き付けることがさえできれば簡単に一般的な人間の身体能力を超えることができた。楓も『イメージ』するコツを掴んでしまったら後は簡単だった。確かに若干の恐怖も根強く心の中に残っているけれども、今では一度にたくさんの距離を移動出来るようになった。ちなみに少年曰く、この超人的身体能力はアカシックレコードに記されていない『異常因子』だからこその技らしい。

「ねぇ、仕掛けてこないとつまんないよ」

 いつの間にか給水タンクの下に少年、彼は気持ちつまらなそうな表情を浮かべて楓を見上げている。

「うっさい。ってか、ちゃんと飛べるようになって一週間も経ってないのに捉えられるわけないと思うんですけど?」

「でも一週間も経ってないのにそこまでの速力出せるんだったら上出来だと思うよ、楓ちゃん」

 励ましのつもりだろうか。

 しかしながらその一言は癪に障る。

 思うがまま、ギリギリと利き足に力を溜めて、

「死ねッ!」

 バネのように爆発させれば、身体は人間とは思えないほどの跳躍力で少年目掛けて弾丸のように飛ぶ。その衝撃で楓が立っていた給水タンクが轟音を立てて破裂、大量の水が投げ出されるが気に止めることはない。

「うん。上出来だよ」

 派手な音を立てて、コンクリートが砕け、破片の大きさに拘わらず舞い上がる。

「むかつく」

「いやいや、凄いって」

 爆心地の中心で、楓は背から聞こえる少年の喝采を鬱陶しそうに聞き流し、もう一度踏み切った。



     ◇◆

 

 

 陽光が降り注ぐ。

 眠い。

「サボり姫」

「―――人のこと言えたクチ?」

 枕にしていた自分の学生鞄を漁って、携帯で時間を見れば、三校時の最中らしい。

 連日、夜な夜な繰り広げられる少年との鬼ごっこは予想以上に体力を楓からごっそり奪い去っていく。ちなみに現在も鬼ごっこは継続中だ。が、昼間にあんな派手な立ち回りをするわけにもいかない。だから自然と『派手な鬼ごっこ』は夜に限られ、昼間は微妙な駆け引きが重要となるようだ。

 何はともあれ『飛ぶ』ことは想像以上に体力を消耗する。 

 別に授業中寝ることに抵抗はない。けれど授業中寝れば間違いなく教師に叩き起こされる。それに『座ったまま寝る』のは熟睡できないからあまり好きではなかった。ならば授業はさっさとパスして誰も居ない所で横になって寝た方がよっぽど効率が良い、そう楓は判断した。授業をサボっている理由なんてそんなもんなのだ。

「今授業中でしょ? アンタこそサボっちゃヤバイんじゃないの?」

「さあね。サボるの大好きだからな」

 ダイスキ。

 その言葉が楓の心の中で何度も何度も響く。

 もしその言葉が自分だけのモノになったのなら、どれだけ救われるだろうと楓は思った。

「―――あっそ」

「そっけねーな」

 神田は飄々と呟く。本当に、何かと必死になって藻掻いているコチラが馬鹿みたいに思えてならなかった。

 思えば、昔ながら一癖も二癖もあるような男だった。

 幼、小、中と。ウンザリするほど遊ばれた。

 適当な嘘で楓を騙すことなんて日常茶飯事。かと言って直接的な騙し方はしないのだ。どうやら神田裕太という男は『どの線を越えれば本気で傷付くか』を弁えているらしく、楓が今まで神田の遊びでダメージを負ったことは一度もなかった。けれどその良く言えば手加減をして、悪く言えばねちねちと仕掛けてくる攻め方は本当にタチが悪い。最近では毎回騙されるコチラもどうかと思うが。

 無論、楓も黙っていたわけではない。

 だが役者が違うのだ。いつも何故だか行動が先読みされて、待ち伏せを受けて潰される。未だ嘗て楓が神田を出し抜いたことなんて一度もなかった。

 何で、何でこんなヤツなんだろうと楓は思う。

 何で。何が楽しくてこんなヤツに惹かれた―――

「なあ、姫」

「ん?」

「大分、表情良くなったな」

 何を言い出すかと思った。

「え?」

「『あれ』以来、姫は死んでたからさ」

「そうかな?」

 何だか嬉しくなった。

「ま、相変わらず間抜けヅラなのは変わんねーけど」

 前言、撤回。

「―――酷くない? それ」

「酷くねー」

 笑いながら、神田はワシャワシャと楓の頭を撫で回す。

「ちょ、バカ!」

 心地が良かった。

 心なしか、屋上を撫でる風も柔らかい。

 そんな気さえした。

日溜まりは暖かい。人を和ませ、幸せにする。しかし誰もが忘れているのだ。陽があってこその日溜まりだと言うことを。そして陽はいずれ沈むと言うことを。

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